「川柳」と「狂歌」の違いとは?「川柳」の難しさと面白さもあわせてご紹介します。

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渡辺綱・鬼同丸

2022年12月25日の「江戸川柳でたどる面白い偉人伝(その1:神代)」から2023年1月5日の「江戸川柳でたどる面白い偉人伝(その12:江戸時代②)」にかけて、12回シリーズで「江戸川柳でたどる面白い偉人伝」という記事を書きました。

「川柳」とよく似たものに「狂歌」があります。

前に「狂歌と落首は庶民たちの声なき声の代弁者?」「サラリーマン川柳・シルバー川柳は現代の狂歌・落首!」という記事を書きましたが、今回は「川柳と狂歌の違い」と「川柳の難しさと面白さ」をご紹介したいと思います。

1.川柳と狂歌の違い

川柳とは五・七・五の十七文字の形式で作られる定型詩のうち季語のないものを指す言葉です。「川柳」は簡単にいえば季語のない俳句です。

「川柳」江戸時代中期に発生した、雑排(ざっぱい)の一つ」です。ちなみに「雑排」とは、本格的な「俳諧」に対して、雑多な形式や内容を持った、遊戯的な俳諧を指す言葉です。

「川柳」は、「前句付けの付句が独立した十七文字の短詩」です。出題された、七・七の短句を前句(まえく)と言い、そこに五・七・五の付句(つけく)をつけることを前句付けと言いますが、この、五・七・五の付句が独立したのが「川柳」です。

「俳句」は、江戸時代の松尾芭蕉(当時は「俳諧」や「発句」と呼んでいました)や正岡子規など有名な俳人がいますね。

この「俳句」は原則として、季節を表す「季語」を入れて作るのがルールとなっています。ただし日野草城などの「無季俳句」や、有季定型性を捨象する形で派生した種田山頭火などの「自由律俳句」もあります。

なお、俳句と川柳の違いについては、「俳句と川柳の違い、季語の歴史や季語の進化をわかりやすく紹介!」という記事に詳しく書いていますので、ぜひご覧ください。

「川柳」は、「俳句」と違って「季語」の制約がないため、自由にユーモアや皮肉など洒落をきかせて作られます。

一方「狂歌とは、五・七・五・七・七の三十一文字の形式で作られる定型詩のうち内容が皮肉や風刺、洒落などを含むものを指す言葉です。

「狂歌」を平たく言うと通俗的な内容の和歌です。「通俗的」といっても「大衆受けする」というだけで、決して「低俗な」という意味ではありません。

「狂歌」日常卑近のことを題材にして、俗語を使い、洒落や風刺をきかせた滑稽な和歌」とも言えます。

日本に古くからある詩の形式として「和歌」があります。「和歌」は江戸時代以前は貴族や上流階級の武士などが当然嗜むべき教養でした。

片や「狂歌」は、江戸時代に町人など主に一般庶民の間で人気になったものです。ただし「狂歌」の作者である「狂歌師」は、決して落語に出てくる「八つぁん熊さん」のような庶民ではなく、幕府御家人(官僚)でもあった大田南畝や、国学者・戯作者でもあった宿屋飯盛こと石川雅望のような知識人であり、鋭い社会風刺を軽妙な「狂歌」で表現しただけです。

なお、川柳と狂歌は、どちらも皮肉や風刺、洒落などをきかせるという共通点季語などが必要なく、自由な発想で詠むことが出来るという共通点があります。

また、同時代の社会風刺や幕府批判を含む場合もあるためか、どちらも多くが「匿名」です。

2.川柳の難しさと面白さ

「狂歌」の場合は三十一文字あるので、状況説明が比較的容易ですが、「川柳」の場合は十七文字しかないので、作者の言いたい「真意」を読者にうまくわからせるのは相当難しいものです。

私が秀逸だと思う江戸川柳に「石山でできた書物の柔らかさ」というのがあります。これは紫式部が『源氏物語』を石山寺で執筆したという故事を詠んだものです。硬い「石」と柔らかい恋愛物語の『源氏物語』の絶妙な対比です。

紫式部

現代の「サラリーマン川柳」や「シルバー川柳」は、日常生活を詠んだものであるため、事前知識がなくてもすぐに共感できたり、実感できるものが多いですが、「偉人にまつわる江戸川柳」を理解するには、「その偉人にまつわる逸話・伝説」や「江戸時代の風習に関する知識」が必要になります。

しかしそれは、「知的言葉遊び」としての「川柳」の面白さでもあり、醍醐味と言えるかもしれません。

ただ残念なことに、私たち団塊世代の学生時代から現在に至るまで、学校における歴史教育では、歴史的事件やその年号が中心で、偉人にまつわる逸話・伝説は、全くと言ってよいほど教えられません。歴史に興味のある人は自分で本で調べたりしてそのような知識を吸収するでしょうが、多くの人は知ろうともしないでしょう。

それが「歴史は、年号の暗記ばかりで、無味乾燥で面白くない」と思う人が多い原因ではないでしょうか?「個人が歴史を動かす」という側面も確かにあると私は思います。

3.川柳の具体例

「川柳」は、俳諧連歌から派生した近代文芸です。俳句と同じ五・七・五の音数ですが、「季語」や「切れ」の決まりがなく、自由律や駄洒落も多く見られる皮肉を交えた言葉遊びのようなものです。江戸時代中期の「誹風柳多留(はいふうやなぎだる)」という川柳句集が有名ですね。このころの川柳は、「うがち・おかしみ・かるみ」という三要素を主な特徴としていて、人情の機微や心の動きを詠んだ句が多かったようです。いくつか例句を挙げます。

・愛想のよいを惚れられたと思い

・役人の骨っぽいのは猪牙(ちょき)に乗せ

・一門は蟹と遊女に名を残し

・西海のくろうも水の泡となり。

4.狂歌の具体例

「狂歌」は、古くは平安時代からあるそうですが、盛んになったのは江戸時代中期で、特に「天明狂歌」の時代は、一種の社会現象にまでなったようです。

「狂歌師」としては、大田南畝(大田蜀山人)や宿屋飯盛(やどやのめしもり)という狂名(きょうみょう)を持つ石川雅望が有名ですね。

代表的な狂歌としては、次のようなものがあります。

①「はたもとは今ぞ淋しさまさりけり 御金もとらず暮らすと思へば」

享保の改革で旗本への給与が遅れたことを風刺したもの。元歌は、源宗于朝臣(みなもとのむねゆきあそん)の「山里は冬ぞさびしさ増さりける 人めも草もかれぬと思へば」という百人一首に載っている歌です。

②「白河の清きに魚のすみかねて もとの濁りの田沼こひしき」「世の中に蚊ほどうるさきものはなし ぶんぶといふて夜も寝られず」

松平定信の寛政の改革を風刺したもので、田沼意次の時代を懐かしんでいます。四字熟語で言えば「水清無魚(すいせいむぎょ)」「蚊雷殷殷(ぶんらいいんいん)」といったところでしょうか。

③「肥後ろから金で覚悟はしながらも こう林とは思はざりけり」(林肥後守忠英を風刺)、「水野あわ消えゆく後は美濃つらさ 重き仰せを今日ぞ菊の間」(水野美濃守忠篤を風刺)

老中水野忠邦が林肥後守・水野美濃守と共に実施した天保の改革を風刺したものです。

④「泰平の眠りを覚ます上喜撰 たった四杯で夜も眠れず」

黒船来航の際の幕府の大騒動を風刺した有名な狂歌です。

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