前回まで、「ホトトギス派の俳人」16人(「ホトトギス派の俳人(その16)杉田久女:虚子との確執で有名な悲運の女流俳人」など)と「ホトトギス派以外の俳人」14人(「ホトトギス派以外の俳人(その14)長谷川かな女:大正期を代表する女流俳人」など)を紹介する記事を書いてきました。
ホトトギス派は、「客観写生」「花鳥諷詠」「有季定型(季語のある定型俳句)」を旨としましたが、それに飽き足りない俳人たちが、「無季俳句」や「自由律俳句」などを標榜する「新興俳句運動」を起こしました。
私は、「新興俳句運動」を全否定するつもりはなく、それなりの歴史的意義はあったと思います。しかし、私はやはり季節感溢れる「季語」を詠み込んだ「定型俳句」に魅力を感じます。
そこには、現代の私たちの生活から失われつつある(一部はほとんど失われた)季節感が溢れており、「懐かしい日本の原風景」を見るような気がします。
そこで今回から、「二十四節気」に沿って季節感あふれる「季語」と俳句をご紹介していきたいと思います。
なお、前に「季語の季節と二十四節気、旧暦・新暦の季節感の違い」という記事も書いていますので、ぜひご覧下さい。
「秋」は旧暦7月~9月にあたり、「初秋」(立秋・処暑)、「仲秋」(白露・秋分)、「晩秋」(寒露・霜降)に分かれます。
今回は「仲秋」(白露・秋分)の季語と俳句をご紹介します。
・白露(はくろ):新暦9月7日頃です。「八月節」 しらつゆが草に宿ります。
・秋分(しゅうぶん):新暦9月22日頃です。「八月中」 秋の彼岸の中日で、昼夜がほぼ等しくなります。
5.行事
(1)あ行
・秋狂言(あききょうげん):歌舞伎の秋季興行。また、その演目。江戸時代、通例は陰暦9月9日から10月15日まで行われた。俳優の契約切れを控えた年度末興行なので、お名残狂言ともいう
・秋のおきまつり(あきのおきまつり):秋に行われる孔子とその門下の十哲・十二弟子などをまつる儀式
・秋の駒牽(あきのこまびき):陰暦8月16日の宮廷行事。各地の朝廷直轄の牧場から、優れた馬を選び出し都までひいてきたことをいう。後には信濃望月の馬がおもに差し出されるようになり、折からの名月ともあいまって広く歌にも詠まれた
町医師や 屋敷がたより 駒迎へ(松尾芭蕉)
桟(かけはし)や 先づ思ひ出づ 駒迎へ(松尾芭蕉)
駒牽きの 木曾や出づらん 三日の月(向井去来)
新蕎麦の 信濃話や 駒迎へ(森川許六)
爪髪も 旅のすがたや 駒迎へ(山本荷兮)
旅人の はしり抜けるや 駒むかへ(大島蓼太)
駒迎へ ことにゆゆしや 額白(ひたいじろ)(与謝蕪村)
駒牽きや けふ切り立ての 白ふどし(安井大江丸)
一袋 蕎麦も添へけり 駒迎(小林一茶)
・秋の除目(あきのじもく):平安時代から中世にかけて、秋に行った中央官司(京官)の任命
・秋の釈奠(あきのせきてん):東京の湯島聖堂では、春の4月に孔子を祭るが、長崎では孔子の誕生日(陰暦8月28日)にちなんで9月に孔子を生誕を祝う。当日、孔子廟にしつらえた祭壇にはさまざまなものが供えられ、踊りなどが披露される
・秋の出代(あきのでがわり):後の出代に同じ
・秋の雛(あきのひな):後の雛に同じ
・秋の二日灸(あきのふつかやいと):後の二日灸に同じ
・秋場所(あきばしょ):九月場所大相撲の年六場所の本場所の一つ。九月に両国国技館で行われる
・一遍忌(いっぺんき):遊行忌に同じ
・石清水祭(いわしみずまつり):八幡放生会に同じ
・宇佐放生会(うさほうじょうえ):宇佐祭に同じ
・宇佐祭(うさまつり):大分県宇佐市の宇佐神宮の祭礼。10月の中頃に行われる仲秋祭のこと。昔は「放生会」と呼ばれた。その昔、戦で犠牲になった大隈、日向隼人の霊を慰めるため、蜷(にな)や貝を海に放つ
・馬市(うまいち):馬の競り市のこと。秋に立つことが多かった。昔、農村では馬は貴重な労働力であった。また材木などの運搬も馬がなくてはならず、馬市は大いに賑わった。トラックが普及し、農家も次第に機械化されてくるに従って馬市もさびれた
・馬の市(うまのいち):馬市に同じ
・永平寺開山忌(えいへいじかいさんき):道元忌に同じ
・絵行器(えぼかい):京都で女子の乳母が八朔(陰暦8月1日)に贈ったもの
・おくにち:陰暦の9月9日のこと。九という数字の重なりをめでたいとし、「御九日」と呼んだことに始まる。「長崎くんち」で有名な長崎 の諏訪神社では、十月の七日から九日にかけて月遅れの祭礼がとりおこなわれ、龍踊(じゃおどり)などが奉納される
・おくんち:おくにちに同じ
・男山祭(おとこやままつり):八幡放生会の別称
・鬼貫忌(おにつらき):元禄期の俳人、上島鬼貫(1661年~1738年)の忌日。陰暦8月2日。鬼貫は、伊丹の 酒造りの家に生まれ、大和郡山藩に出仕した武士であった。俳句 は松江維舟、西山宗因に学び、伊丹風俳諧の中心的存在となる
軽くなる 俳諧あはれ 鬼貫忌(長谷川櫂)
・小花粥(おばながゆ):尾花の粥に同じ
・尾花粥(おばながゆ):尾花の粥に同じ
・尾花の粥(おばなのかゆ):黒焼きにした芒の穂を粥に混ぜたものをいう。八朔の祝いに食した。疫病除けの良薬になると信じられた
(2)か行
・南瓜忌(かぼちゃき):露月忌に同じ
・鎌倉八幡祭(かまくらはちまんまつり):鎌倉市・鶴岡八幡宮の鶴岡祭の別称
・菊雛(きくびな):後の雛に同じ
・鬼城忌(きじょうき):俳人村上鬼城(1865年~1938年)の忌日。9月17日。大正期の『ホトトギス』の代表的俳人。日本派に属し、耳聾を克服して句作に専心した
・北野芋茎祭/北野瑞饋祭(きたのずいきまつり):10月1日から4日間行われる、京都北野天満宮の例祭。五穀豊穣 を感謝する秋祭。神輿は、屋根を芋茎で葺き、唐辛子、ほおずき、南瓜等の蔬菜、湯葉、麩等の乾物で飾り、謡曲や昔話の人物の造り物が取付けられる。八乙女田舞、献茶式、甲御供等がある
年々や 芋茎祭も 雨つかひ(東烏)
・京官除目(きょうかんじもく):平安時代から中世にかけて、秋に行った中央官司(京官)の任命
・暁星祭(ぎょうせいさい):9月8日、聖母マリアの誕生日
・許六忌(きょりくき):陰暦8月26日、五老井許六(1656年~1715年)の忌日。彦根藩士で、画、漢詩を 嗜み、後、俳諧を学んで蕉門屈指の作者になった。芭蕉の「柴門の辞」には、許六を画道の師と仰ぎ、画、書、俳諧、和歌ともに帰するところはひとつと述べている
・霧原の駒(きりはらのこま):駒牽の代表的な貢馬
・九月狂言(くがつきょうげん):九月に行う秋狂言の別称
・九月芝居(くがつしばい):九月に行う歌舞伎興行。歌舞伎では新年顔見世前のいわば年度末公演にあたる
・九月場所(くがつばしょ):大相撲秋場所のこと
・茱萸の酒(ぐみのさけ):重陽に茱萸の酒を飲むと、邪気を払い長生きできるとされた。食用とする現在の茱萸とは種類が異なる
・茱萸の袋(ぐみのふくろ):茱萸の実を入れた袋をいう。重陽の節句にこの袋を身につければ、茱萸の香気によって邪気がはらわれ、長寿をたまわると信じられていた。食用とする現在の茱萸とは種類が異なる
稚子の 肘にくくるや 茱萸袋(松瀬青々)
・くんち:おくにちに同じ
・敬老の日(けいろうのひ):9月の第3月曜日。国民の祝日の一つ。長年働いて国を支えてく れたお年寄りに感謝し、その労をねぎらう日である
・気比祭(けひまつり):敦賀市気比神社の例祭。9月2日の宵宮祭に始まって9月15日の月次祭まで続く長祭である。9月3日には神輿渡御のある神幸祭。4日が祭の中心の例大祭、練山曳山の山車が出て、町は北陸、関西などからの参詣者でにぎわう
・毛見/検見(けみ):年貢高を決めるための調査。江戸時代、役人が村々を回り、その年の稲の出来具合を勘案して年貢の割合を決定した。農民にとっては、その高低は死活問題であり、毛見の役人を饗応することも珍しくなかった
・毛見の衆(けみのしゅう):毛見のため巡見に来る役人一行のこと
・毛見の日(けみのひ):毛見を行う日
・毛見の賂い(けみのまかない):毛見の衆という役人達を接待すること
・毛見果(けみはて):毛見の終わること
・小重陽(こちょうよう):昔中国で、陰暦9月10日(重陽の翌日)を祝ったこと
・御難の餅(ごなんのもち):陰暦9月12日の日蓮宗の法会。この日、日蓮宗の開祖日蓮上人にきなこと胡麻をまぶした牡丹餅を供える。日蓮が鎌倉幕府によって竜口刑場で処刑されかけたとき、尼がこの牡丹餅を作って日蓮にささげたという故事による。日蓮は死罪を免れ、佐渡へ流されることになる
かまくらや 犬にも一つ 御なん餅(小林一茶)
・後日の菊(ごにちのきく):十日の菊に同じ
・駒迎え(こまむかえ):昔、陰暦8月16日、天皇が諸国から献上された駿馬を御覧になった宮中行事
・五老井忌(ごろうせいき):陰暦8月26日、蕉門の俳人森川許六の忌日
(3)さ行
・西鶴忌(さいかくき):浮世草子・人形浄瑠璃作家、井原西鶴(1642年~1693年)の忌日。陰暦8月10日没。住吉神社において、一昼夜で二万三千句を詠じたことは有名である。代表作に「好色一代男」「好色五人女」など
・西郷忌(さいごうき):9月24日、維新の元勲西郷隆盛(1828年~1877年)の忌日
・残菊の宴(ざんぎくのえん):昔、10月5日宮中で残菊を賞した酒宴
・山人忌(さんじんき):9月18日、明治・大正期の俳人石井露月(1873年~1928年)の忌日
・山廬忌(さんろき):10月3日、明治・大正・昭和期の俳人飯田蛇笏(1885年~1962年)の忌日
・子規忌(しきき):俳人、正岡子規(1867年~1902年)の忌日。明治35年(1902年)9月19日脊椎カリエスにより没。
このあたり 草花折り来 糸瓜仏(石井露月)
糸瓜忌や 俳諧帰する ところあり(村上鬼城)
悔もなく 誇もなくて 子規忌かな(高浜虚子)
子規忌すみ あと話ゐる 萩の雨(松本たかし)
糸瓜忌や 紫苑の雨の 冷やかに(大谷句佛)
その庭の 荒びしままの 子規忌かな(長谷川櫂)
・秋季皇霊祭(しゅうきこうれいさい):秋分の日の宮中行事。天皇が歴代の天皇、皇后、皇親の霊を祭るというもの。皇霊祭は、春分の日と秋分の日の年二回執り行われる
・十字架祭(じゅうじかさい):628年9月14日、ペルシア王から十字架を奪い返した日とされる。イエスが十字架にかけられて死んだのは、すべての人々の罪を赦すためであり、十字架はキリストの受難の象徴である。キリスト教徒にとって、十字架はもっとも大切なものといえる
・十字架の称讃の祝日(じゅうじかのしょうさんのしゅくじつ):9月14日、十字架を礼賛するカトリックの祝日
・秋思祭(しゅうしさい):菅原道真が「秋思」の勅題で漢詩を奉じた故事に基づく祭礼である。九州の太宰府天満宮では、陰暦の9月10日に行われる。篝を焚き。お神楽、笛や琴の調べ、詩吟、和歌などが奉納される。大阪天満宮では仲秋の名月の日の行事
・秋分の日(しゅうぶんのひ):秋の彼岸の中日のこと。ここで、昼夜が等しくなり、以降、夜が長くなる
・守護の天使の祝日(しゅごのてんしのいわいび):10月2日、天使たちをまとめて祝い尊敬を新たにするカトリックの祝日
・瑞饋祭(ずいきまつり):京都市・北野天満宮の北野芋茎祭のこと
・芋茎御輿(ずいきみこし):北野芋茎祭で使われる御輿。屋根を芋茎で葺き、野菜や果物などで飾り立てたもの
・素十忌(すじゅうき):俳人高野素十(1893年~1976年)の忌日。1976年10月4日。客観的即物的な作風で、「ホトトギス」四Sの一人に数えられた
・薄粥(すすきがゆ):八朔の尾花の粥の別称
・世阿弥忌(ぜあみき):陰暦の8月8日。室町時代の能作者、能役者であり能理論家でもある観世流二世の太夫世阿弥(1363年?~1443年?)の忌日。足利義満の庇護のもと、父、観阿弥の猿楽を幽玄美の芸術に高め、能楽を大成した。「老松」「高砂」「実盛」などの多くの能を作り、「風姿花伝」「花鏡」などの著作がある
・聖母生誕祭(せいぼせいたんさい):9月8日。聖母マリアが誕生した被を祝う行事。聖母マリアを暁の希望の星にたとえて、曉星祭ともいう
・聖ミカエル祭(せいみかえるさい):9月29日。大天使ミカエルを讃え、豊穣に感謝する祭。ミカエルは、あまたの天使の中でも最も偉大な存在とされ、神の座を狙った双子の兄弟サタンを地獄へ落としたとされる
・聖ミカエルの祝日(せいみかえるのしゅくじつ):聖ミカエル祭に同じ
・曹洞宗開山忌(そうとうしゅうかいさんき):陰暦8月25日、鎌倉時代の曹洞宗の宗祖道元(1200年~1253年)の忌日
・素堂忌(そどうき):江戸期の俳人、山口素堂(1642年~1716年)の忌日。陰暦8月15日。甲州に生まれ、儒学、書道、和歌、茶道、能楽などを学ぶ。芭蕉と親交があり、蕉風の成立に影響するところが多い。葛飾風の祖とされている。
(4)た行
・太祗忌(たいぎき):江戸中期の俳人、炭太祗(1709年~1771年)の忌日。陰暦8月9日。京島原の妓楼桔梗屋主人呑獅の援護によって、遊郭内に不夜庵を結ぶ。京に住む七歳年下の蕪村とも親交が厚かった。人事句を得意とし、雅やかな句風である。明和8年(1771年)に没した
・太閤忌(たいこうき):戦国、安土桃山時代の武将である豊臣秀吉(1537~1598年)の忌日。陰暦8月18日。本能寺の変の後、明智光秀を倒して天下を統一した。天正11年(1583年)に大阪に築城。太政大臣となり、その後、関白となる。1591年に関白を養子である秀次に譲って太閤と称した。慶長3年(1598年)伏見城にて病没した
・高きに登る(たかきにのぼる):中国の古俗。9月9日、重陽の節句に、茱萸を入れた袋を持って、高い丘へ登ることで、厄を祓った
菊の酒 醒めて高きに 登りけり(高桑闌更)
・隆盛忌(たかもりき):西郷隆盛の忌日
・蛇笏忌(だこつき):俳人・飯田蛇笏(1885年~1962年)の忌日で、秋の季語。蛇笏は現在の山梨県笛吹市境川町に生まれ、早稲田大学在学中に小説や詩、俳句に多才を発揮。帰郷後、俳句に専念し高浜虚子の「ホトトギス」で活躍。格調高い俳風で立句の名手と言われた。「雲母」を主宰した
・大宰府天満宮祭(だざいふてんまんぐうまつり):9月25日、福岡・太宰府神社の太宰府祭の別称
・大宰府祭(だざいふまつり):福岡県太宰市の大宰府天満宮の秋祭神幸式大祭のこと。9月21日から25日にかけて行われる。22日には榎社まで神輿渡御がある。供奉する総勢500人の氏子たちが、平安の衣装を纏い華麗荘重な絵巻を繰り広げ、翌23日に還幸する。五穀豊穣を神に感謝する大祭である
・獺祭忌(だっさいき):俳人、正岡子規(1867年~1902年)の忌日。明治35年(1902年)9月19日脊椎カリエスにより没。
・龍口法難会(たつのくちほうなんえ):9月12日、日蓮宗の各寺院や宗徒が仏前に胡麻の牡丹餅を供える行事。日蓮の危難を見た一老婆が餅を差し上げた故事に由来する
・田実の節(たのみのせち):八朔の祝にイネの実りを祈願したこと
・憑の節供(たのむのせっく):八朔(陰暦8月1日)の祝に稲の実りを祈願したり、日頃頼みとしている人に贈答をしたこと。八朔節供
・田面の節(たのものせち):田実の節の別称
・仲秋祭(ちゅうしゅうさい):太陽暦採用後、八幡宮では9月15日を祭日と改め、神仏分離により放生会を改め、仲秋祭と呼ぶようになったもの
・司召(つかさめし):平安時代、朝廷では春と秋二回の任命式があった。春が地方官吏を任命であるのに対し、秋には「司召」といって中央官吏の任命が行なわれた。六位以上の官人が栄爵をを賜るものであった
拝すとて 烏帽子落とすな 司めし(炭 太祇)
・造り雉(つくりきじ):松の実を雉の形に作ったもので、八朔(陰暦8月1日)の贈答品の一つ
・造り鷺(つくりさぎ):烏賊の甲を鷺の形に作ったもので、八朔(陰暦8月1日)の贈答品の一つ
・綵雀(つくりすずめ):色糸で雀の形に作ったもので、八朔(陰暦8月1日)の贈答品の一つ
・坪刈(つぼがり):全収穫量を推定するため、一坪の稲を刈り取って調べること
・鶴岡八幡祭(つるがおかはちまんまつり):鶴岡祭に同じ
・鶴岡祭(つるがおかまつり):鎌倉鶴岡八幡宮の例大祭。毎年9月14日から16日までの3日間行われる。『吾妻鏡』によれば、文治3年(1187年)8月15日に放生会と流鏑馬が始行され、これが例大祭の始まりとされる。以来八百年続く歴史ある祭礼。15日には神幸祭。16日には流鏑馬の神事がある
・敦賀祭(つるがまつり):敦賀市・気比神宮の気比祭の別称
・定家忌(ていかき):陰暦8月20日。藤原定家(1162年~1241年)の忌日。和歌の家柄に生まれ、父は藤原俊成。「新古今和歌集」の撰集にたずさわった
定家忌や 芒(すすき)に欠けし 月一つ(松瀬青々)
・天使祭(てんしさい):10月2日に定められた「守護の天使の記念日」であり、神の使者であるあまたの天使を祝う日である。天使は、神と人間の橋渡しをするものであり、人間を悪魔から守ってくれるものとされる
・道元忌(どうげんき):陰暦8月28日曹洞宗の開祖道元(1200年~1253年)の忌日。1200年1月2日、内大臣久我通親と藤原基房の娘との間に京で生まれる。13歳で 出家。のち中国に渡り天童山の如浄禅師に師事。福井県に永平寺を開き、只管打坐の教えを説いた。95巻の「正法眼蔵」は曹洞宗の根本経典であり、わが国の宗教思想の最高峰とされている。他に食事の作法を記した「典座教訓」がある。諡号は承陽大師、仏性伝東国師、仏法禅師。1253年54歳で入寂
・登高(とうこう):9月9日、小高い丘などに登って災厄を避けること。重陽行事のもとになった中国の古俗
・十日の菊(とおかのきく):9月9日(重陽、菊の節句)を過ぎた菊の意。「残る菊」とも「後日の菊」ともいった。「六日の菖蒲「あやめ」」と同じく、時期に遅れて役に立たないものをたとえていう慣用句でもある
いざよひの いづれか今朝に 残る菊(松尾芭蕉)
・年寄の日(としよりのひ):敬老の日の別称
・呑龍忌(どんりゅうき):陰暦8月9日、呑龍上人(1556年~1623年)の忌日
(5)な行
・泣角力(なきずもう):9月19日、鹿沼市・生子の宮で行われてきた行事。赤ん坊を見合わせ泣いた方を勝ちとするもの。現在は日曜日を選んで行われる
・名残狂言(なごりきょうげん):9月から10月かけて行われる歌舞伎の興行。江戸時代の歌舞伎の年度納は10月であった。歌舞伎役者が引退する場合は、これが最後の興行になることから、名残狂言といわれた
・南祭(なんさい):八幡放生会の別称
・南洲忌(なんしゅうき):幕末、明治維新の政治家、西郷隆盛(1828年~1877年)の忌日。9月24日。薩摩国に生まれる。薩摩藩士。戊辰戦争では江戸城の無血開城に尽力した。新政府において、陸軍大将、参議を務めるが、征韓論が受け入れられず、帰郷した。その後、私学校を設立した。明治10年(1877年)私学校党に擁せられて西南戦争を起こし、鹿児島の城山で自刃した。
・乃木忌(のぎき):陸軍大将、乃木希典(1849年~1912年)の忌日。9月13日。山口県に生まれる。長州藩士。日露戦争に第三軍の司令官として従軍。旅順を攻略し、日本の勝利に貢献した。その後、学習院の院長となる。大正元年(1912年)、明治天皇の大葬当日、夫人とともに自邸で殉死した
・乃木祭(のぎさい):9月13日、明治期の軍人乃木希典の忌日
・乃木まつり(のぎまつり):乃木祭に同じ
・後の出代(のちのでがわり):「出代」は年季を終えた奉公人が交代すること。陰暦の2月2日 と8月8日に行われた。春のそれを単に「出代」というのに対し、こちらは「後の出代」という
萩芒 出代り雨の 降りにけり(小林一茶)
・後の雛(のちのひな):3月3日の雛遊び同様、陰暦の9月9日にも雛を飾って遊んだと いう。江戸時代の慣わしである
奈良里や 世に叮嚀に 後の雛(三宅嘯山)
豊年の 雨御覧ぜよ 雛達(小林一茶)
後の雛 うしろ姿ぞ 見られける(泉鏡花)
・後の二日灸(のちのふつかぎゅう):陰暦8月2日にすえる灸をいう。春の「二日灸」と同様、特別の効能があるとされる
秋に泣く ふるき病や 二日灸(松瀬青々)
(6)は行
・筥崎放生会(はこざきほうじょうえ):9月12日から18日まで、鶴岡市・筥崎神社で行われる祭礼
・筥崎祭(はこざきまつり):9月12日から18日にかけて行われる福岡筥崎八幡宮の祭礼。地元の人に放生会(ほうじょうや)と呼ばれているように、命あるものを尊ぶ祭である。祭の期間中、参道には多くの露店が立ち並び、博多ちゃんぽん(ビードロ)などが売られる。福岡三大祭のひとつ
・八幡祭(はちまんまつり):宇佐・石清水・鶴岡など、各地の八幡宮の祭。陰暦8月15日を祭日としていたが、現在では多く、9月15日としている。やわたのまつり
・八朔の祝(はっさくのいわい):陰暦8月1日のこと。江戸時代には公式の祝日とされた
・八朔の白帷子(はっさくのしろかたびら):八朔(陰暦8月1日)に白い帷子や小袖をきた風習
・八朔の白小袖(はっさくのしろこそで):八朔(陰暦8月1日)に白い帷子や小袖をきた風
・放ち亀(はなちがめ):放生会に行われる行事の一つ
・放ち鳥(はなちどり):放生会に行われる行事の一つ
・引分使(ひきわけづかい):昔、駒牽の際に献上馬を院、東宮などに分け賜わった使者
・秀野忌(ひでのき):俳人、石橋秀野(1909年~1947年)の忌日。9月26日。奈良県に生まれる。与謝野晶子に和歌を学び、高浜虚子に俳句を学んだ。山本健吉と結婚。石田波郷の「鶴」に参加し、「鶴」を代表する女流俳人となる。叙情あふれる作風。戦時中、結核を発病し、昭和22年(1947年)38歳で没した
・秀吉忌(ひでよしき):陰暦8月18日、安土桃山時代の武将・関白豊臣秀吉の忌日
・姫瓜の節句(ひめうりのせっく):京都地方での八朔(陰暦8月1日)の別称
・姫瓜雛(ひめうりびな):八朔(陰暦8月1日)の時、姫瓜に紅白粉などを塗り、目鼻をかいて人形として遊んだもの
・不夜庵忌(ふやあんき):陰暦8月9日、江戸時代中期の俳人炭 太祇の忌日
・糸瓜忌(へちまき):俳人、正岡子規の忌日。9月19日。絶筆となった「絲瓜咲て痰のつまりし仏かな」など三句に詠まれた「へちま」をとって忌日名としたもの
・鳳作忌(ほうさくき):9月17日、昭和初期の俳人篠原鳳作(1906年~1936年)の忌日
・放生会(ほうじょうえ):八幡放生会のこと
松高し 月夜烏も 放生会(加舎白雄)
・豊穣会(ほうじょうえ):鹿児島・霧島神宮の豊穣祭の別称
・放生川(ほうじょうがわ):いつも濁る川が、名月放生会の時には澄むといわれたこと
・豊穣祭(ほぜまつり):陰暦9月19日、鹿児島・霧島神宮で行われる祭礼
・牡丹餅会式(ぼたもちえしき):9月12日、日蓮宗の各寺院や宗徒が仏前に胡麻の牡丹餅を供える行事。日蓮の危難を見た一老婆が餅を差し上げた故事に由来する
(7)ま行
・希典忌(まれすけき):9月13日、明治期の軍人乃木希典の忌日
・望月の駒(もちづきのこま):駒牽の代表的な貢馬
・守武忌(もりたけき):陰暦8月8日。室町時代の連歌師荒木田守武(1473年~1549年)の忌日。宗祇、宗長、 兼戴、肖柏、周桂らに学び、宗鑑と並ぶ「俳諧」の始祖。天文9年(1540年)に俳諧独吟『守武千句』を、伊勢神宮に奉納した。天文18年(1549年)に77歳で没。辞世の句は「朝顔にけふは見ゆらん我が世かな」
(8)や行
・八幡放生会(やはたほうじょうえ/やわたほうじょうえ):陰暦8月15日八幡宮の例祭で、捕らえた魚や鳥を放ち、供養する行事のこと。京都の八幡市石清水八幡宮の放生会は仲秋祭、男山祭、南祭とも呼ばれ、現在では、石清水祭とも呼ばれる
・遊行忌(ゆぎょうき):鎌倉中期の僧で、時宗の開祖である一遍上人(1239年~1289年)の忌日。陰暦8月23日。伊予国に生まれる。熊野参籠で神託を受けて、庶民に踊念仏を勧めた。また、阿弥陀名号の算を配る諸国遊行をした
・吉野忌(よしのき):吉野太夫忌に同じ
・吉野太夫忌(よしのだゆうき):陰暦8月25日、京都六条三筋町の名妓・二代目吉野太夫(1606年~1643年)の忌日。諸芸に秀でた名妓で、富豪灰屋紹益の妻となる。熱心な法華経信者で、私財を投じ洛北常照寺の山門を寄進、この縁で寛永2年没後、この寺に眠る
(9)ら行
・老人の日(ろうじんのひ):敬老の日の別称
・露月忌(ろげつき):俳人、石井露月(1873年~1928年)の忌日。9月18日。秋田県に生まれる。日本新聞社に入社して子規を知る。島田五空らとともに「俳星」を創刊し、東北俳壇で活躍する。昭和3年(1928年)55歳で病没
(10)わ行