皆さんは「インテグラル理論」という言葉をお聞きになったことがあるでしょうか?高校の数学の授業で習った「微分・積分」の「積分記号」の「∫」(インテグラル)を思い浮かべた方もおられるでしょうが、積分とは直接関係がありません。
「インテグラル(integral)」という言葉は、「包括的で、全てのものを含んでおり、何も周縁化せず、包容力がある」という意味です。最近話題の「IR(Integrated Resort)」(統合型リゾート)の「I」もこの意味です
今回は「インテグラル理論」についてわかりやすくご紹介したいと思います。
1.インテグラル理論とは
人間は本来自己中心的ですが、次第に所属する集団のことを考えるようになり、最終的には世界や宇宙のことを考えるようになります。その「人間の発達心理を利用して、集団における倫理、物理世界との調和を目指して行こうという理論」が「インテグラル理論」です。
「自分のタイプ(類型)」を探しながら、「意識の状態(ステート)」をコントロールして、自分の好きなライン(領域)」から「レベル(段階)」を上げて行く、そうやって個人を成長させ、自分が所属する集団における道徳および物理世界との調和を図っていくのが「インテグラル理論」だと言い換えることもできます。
この理論は、アメリカの心理学者・思想家のケン・ウィルバー(1949年~ )によって提唱されました。
彼は最初、大学で医学・化学・生物学などを学びますが、「老子」の著作と出会い、それまで自己を支えて来た現代科学を基礎とする思想的基盤を揺さぶられる体験をします。その後、東西の哲学書を乱読するとともに、瞑想などの実践に集中的に取り組むようになりました。
2.AQAL
インテグラル理論は、具体的には「AQAL」というフレームワーク(枠組み)から成っています。「AQAL」は、「All Quadrants,All Levels,All lines,All states,All types」の略語です。
日本語では、「象限」「レベル」「ライン」「ステート」「タイプ」という5つの要素から成る「メタ・フレームワーク」です。
(1)象限(四象限)
普段我々は様々な視点から物事を捉えていますが、インテグラル理論では次の4つの類型を根本的な視点としています。
①個人の内面(思考、感情、感覚など)
②個人の外面(行動、身体、脳神経など)
③集団の内面(文化、相互理解、場の”空気”など)
④集団の外面(システム、制度、物理的環境など)
(2)レベル(段階)
インテグラル理論では自我の成長を次の5つのレベル(段階)に区分しています。
①利己的段階およびそれ以前の段階
②神話的段階
③合理的段階
④多元的段階
⑤統合的段階およびそれ以後の段階
(3)ライン(領域)
自我は、自己同一性や防衛機制の中心点ですから、中枢的な部分においては、人間の能力は一定のまとまりを持って複雑度や包括度のレベルを上げて行くように思われます。
しかし、それ以外の非常に多くの部分では、「個々の能力領域」ごとにレベルが異なる方が一般的です。この「個々の能力領域」のことをインテグラル理論では、「ライン」と呼びます。5種類か10種類のラインで代表させることもできますし、100種類とかに細分化することもできます。
ラインは、具体的には「自我」「認知」「感情」「対人関係」「身体」「実存」「世界観」「スピリチュアリティ(霊性、精神性)」「セクシュアリティ」「ジェンダー」「経済」「科学」「政治」などが挙げられます。
(4)ステート(状態)
あるレベルに自我の重心があったとしても、我々は常にそのレベルの複雑度・包括度に基づいて行動するわけではありません。我々の意識や身体の状態は、一刻一刻変化しており、普段よりも高いレベルの複雑度・包括度で行動することもあれば、低いレベルで行動する時もあります。
インテグラル理論では、こうした「一瞬一瞬の変化した状態」を「ステート」と呼んでいます。
実際の我々は、「目覚めの状態」「夢を見ている状態」「夢のない深い眠りの状態」の3つの状態を巡っていますが、インテグラル理論では、「目覚めの状態」だけが現実とは考えません。瞑想などの実践を通して、様々な意識状態を探求することを奨励しています。
(5)タイプ(類型)
本質的に優劣や順序を付けることができない人々の性格や行動傾向の類型のことを、インテグラル理論では、「タイプ」と呼びます。
具体的には、「内向ー外向」「直観ー感覚」「思考ー感情」「判断ー柔軟」というタイプの分け方や、「改革する人」「助ける人」「達成する人」「個性的な人」「調べる人」「忠実な人」「熱中する人」「挑戦する人」「平和をもたらす人」というタイプの分け方などがあります。
3.インテグラル理論において鍵となる重要な考え方
(1)全ては正しいが、部分的である(true but partial)
どの視点も、単独では限界があるということです。
(2)含んで超える(transcend and include)
「超えて含む」「超越と包含」とも言い換えることができます。
レベルの発達は、「入れ子」のイメージです。統合的段階の自我を確立したとしても、以前の各段階(多元的段階、合理的段階、神話的段階、利己的段階)の知恵と限界が残り続けるというわけです。
(3)前/超の混同(pre/trans fallcy)
「前/超の虚偽」とも呼びます。
「多元的段階」も「神話的段階」も、合理的段階ではありません。しかしどちらも「合理的でない」(非合理的)だからと言って、両者を一緒くたにして物事を分析しては良質な議論が出来ないというわけです。
上記の例で言えば、「神話的段階」は、「前ー合理的」で、「多元的段階」は、「超ー合理的」ということです。