朝鮮戦争の原因・経過・結末とは?日本への影響についても紹介

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朝鮮戦争

2022年2月24日に起こった「ロシアによるウクライナ侵略」は、当初短期決戦で決着するような予想もありましたが、結局2年6ヵ月に及び、今は一進一退の膠着状態に陥っています。

今や欧米では「ウクライナ疲れ」や「ゼレンスキー疲れ」も起きています。しかし最悪の場合、第三次世界大戦に突入する危険性も孕んでいます。

日本の隣国、韓国と北朝鮮の間で起きた朝鮮戦争は「いまもなお続いている」ということを、皆さんはご存知でしょうか?

昭和時代・平成時代も終わり、令和時代に入って、朝鮮戦争について知らない人も増えており、ロシアによるウクライナ侵略の行方朝鮮半島情勢の今後を考える上でも参考になるため、今回は朝鮮戦争の歴史を振り返ってみたいと思います。

1.朝鮮戦争とは

朝鮮戦争

朝鮮戦争は朝鮮半島において、1950年から始まった大韓民国(韓国)と朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)との戦争です。

死者は南北合わせて500万人とも言われています。街は荒廃し、多くの戦争孤児が出るなど、朝鮮半島は大混乱に陥りました。

約3年にわたって泥沼化したこの戦争において、 アメリカでは国連軍総司令官のマッカーサーが原爆の使用をも検討していました。結局マッカーサーが当時の大統領トルーマンにより解任され、また世論もあって現実になることはありませんでしたが、第二次世界大戦以降初めての核戦争の危機があったことは事実です。

マッカーサー解任

1953年7月27日に、南北の代表とソ連およびアメリカの代表が会合をおこない、「休戦協定」が成立しましたが、実質的な終戦にはいまだ至っていません

第二次世界大戦後、世界では「冷戦」(社会主義国と資本主義国との対立)が起こっており、朝鮮半島やベトナムはそんな対立の最前線となっていました。

ベトナム戦争は、「東西冷戦の代理戦争」という一面とともに、「ベトナムの独立のための戦争」という側面がありましたが、朝鮮戦争には「東西冷戦の代理戦争」と「北朝鮮による朝鮮半島統一(赤化統一)のための戦争」という側面がありました。

2.朝鮮戦争前史

(1)「冷戦」の幕開け

1945年、第二次世界大戦が終結し、アメリカ、ソ連などの連合国が勝利しました。

しかし、アメリカは「ヤルタ会談」(1945年2月4日~2月11日)や「ポツダム会談」(1945年7月17日~8月2日)などでのソ連の急激な領土要求に警戒心を抱き始めます。

ソ連は東ドイツなどのヨーロッパの東側の国々を衛星国という傀儡国として独立させ、「ワルシャワ条約機構」という組織を作り、社会主義国の勢力を拡大します。

後にこれらのことは、イギリスの首相であったウインストン・チャーチルによって鉄のカーテンと揶揄されました。

さらに、元々アメリカとソ連はそれぞれ資本主義と共産主義という全く違う政治体制を取っていたため、馬が全然合わなかったのが主な要因の一つですが、これによってアメリカはソ連との対立姿勢を取り始め、「冷戦」という戦後の新たな対立構造を構築し始めました。

(2)中国の社会主義国化

中国は日中戦争の勝利後、日中戦争において「国共合作」という協力体制にあった蒋介石率いる国民党と毛沢東率いる中国共産党との対立が再び起こり始めました。これを「国共内戦」と言います。

最初のうちはアメリカなどが支援している国民党が優勢でしたが、そのうちに農民の支持を受けた共産党に逆転されます。1949年に国民党は台湾に撤退し、中国大陸には中国共産党による社会主義国家中華人民共和国が成立しました。

毛沢東は向ソ一辺倒と呼ばれるソ連と徹底的に仲良くする外交を採りました。1950年2月、ソ連と中国は「中ソ同盟」を締結します。

(3)分断される朝鮮半島

現在は政治体制や経済状態も大きく異なる朝鮮半島の2国、韓国と北朝鮮は、もともと一つの国でした。

1897年から1910年までは大韓帝国という国が半島を統一していたものの、1910年からは「韓国併合」により日本の統治下となりました。

1945年の第二次世界大戦の終結とともに日本が撤退。その後朝鮮半島の統治に乗り出したのが、連合国側であったソ連とアメリカです。北緯38度線を境に、北側をソ連が、南側をアメリカが占領することになりました。それまでひとつの国だった朝鮮民族が、この時、分断されたのです。

その後もアメリカとソ連の対立が続き、両国が統一されることなく時間が過ぎていきました。

そして占領されてから3年後の1948年8月15日、李承晩(イ・スンマン)によって、38度線から南側に資本主義国家である大韓民国(韓国)が成立しました。

それに対抗するように同年9月9日、ソ連の後ろ盾を得た金日成(キム・イルソン)が社会主義国家である朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)成立を宣言しました。

同じ朝鮮民族が暮らし、統一の可能性が模索されていた2国でしたが、これを機に本格的な分断へと至ったのです。

ちなみに「冷戦」時代には、分断国家はほかにもあり、ドイツやベトナムなども分断されていました。

3.朝鮮戦争の原因・経過・結末

(1)北朝鮮の奇襲攻撃

1950年3月、金日成は朝鮮半島の統一するためにスターリン毛沢東に対して朝鮮半島における戦争の許可を打診しました。

スターリンは最初はこの戦争に消極的でした。しかし、中国が共産化しさらに朝鮮半島も完全に共産化するとソ連の利益となると踏んだスターリンは、ついに金日成に毛沢東の同意を得ることを条件に開戦のGOサインを出しました。

毛沢東も朝鮮半島から資本主義国を追い出すことに対して異論はなく、1950年6月25日、北朝鮮は突如北緯38度線を越えて南下を開始し、韓国に奇襲攻撃を仕掛けて戦争が始まりました。

(2)北朝鮮の快進撃

北朝鮮の奇襲攻撃によって始まった朝鮮戦争ですが、最初の頃は北朝鮮が圧倒的に優勢でした。

国連の安全保障理事会は停戦を呼びかけると同時に北朝鮮を非難する声明を発表しましたが、停戦に至る様子はなく、3日後には北朝鮮軍は韓国の首都ソウルを制圧しました。

それもそのはず、アメリカは最初の頃は日本とフィリピンなどしか防衛せず、台湾や朝鮮半島などの旧日本の植民地であったところは『その土地に住んでいる人に任せておけ』という朝鮮半島のことを見捨てたも同然な対応を取っていました。

さらに、当時の韓国軍の装備は、ソ連の兵器などの援助を受けた北朝鮮軍とは比べものにならないほど貧弱で、北朝鮮の猛烈な攻撃に耐えることができませんでした。そのため、韓国は一時は朝鮮半島の南東の都市である釜山まで追い詰められ韓国は崩壊寸前でした。

しかし、この状況をみてまずいと思ったアメリカはようやく韓国に援助を行い軍事介入を始めていきます。

韓国には日本を占領していたアメリカの援軍が向かい、反対に北朝鮮には中国から大量の戦闘員が流れ込み、戦闘が続きました。

(3)国連軍総司令官のマッカーサーによる仁川上陸作戦成功で形勢逆転

そしてGHQ総司令官としても知られているマッカーサーによってソウル近くの仁川への上陸作戦に成功すると一気に形勢が逆転しました

逆にアメリカを始めとする国連軍と韓国軍は、北朝鮮の首都である平壌を陥落させ、朝鮮半島の北の端にまで北朝鮮軍を追い込みました。

(4)中国の参戦

抗美援朝

しかし、この土壇場で北朝鮮は同じく社会主義国であった中国に援助を頼み込み、中国は

抗美援朝(美国に抗って朝鮮を援助するという意味。「美国」とはアメリカのこと)をスローガンに北朝鮮に圧倒的な支援を行い、再び北朝鮮と韓国の国境線である38度線のところまで前線を押し込み再び形勢は振り出しに戻りました。

(5)休戦協定

その結果、両軍は38度線付近で膠着し始め、1953年にソ連のスターリンが亡くなると「板門店(はんもんてん)で休戦協定を結び朝鮮戦争は一旦終わりを迎えました。

韓国と北朝鮮の対立の背景には、東西冷戦から続くアメリカとロシア・中国の対立が存在しました。朝鮮戦争前、アメリカは朝鮮半島全域にロシア(ソ連)の支配が及ぶことを恐れて、南朝鮮に大韓民国を成立するよう働きかけました。一方の北朝鮮は、ソ連のバックアップを得て成立しました。

戦争中も、韓国にはアメリカが、北朝鮮には直接介入を避けるソ連の代わりに中国が本格支援を行いました。もともと資本主義と社会主義で相いれなかった両国ですが、この戦争でさらにその対立を激化させていきました。

(6)朝鮮戦争の戦死者と民間人の犠牲者

朝鮮戦争は北朝鮮29万人、中国軍13万5000人が戦死。毛沢東の長男もこの朝鮮戦争で亡くなっています。

一方、韓国28万人、アメリカ4万人、そのほか国連軍合わせて1800人が戦死しています。

朝鮮戦争は痛み分けという形で終わりましたが、このほかに北朝鮮、韓国合わせて167万人もの民間人が犠牲となりました。

なお、戦死者数と民間人の犠牲者数の推計は、発表者によって数値にかなりの差があり、南北合計で約500万人が犠牲になったとも言われています。

(7)「平和条約」締結までは戦争は完全に終わっていない

1953年に交わされた「休戦協定」は「最終的な平和解決が成立するまで朝鮮における戦争行為とあらゆる武力行使の完全な停止を保証する」という内容のものでした。これはあくまで戦闘などの停止を意味し、最終的な戦争終結には「平和条約」の締結が必要となります。

北朝鮮は数回にわたり平和交渉に代わる提案を行ってきましたが、南側、特にアメリカが取りあわず、朝鮮半島の溝は深まる一方でした。

現在の北朝鮮の存在は、中国と、韓国の同盟国であるアメリカとの間における緩衝地帯としての役割を担っているという考え方があります。

朝鮮戦争が再開し、いずれかの形で決着がついたとしても、中国やアメリカ、そしてロシアなどの国々のパワーバランスが変化することは必至です。

4.朝鮮戦争の日本への影響

朝鮮戦争において一番利益を得たのが、かつて朝鮮半島を支配していた日本でした。

朝鮮戦争において日本はアメリカの前線基地としての役割を果たしており、また、朝鮮戦争で使う武器や兵器などは日本に発注していました。

その結果、日本の製品は飛ぶように売れ、作ったら作った分だけ儲かるという大フィーバーが 起こりました。

日本企業への物資の調達や受注が増えたことによって戦後不況を脱し、経済が潤いました。

これを「朝鮮特需」(特需景気)と言いますが、この特需景気によって第二次世界大戦でボロボロとなっていた日本は一気に復活しました。

1950年代に入ると高度経済成長に突入して『もはや戦後ではないと言われるほど日本の経済力は伸び続けました。

第一次世界大戦の時には「大戦景気」に沸き、第二次世界大戦においては空襲によって産業が破壊され、朝鮮戦争では再び日本の産業が復活しました。戦争というのは皮肉なものです。

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