ふとしたことで秋を感じた心情を詠んだ「秋来ぬと 目にはさやかに見えねども 風の音にぞおどろかれぬる」という藤原敏行(?~901年頃)の和歌があります。
これは「立秋の日に詠んだ歌」で、「(立秋の日になっても)秋が来たと、はっきりと目にはみえないけれど、風の音で(秋の到来に)はっと気づきました」という意味です。
まだ暑さが残る夏の終わりに、秋らしい風を感じることは現代でもよくあることです。
1.「ちいさい秋見つけた」(サトウハチロー作詞・中田喜直作曲)
私が子供のころから馴染みのある「秋をよく感じさせる童謡」に「ちいさい秋見つけた」があります。
「リンゴの唄」や「うれしいひなまつり」などで有名なサトウハチローが作詞し、「雪の降るまちを」や「夏の思い出」などで有名な中田喜直が作曲しました。
昔はボニージャックスやダークダックスなどがこのような童謡を歌うテレビ番組がよくありましたが、今はほとんど聞きません。
2.作詞者サトウ ハチローの幼少期の体験
作詞者のサトウ ハチロー(1903年~ 1973年)は、3歳ごろ熱湯で脇腹に大やけどを負い、数年間病床に伏せっていました。
火傷(やけど)は大きな後遺症となり、ハチローは母親ハルの背中に背負われて小学校に通ったそうです。
体の不自由さもあり、ハチローは家にこもりがちでした。クリスチャンだった母親は、そんなハチローをよく教会に連れて行ったということです。教会の屋根には風見鶏(かざみどり)がありました。
「ちいさい秋みつけた」の歌詞には、これら作詞者による幼少期の体験が色濃く投影されていると考えられます。
ちなみに、この火傷の後遺症のせいかどうかわかりませんが、サトウハチローは仕事の際に机を使わず、布団の上にうつぶせに寝た状態(一番楽な姿勢)で創作活動や読書を行っていたそうです。
3.「ちいさい秋見つけた」の歌詞の意味
(1)一番の歌詞
まず「誰かさん」とは誰かというと、火傷の後遺症で家にこもりがちになってしまった幼少期のサトウハチロー自身を投影しているようです。
幼少期のハチローは、引きこもっていた部屋の中で、外で遊んでいる他の子供たちがうらやましく、その様子をじっと耳を澄まして聴いていたのでしょう。
「めかくし鬼」とは昔の子供の遊びの名前で、鬼役の子供が目隠しをして、それ以外の子供は手をたたいて鬼から逃げ回るという遊びです。京都・大阪では「めんない千鳥」と呼ばれた。
「めかくし鬼」で遊ぶ子供たちの楽しそうな声を、部屋の中からうらやましそうに聴いていたであろう幼少期のハチロー。
するとそこへかすかに耳にしたモズ(百舌鳥)の鳴き声。モズは秋になると、鋭い声で「キーイッ、キーイッ」と鳴いて縄張り争いをする習性があり、俳句では秋の季語となっています。
あまり外に出られず、季節の変化を肌で感じる機会が少なかった幼少期のハチローにとって、部屋の中でかすかに聴いたモズの鳴き声は、ほんの小さい声ではありましたが、季節が感じられた印象的な「ちいさい秋」だったのです。
(2)二番の歌詞
二番の歌詞も、一番の歌詞に引き続き、幼少期のハチローが火傷の後遺症のせいで引きこもっていた部屋の中が舞台です。
幼少期のハチローがこもっていた部屋は、日が当たらず薄暗い北向き部屋で、不透明な曇りガラス(すりガラス)に閉ざされていたのでしょうか?病床に伏せっていた時の部屋だったのかもしれません。
火傷の後遺症のために満足に遊ぶこともできず、幼少期のハチローは部屋の中で気分はふさいで目はうつろ。溶かした粉ミルクは生気を失った目の色の暗喩でしょうか、それとも単に秋の肌寒い中で母親が用意してくれたホットミルクでしょうか?
そんな薄暗いイメージの部屋の中で、幼少期のハチローは、窓の隙間から部屋の中に入り込んだわずかな風を肌で感じることで、彼なりの「ちいさい秋」を見つけることが出来たのでしょう。
(3)三番の歌詞
「むかしの むかしの 風見の鳥」とは、幼少期のサトウハチローが母親に連れられて行った教会の屋根にあった風見鶏(かざみどり)のことでしょう。
「ぼやけたとさか」とは、風見鶏のとさか(鶏冠)が風雨にさらされて摩耗した様子を表しているようです。
「入日色(いりひいろ)」とは、西に沈もうとする夕日の色、つまり夕焼けのまっかな空の色を指しています。
「はぜの葉」(下の画像)は、秋になると美しく紅葉します。
4.「ちいさい秋」という曲はモンテヴェルディの「マドリガーレ集」の一曲に似ている?
中田喜直が作曲した「ちいさい秋みつけた」のメロディについては、17世紀北イタリアの作曲家クラウディオ・モンテヴェルディによるマドリガーレ集 第4巻に収録された『死ねるものなら』との類似性が指摘されることがあります。
「盗作」というわけではないと思いますが、何らかの影響・インスピレーションは受けたかもしれません。皆さんも一度聴き比べてみてください。
余談ですが、中田喜直の父の中田章が作曲した「早春賦」のメロディーも、モーツァルトの「春への憧れ(K596)」とよく似ていると言われています。たぶん中田章はこの曲の影響を受けて作曲したものと思われます。