仏教伝来以降の僧侶の歴史は横暴の歴史?白河法皇や織田信長も大変手を焼いた!

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僧兵

538年の日本への仏教伝来からの「僧侶」の行動の歴史を振り返ると、「横暴の歴史」とも言えるひどいものがあると私は思います。

日本の仏教は、大きく三つの流れがあります、まず「奈良仏教」で「華厳宗・法相宗・三論宗・成実宗・倶舎宗・律宗」の「南都六宗」です。次に「平安仏教」の「天台宗」と「真言宗」の二つ、最後に「鎌倉仏教」の「禅宗」「浄土宗」「浄土真宗」「時宗」「日蓮宗」の五つです。

1.白河法皇と「僧兵」

天皇家や公家、貴族たちの手厚い庇護を受けて、徐々に僧侶たちは権勢を誇り、増長して行きます。武力を持った「僧兵」が神木や神輿を持ち出して乱暴狼藉を働き、強訴するようになります。

「南都」(奈良の寺院で、主に興福寺と東大寺)と「北嶺」(比叡山延暦寺)とが互いに反目し「勢力争い」を繰り返します。

白河法皇(1053年~1129年)は、「賀茂河の水、双六の賽、山法師(比叡山の僧兵)、是ぞわが心にかなわぬもの」(天下三不如意)と嘆きました。平家物語に出て来る有名な逸話です。

平清盛(1118年~1181年)は、僧兵が持ち出した神輿に矢を放ち、僧兵たちを撃退しました。

2.織田信長(1534年~1582年)と「比叡山焼き討ち」

1571年に織田信長は、比叡山延暦寺を焼き討ちしました。その理由の一つが「姉川の合戦で敗走した浅井・朝倉の兵を匿っているから」というものでした。しかし、それだけが理由ではありません。

当時の比叡山延暦寺は、「僧兵」という武力を持っており、戦国大名に匹敵する勢力を誇っていました。宗教的にも「天台宗総本山」という権威がありました。

勝手に関所を作って「通行税」を取り、酒色に耽るなど堕落しきっていた訳です。当時「僧侶を傷つければ仏罰が下る」と言われており、それがやりたい放題に拍車を掛けたようです。

このような延暦寺に対して、信長は、「自分に味方すれば、寺院の土地を返却する」などと交渉しましたが、拒否されたため、「比叡山焼き討ち」を敢行したというのが真相のようです。

信長はこれによって、政治にまで口出ししていた巨大な宗教勢力を屈服させて、政治と宗教を分離し、延暦寺が阻害していた商業の利権を握り、宗教と商業を分離させることにも成功しました。

3.織田信長と「石山本願寺」

「石山本願寺」とは、「戦国時代初期から安土桃山時代にかけて大坂にあった浄土真宗の寺院」です。戦国時代の当時は「大本願寺」「大城」と呼ばれていました。

これでは、もはや「僧侶の集団」とか「仏教寺院」とは言えず、「変形の戦国大名」と呼ぶのがふさわしい勢力に変貌しています。当時の大阪の町は、石山本願寺を中心に防御的な濠・土居に囲まれた「寺内町」でした。

「石山本願寺」は1533年に本願寺教団の本山となって以後発展し、戦国の一大勢力となりましたが、織田信長との抗争(石山合戦)の末、1580年に顕如(1543年~1592年)が明け渡し、その直後に焼亡しています。

この石山本願寺の跡地に豊臣秀吉が築城したのが大坂城です。