皆さんは「透視能力」や「口寄せ」を行う「イタコ」のような霊能者などの「超能力」や、「超常現象」を信じますか?
「超能力」や「ポルターガイスト」(*)のような「超常現象」に関しては、「現代の科学でも説明できない不思議な能力や現象があると信じる人」と「科学的に説明できない能力や現象は存在せず、超能力もマジックのようなトリックを使ったものや、全くのインチキで、超常現象と呼ばれるものも地球の磁場など何らかの科学的に説明できる原因があると考える人」に分かれます。
(*)「ポルターガイスト(独: Poltergeist)」(ポルターガイスト現象)とは、とは、特定の場所において、誰一人として手を触れていないのに、物体の移動、物をたたく音の発生、発光、発火などが繰り返し起こるとされる、通常では説明のつかない現象のこと。いわゆる 心霊現象の一種ともされています。
1.宜保愛子とは
宜保愛子(ぎぼ あいこ)(1932年~2003年)は、神奈川県横浜市生まれの「霊能者」で、タレントとしても活動していました。
1980年代にテレビで「稀代の霊能者」として取り上げられたことで一躍注目を浴びました。著書も多数出版され、ベストセラーも多数存在しました。
霊能力があるとして多数の信奉者を生み人気を集めた一方、その能力についての真贋論争も話題となりました。
4歳のとき、左目に火箸が落ちて失明寸前となり、1年ほど闘病生活を送りましたが、それでも視力は回復せずほとんど見えなくなりました。本人によれば、6歳頃に、自分の中の霊能力を自覚したといい、蔵が燃える風景や自殺した人が飛び込む風景などが見えていたり、車にひかれた弟の身体から魂が抜けて上るのが見えたということです。
宜保は相談者の守護霊の声が聞こえ、姿が見え、亡くなった方が守護霊になると、その人物の側に行っても何となく温度を感じず、生きている方が守護霊だと体温のような温かさを感じるとのことです。
そして、相談者の亡くなった肉親の霊と話すことによりその肉親について他人が知り得ない事柄や、相談者の家の構造や家具の配置などを言い当てたとされます。霊能力の1つとして、霊視が可能で人の持ち物からその人物にまつわることを見たり(宜保本人によると浮かび上がってくる、知り合いなら人物特定も出来る可能性がある)、建物などの過去や過去にあったものを見る、遠隔(海外でも)霊視する力もあるとのことです。
右耳は先天性の難聴により聴力を失っていましたが、その右耳で霊の言葉を聞くことができたとのことです。
幼少時、懐疑主義者の父や母親からはその特異体質を非難されましたが、兄だけは受け入れてくれていたそうです。そのため、兄の戦死はかなりの辛さだったといい、墜落した海に行った際には号泣し、「お兄ちゃん」と連呼していた程であったそうです。また宜保の弟は飛び出した際に車に轢かれ亡くなっています。
普段は二男一女の母親であり主婦でした。
もともと、宜保愛子は初めからテレビに出ていたわけではありません。噂が噂を呼びテレビに出るようになったようです。
最初は、自宅などで知人たちの紹介などから訪問する人たちの霊視をしたり、心霊写真を視たり、死者と対話したりしていたようです。しかし、その実力から本物の霊能力者だ、伝説の霊能力者だという噂が広まったようです。
ある日、テレビ業界の人間に「本物の霊能力者」がいるという噂が耳に入ります。その人は、その本物の霊能力者に会いに宜保愛子のもとを訪れたのです。こうして、宜保愛子はその人物に導かれるままに「本物の霊能力者」としてテレビに出るようになったのです。
1961年(昭和36年)のテレビ出演をきっかけに、人気が高まり、多くの講演会を行うようになりました。1970年代中頃から、心霊研究家の放送作家新倉イワオと共に、日本テレビの『あなたの知らない世界』に出演、また女性週刊誌『女性自身』の有名人との対談連載などによって1980年代後半に話題となりました。
芸能人のみならず多くの文化人とも霊視対談を行いました。1990年代に入ってから彼女の霊能をテーマとした多くの特番が組まれ、著書がベストセラーにもなりました。しかし1993年(平成5年)には、その霊能力を疑問視する物理学者の大槻義彦(1936年~ )や女性誌から批判を浴びました。
1995年(平成7年)のオウム真理教の事件の後、オカルト的な放送をすることに批判が高まる中で出演回数は低下し、約5年間テレビ界から遠ざかりました。2001年から2003年までフジテレビ・『力の限りゴーゴゴー!!』のコーナーに出演。話題となった「力合わせてゴーゴゴー宜保スペシャル強力版」が最後のテレビ出演となりました。
2003年5月6日、胃癌のため71歳で死去しました。霊能力に関して批判していた大槻義彦は、「霊感商法等により露骨な金儲けを行うようなことは一切なかったところは評価できる。私は彼女の霊的現象について疑義を持っていろいろと批判、検証はしたが、彼女の人間性や人柄までは否定するつもりは一切なかった」と追悼の言を述べました。霊視・霊能とは別に、宜保の人間性を評価する者も少なくありませんでした。
元英語教師ということもあり、英語にも堪能で、通訳を介さずにユリ・ゲラーと会話を行ったことがありました。
私もテレビで何度か見ましたが、「六占星術」や「大殺界」で有名な細木数子が「上から目線」で高圧的(時に脅迫的)な態度であるのに対し、彼女は穏やかそうな人柄に見えて、霊能力の真偽はともかく、好感が持てました。
2.宜保愛子は本当に透視能力があったのか
宜保愛子の透視能力に関しては、懐疑的・批判的な意見が多くあります。
宜保の行った霊視の大半は調査や資料に当たることでわかるものであり、霊視の内容が事実と矛盾することもあるとして、その霊視は事前の調査によるものであるとの疑惑も報じられました。
例えば、物理学者の大槻義彦は、「昔、私が対決した霊能者の宜保愛子は、6人のスタッフ(家族でスタッフを固めた「オフィスワン」という個人事務所)で事前調査をしていました」と語っています。当時大槻は、宜保が霊能力と称しているものはどれも何らかのトリックで説明がつくものだから、自分が実験に立ち会ってチェックさせてほしいと宜保側に申し込み、テレビ番組での対決が具体化しかけましたが、結果的には宜保側がキャンセルしました。
さらに、宜保の著書『宜保愛子の死後の世界』(日東書院 )に大槻のプラズマ実験写真が「霊の写真」との説明で無断で使われていたことが発覚し問題となりました。また、1993年12月30日に日本テレビで放映された『新たなる挑戦II』において、ロンドン塔ブラディ・タワーの上階に置いてある天蓋付きのベッドに、エドワード4世のふたりの王子、エドワード5世とリチャードが座っていると霊視しました。
しかし、宜保が霊視をしたという兄弟が生きていた当時その階は存在せず、その1世紀以上も後に増築された場所でした。更に宜保の霊視内容は夏目漱石著作の小説『倫敦塔』の内容とほぼ一致していることが指摘されています。
また、日本テレビで放映されたエジプトでの霊視番組における歴史事実との矛盾、どのような事前調査を行って霊視に見せかけていたのか、その手法が、永瀬唯 他『ギボギボ90分!―と学会レポート 』(楽工社 2006年11月)で明かされています。