日本を象徴する国内最高峰「富士山」は、2013年6月にユネスコの「世界文化遺産」に登録されました。
富士山と言えば、実物の山もさることながら、まず葛飾北斎の浮世絵「富嶽三十六景」(全部で46図)を思い出します。この「富嶽三十六景」は、19世紀のヨーロッパに起こった「ジャポニスム」を通じて、ゴッホやドビュッシーなどの芸術家に大きな影響を与えました。
また、富士山は古来「霊峰」と呼ばれて「信仰の山」とされ、民衆信仰の「富士講」などによる登山が盛んに行われて来ました。
明治の文豪夏目漱石(1867年~1916年)も、山歩き(トレッキング)や登山が大変好きだったようで、20代の若いころに富士山に2度(1887年と1891年)も登っています。下の写真(中央が漱石)は、1891年の二度目の富士登山の時の記念写真です。
そういえば彼の作品の「草枕」の冒頭にも山歩きのシーンが出て来ます。
山路を登りながら、こう考えた。 智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。
住みにくさが高じると、安い所へ引き越したくなる。どこへ越しても住みにくいと悟った時、詩が生れて、画が出来る。
人の世を作ったものは神でもなければ鬼でもない。やはり向う三軒両隣りにちらちらするた
だの人である。ただの人が作った人の世が住みにくいからとて、越す国はあるまい。あれば人
でなしの国へ行くばかりだ。人でなしの国は人の世よりもなお住みにくかろう。
「草枕」の主人公の画家も、下界の俗世間から離れた山の中で「浩然(こうぜん)の気」を養
った結果、このような感慨を得たのでしょう。
1.富士登山の歴史
私も膝痛に悩むようになる前は「一生に一度は登ってみたい」と思っていたのですが、今は完全に諦めています。
しかし、負け惜しみではありませんが、富士山は5合目ぐらいまでが「森林限界」で、そこから上は砂利や岩の斜面をひたすら登るだけです。富士山麓の樹海(青木ヶ原の原生林樹海)からは想像できないくらい樹木が見られなくなります。
それに、富士山は「活火山」で、2014年の「御嶽山噴火」のようにいつ何時噴火するかわかりません。富士山の噴火と言えば1707年の「宝永の大噴火」が有名ですが、1854年の「安政東海地震」の時に8合目付近で多数の火が上がるのが見られたそうです。
今後富士登山をされる方は、くれぐれもご注意下さい。
ただし、苦労してやっと富士山頂に到達したときの「爽快な達成感」と「素晴らしい眺望」(私はテレビの映像を通じて想像しているだけですが)は、何物にも代えがたい貴重な体験になると思います。
しかし今の私には、実物の富士山は新幹線の車窓から遠く仰ぎ見るのが精一杯です。膝の痛みが少なくなれば、「里山歩き」をぼちぼち再開しようかとも思っています。
2.富士講
私が子供の頃住んでいた古い家に「富士講」の「菅笠」が残っていました。明治時代に先祖の誰かが富士登山をしたのか、あるいは富士登山をした知り合いの人から「土産物」としてもらったものかも知れません。
「富士講」は江戸時代に成立した民衆信仰です。富士講の活動は、定期的に行われる「おがみ(拝み)」と呼ばれる行事と、富士登山(富士詣で)から成っています。
富士講の起源は、戦国時代から江戸時代初期に富士山麓の「人穴」で修行した角行藤仏という行者によって創唱された「富士信仰」の一つです。のちに旺心らが初の講社を組み、次の3つを掟としました。
(1)良き事をすれば良し、悪しき事をすれば悪し
(2)稼げば福貴にして、病なく命長し
(3)怠ければ貧になり病あり、命短し
江戸時代後期には「江戸八百八講、講中八万人」と言われるほど流行したそうです。夏目漱石も慶応3年(1867年)生まれの江戸っ子ですから、この伝統の流れを受け継いでいたのでしょう。