キリスト教の歴史は横暴の歴史?中世は宗教裁判(異端審問・魔女裁判)の暗黒時代!

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ガリレオガリレイ

シリアでは「イスラム国(IS)」が跋扈し、アサド政権と反政府勢力と入り乱れて内戦が続いているようです。アメリカのトランプ大統領は「イスラム国掃討作戦」が終了したとして撤退を決めました。このまま際限なく駐留を続けていると、国内での批判も高まり「泥沼化したベトナム戦争」の二の舞になりかねないと判断したのではないかと私は思います。

最初に「ユダヤ教」(その教典が旧約聖書)があって、それにイエスが新しい解釈を施したのが「キリスト教」(その教典が新約聖書)、その後アラビア半島でムハンマドがさらに違った解釈を加えてコーランという教本をまとめたのが「イスラム教」です。つまり、これら三つの宗教はルーツが同じなのです。だから「聖地」も同じエルサレムなのです。

「宗教」とは本当に厄介なものだとつくづく思います。

前に、「日本の仏教の歴史」の記事を書きましたが、今回は西洋を中心に広く普及しているキリスト教について、その「横暴の歴史」を振り返って見たいと思います。

1.十字軍

ユダヤ教には、「ユダヤ教を真摯に信じ、ルールを忠実に守る者だけが神様に愛される」という「選民(エリート)思想」が大前提にあります。そしていつか「救世主」が現れ、世の中をもっと良くするであろうという「待望論」が根底にあります。

厳しすぎるユダヤ教に異議を唱えたのがイエスでした。貧しい民衆にとっては、イエスは待ち望んでいた「救世主」でしたが、ユダヤ教にとっては「異端者」でした。

最初、ローマ帝国やユダヤ教は、キリスト教を迫害しますが、あまりに広まったキリスト教を、ついに4世紀には容認します。

一方7世紀にアラビア半島に誕生したイスラム教は一気に広まり「イスラム帝国」が築かれます。彼らはユダヤ教とキリスト教の聖地であるエルサレムを支配下に置きます。

そこで「聖地奪回」を目指して、11世紀から15世紀中ごろにかけて「十字軍」の遠征が行われるのですが、結局失敗に終わります。

2.カトリック教(旧教)とプロテスタント(新教)

「ローマ教皇」をトップとするカトリック教会は、「免罪符」を発行し、これを買えば人の罪は浄化されるとして、大量の資金を集めます。これに異を唱えたのがドイツのマルティン・ルター(1483年~1546年)の「宗教改革」です。彼らはプロテスタントと呼ばれ、「ローマ教皇」を認めず「位階制度」も認めず、「聖書の言葉のみを信仰対象」にします。

3.宗教裁判・異端審問・魔女裁判

「宗教裁判」とは、「ある宗教の教義や見解に基づいて行われる裁判手続き」のことです。キリスト教の宗教裁判には、「異端審問」と「魔女裁判」があります。

「異端審問」とは、「中世以降のカトリック教会において、正統信仰に反する教えを持つ(異端である)という疑いを受けた者を裁判するために設けられたシステム」です。

「魔女狩り」とは、「魔女とされた被疑者に対する訴追、裁判、刑罰、あるいは法的手続きを経ない私刑などの一連の迫害のこと」です。その裁判手続きが「魔女裁判」です。

「オルレアンの乙女」と呼ばれたジャンヌ・ダルク(1412年~1431年)は、農夫の娘ですが、「神の啓示」を受けたとしてフランス軍に従軍し、イングランドとの「百年戦争」で重要な戦いに参戦して勝利を収め、後のフランス王シャルル7世の戴冠に貢献します。

しかしその後彼女は、ブルゴーニュ公国軍の捕虜となり、身代金と引き換えにイングランドに引き渡されます。イングランドと通じていたボーヴェ司教によって「不服従と異端」の疑いで「異端審問」にかけられ、19歳で火刑に処せられます。

ガリレオ・ガリレイ(1564年~1642年)は、「コペルニクスの地動説」を観測によって実証し、「科学革命」を代表する人物になりますが、「異端」として訴えられ、1616年と1636年の二度にわたって、「異端審問」にかけられ、有罪となって「終身禁固の刑」を言い渡されます。

この時、彼が発したとされる言葉が、有名な「それでも、地球は動く」です。この後、科学が宗教によって抑圧される「暗黒時代」が終わり、17世紀の「科学革命」が到来します。そして14世紀にイタリアで始まった「ルネサンス」(再生、文芸復興)は、15~16世紀には西欧各国で花開くことになります。