コミカルな「コロッケの唄」の元歌を作ったのは、益田太郎冠者という意外な人物

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コロッケの唄

若い方はご存知ないかもしれませんが、昔「今日もコロッケ、明日もコロッケ」という歌を聞いたことがあります。私は子供の頃、肉屋さんへお使いに行かされて、よくコロッケを買った記憶があります。

終戦後の食糧難の時代の歌かと思っていたのですが、「元歌」は大正6年~7年(1917年~1918年)頃の流行歌だそうです。そのころはコロッケが珍しくハイカラな感じだったのでしょうか?それにしても、「毎日」となると飽きてしまいそうですね。

戦後間もない頃はラジオから古い歌も流れていたようです。「今日もコロッケ、明日もコロッケ」と「今日は三越、明日は帝劇」という「貧しい貧乏人の暮らし」と「優雅なお金持ちの暮らし」を対比したようなフレーズが印象に残っています。

ちなみに「今日は三越、明日は帝劇」というのは、大正初期の三越のキャッチコピーで、明治44年にできた帝国劇場の一枚刷りの無料プログラムに、竹久夢二の美人画とともに印刷されていたそうです。

今日は三越明日は帝劇

1.「コロッケの唄」とは

コロッケの唄

(1)ワイフもらって 嬉しかったが 何時も出てくる 副食物(おかず)はコロッケ

今日もコロッケ 明日もコロッケ これじゃ年がら年中コロッケ

アハハハ アハハハ こりゃ可笑し(おかし)

(2)晦日(みそか)近くに 財布拾って 開けて見たらば金貨が ザックザク ザックザク

株を買おうか 地所を買おうか 思案最中に 眼が覚めた

アハハハ アハハハ こりゃ可笑し

(3)芸者が嫌なら 身受けしてやろ 帯も買ってやろ ダイヤもやろう やろう

今日は三越 明日は帝劇 いふて呉れるやうな 客がない

アハハハ アハハハ こりゃ可笑し

(4)亭主もらって 嬉しかったが 何時も出て行っちゃ 滅多に帰らない 帰らない

今日も帰らない 明日も帰らない これじゃ年がら年中 留守居番

アハハハ アハハハ こりゃ可笑し

2.作詞者の「益田太郎冠者」とは

益田太郎冠者

このコミカルな「コロッケの唄」を作詞したのは、実はプロの作詞家ではなく、益田太郎冠者という人物です。(ちなみに、作曲者は不詳です)

「益田太郎冠者(ますだたろうかじゃ)(本名:益田太郎)」(1875年~1953年)は、三井財閥を支えた実業家、男爵の益田孝(1848年~1938年)の次男です。

彼自身も貴族院議員・男爵で、台湾製糖・千代田火災・森永製菓など有名企業の重役を歴任した実業家です。

しかし彼には、劇作家・音楽家というもう一つの顔がありました。青年時代のヨーロッパ留学中に、本場のオペレッタ(喜歌劇/軽歌劇)やコント(寸劇)に親しみ、帰国後は自らの文芸趣味を生かして、ユーモアに富んだ喜劇脚本を多数執筆しています。またコミックソング「コロッケー」(通称:コロッケの唄)や、「宗論(しゅうろん)」「かんしゃく」という落語も作っています。

彼は財閥の御曹司で、旧制中学時代から、品川芸者数十人をあげて遊ぶような放蕩ぶりだったようです。そのせいか、父親の命令で中学卒業後イギリスに留学し、ケンブリッジのリース中学卒業後、ベルギー・アントワープの商業大学に入学し、ロシアバレエに熱中したそうです。

実業家の方は形だけで、もっぱら演劇人として幅広く活躍し、晩年は小田原で悠々自適の生活を送ったそうです。何とも羨ましい限りですね。

益田孝

ちなみに、父親の益田孝は、世界初の総合商社「三井物産」の創始者で、日本経済新聞の前身である「中外物価新報」も創刊していますが、「鈍翁」と号する茶人としても有名で「千利休以来の大茶人」と称された趣味人です。

3.浜口庫之助作詞・作曲の「コロッケの唄」リメイク版

浜口庫之助

「浜口庫之助(はまぐちくらのすけ)」(1917年~1990年)は、作詞家・作曲家であり、シンガーソングライターのさきがけでもあります。

彼は1962年(昭和37年)にリメイク版「コロッケの唄」を作詞・作曲し、五月みどり(1939年~ )が歌いました。

コロッケの唄五月みどり

「こんがりコロッケにゃ 口もない 目もない 手もない 足もない

だけどコロッケは 知っている あなたとわたしの あの頃を

今日もコロッケ 明日もコロッケ これじゃ 年がら年中 コロッケ コロッケ♪・・・」

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