間違いやすい慣用句。徒となる、一姫二太郎、穿った見方をする、浮足立つなど

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間違いやすい慣用句

前に「間違いやすい日本語」の記事を書きましたが、「慣用句」にも間違いやすいものがあります。今回は「間違いやすい慣用句」をいくつかご紹介します。

(1)「徒(あだ)となる」

「役に立たなくなる」とか「無駄になる」という意味です。「となる」は読み間違いです。

(2)「一姫二太郎」

「最初に女の子、次に男の子が生まれるのが理想である」ということです。「女の子が一人、男の子が二人の三人兄弟が理想である」というのは間違いです。

(3)「穿(うが)った見方をする」

「本質を見抜く見方」のことで、「ひねくれた見方」という意味ではありません。

(4)「浮足立つ」

不安で落ち着かなくなる様子」のことで、「浮かれて落ち着かなくなる様子」ではありません。

(5)「A級戦犯

「平和に対する罪を犯した者」のことで、「重大な戦争犯罪人」という意味ではありません。なお、現代では、「組織内での目標を達成できなかったり、損失を被った場合の主要な責任者・主犯格」という意味で使われることがあります。

(6)「噯(おくび)にも出さない」

「ある物事を深く隠し、全く口に出さず素振りも見せないこと」です。「おくび」とは「げっぷ」のことで、「噯気」「噫気」とも書きます。

(7)「斜(しゃ)に構える」

「剣道で刀を斜めに構える中段(正眼)の構えのこと」が語源で、「改まった態度を取ること。身構えること」の意味でしたが、「皮肉で不真面目な態度で臨むこと」の意味で誤用されるようになり、現在はこの使い方のほうが多いようです。「世間や物事を斜めの視点で見る」という意味も含まれています。

はすにかまえる」とも読みますが、「ななめにかまえる」と読むのは間違いです。

(8)「涼しい顔」

「潔白・無関係のような顔をすること」から「自分にも関係があるのに、他人事のように知らん顔をしている様子のこと」「しらばくれていること」です。

単なる「平気な顔」という意味ではありません。

(9)「天上天下唯我独尊(てんじょうてんげゆいがどくそん)」

「この世に存在する個としての『我』より尊い存在はないということ」で、人間の尊厳を表している言葉とされています。

釈迦が誕生した時、四方に七歩ずつ歩き、一方の手で天を、もう一方の手で地を指して唱えたという「長阿含経」の話に基づく言葉です。「我」は釈迦本人の意味ではなく、個々人のことであるとされています。

しかし、「唯我独尊」は「この世に自分より優れた者などいないという思い上がり」の意味でも使われることがあります。

(10)「鳥肌が立つ」

「寒さや恐怖などによって、皮膚に鳥肌が現れること」です。「鳥肌立(だ)つ」とも言います。最近は、「深い感動の表現」としても用いられています。

(11)「流れに掉(さお)さす」

「流れに棹をさして水の勢いに乗るように、物事が思い通りに進行すること」です。

しかし時々誤って「時流・大勢に逆らう」意味で用いられることがあります。文化庁が発表している「国語に関する世論調査」によると、平成14年度調査で63.6%、平成18年度で62.2%、平成24年度で59.4%の人が誤った意味で理解していました。

(12)「花も恥じらう」

「美しい花さえ引け目を感じるほどの」という意味で、若い女性の美しさを形容する言葉です。恥ずかしがっている若い女性のことを指して「花も恥じらう乙女」というのは間違った使い方です。

中国三国時代に、大僑(だいきょう)、小僑(しょうきょう)の二僑と呼ばれる美しい姉妹がいました。彼女たちの美しさは、「花も恥じらい、月も光を消す」(羞花閉月)と表現され、この慣用句の由来になったと言われています。

また「中国四大美人」の一人の楊貴妃を表す言葉「羞花美人」が由来とも言われています。

なお、「絶世の美女」を表す言葉として、「沈魚落雁(ちんぎょらくがん)」という言葉もあります。これは「あまりの美しさに、魚は深く隠れ雁は空から落ちる」という意味です。

(13)「悲喜交々(こもごも)」

「悲しみと喜びを代わる代わる味わうこと。また悲しみと喜びが入り混じっていること」です。

この言葉は、「一人の人間が喜びと悲しみを味わうこと」であり、「悲喜交々の当落発表」のように、「喜ぶ人と悲しむ人が入り乱れる」意味で使うのは誤りです。

(14)「火を見るよりも明らか」

「極めて明らかで、疑いを入れる余地がないこと」です。「物事の道理がはっきりしている」という意味もあります。一般的には悪い結果になることが予測される場合に使われます。

「火を見るように明らかだ」という言い方は間違いです。