ホトトギス派の俳人(その12)星野立子:明るく伸びやかな感性の日常詠が特色

フォローする



星野立子

「ホトトギス派」の俳人と言えば、高浜虚子が代表格ですが、大正期には渡辺水巴(すいは)、村上鬼城(きじょう)、飯田蛇笏(だこつ)、前田普羅(ふら)、原石鼎(せきてい)が輩出しました。

昭和に入ると、山口誓子(せいし)・水原秋桜子(しゅうおうし)・阿波野青畝(あわのせいほ)・高野素十(たかのすじゅう)・山口青邨(せいそん)・富安風生(とみやすふうせい)を擁し、花鳥諷詠・写生俳句を提唱して『ホトトギス』の全盛期を形成しました。

特に山口誓子・水原秋桜子・阿波野青畝・高野素十は、「ホトトギスの四S」と称されます。

さらに中村草田男(くさたお)、川端茅舎(ぼうしゃ)、星野立子(たつこ)、中村汀女(ていじょ)ら新人を加えて、新興俳句の勃興にも伝統を堅持して揺るがず、俳壇の王座に君臨しました。

1951年、虚子は長男・高浜年尾(としお)に『ホトトギス』を継承させ、年尾没後の1979年からは年尾の二女・稲畑汀子(いなはたていこ)が受け継ぎました。

2013年(平成25)汀子の長男・稲畑廣太郎(こうたろう)が主宰を継承し、明治・大正・昭和・平成・令和の五代にわたる最古の俳誌としての歴史を誇っています。

そこで今回から、ホトトギス派の有名な俳人を(既に記事を書いている人を除いて)順番に詳しくご紹介したいと思います。

1.星野立子とは

星野立子

星野立子(ほしの たつこ)(1903年~1984年)は、高浜虚子の次女でホトトギス派の俳人です。「立子」の名前は、当時三十歳の虚子が論語「三十にして立つ」に倣い命名したものです。

虚子に師事し、初の女性主宰誌『玉藻』を創刊・主宰しました。虚子一族で特に評価の高い人物です。

女性俳人では同時期に活躍した中村汀女・橋本多佳子・三橋鷹女とともに四Tと称されました。星野立子の名を冠する俳句賞として、星野立子賞・星野立子新人賞が設けられています。

星野立子は、父高浜虚子、母いとの次女として東京府麹町区富士見町(現・東京都千代田区)に生まれました。幼時病弱だったため一家とともに7歳のとき鎌倉に移り、1924年、東京女子大学高等学部を卒業しました。

1925年に、鎌倉彫職人の星野吉人(作家で『文学界』主宰星野天知の息子)と結婚、『ホトトギス』発行所および文化学院に就職しました。

1926年3月、虚子の薦めで作句を始めました。1930年2月、長女早子(のちの星野椿)誕生。6月、虚子の勧めにより、初の女性による主宰誌『玉藻』を創刊しました。1932年、『ホトトギス』同人。

1953年、3月から2か月半にわたり北米・ブラジルを訪れました。

1956年4月、政府文化使節としてインド・ヨーロッパを1か月間訪問しました。

1959年4月、虚子の死没により朝日俳壇選者を継承しました。

1969年4月、妹の高木晴子とともにふたたび北米・ブラジルを訪れました。

1970年10月、脳血栓により倒れ、翌年3月まで入院しました。このため1983年7月まで晴子が『玉藻』の代選をしました。

1975年、勲四等宝冠章受章。1984年3月3日、直腸癌により80歳で死去しました。鎌倉の寿福寺に葬られ、「雛飾りつゝふと命惜しきかな」自筆句碑もここに建てられています。

2001年、ゆかりの鎌倉市二階堂に鎌倉虚子立子記念館が開館しました。

2012年、上廣倫理財団により立子の名を冠した星野立子賞が設立されました。

2.星野立子の句風

明るく伸びやかな感性の日常詠を特色とします。立子は自ら進んで認めたように、虚子の唱える客観写生、花鳥諷詠の忠実な実践者でした

虚子は自身の子女のなかで句作を「私の方から勧めたのは、星野立子一人である」(『晴子句集』序文)と書いており、また『立子句集』(1937年)の序文では「自然の姿をやはらかい心持で受け取ったまゝに諷詠するといふことは立子の句に接してはじめて之ある哉といふ感じがした。写生といふ道をたどつて来た私はさらに写生の道を立子の句から教はつた感じる」と高く評価しました。

文芸評論家の山本健吉は「朴の葉の 落ちをり朴の 木はいづこ」の句を評して、「ありふれた日常語の使用や、口語的な発想は、立子の句の一つの特徴をなすもので、虚子の句が持っている即興詩的側面を、立子は承けついでいると言えよう」と書いています。

後年は主観的、心理的な要素を加えるようになり、虚子は昭和10年頃からの立子の句について、それまでの「明るい鏡に写しとつたやうな景色を写生した句」が「作者の感情に動くままに景色を描くといつた句になつて来た」(「玉藻」1925年11月号)と評しています。

3.星野立子の俳句

土筆

<春の句>

・ままごとの 飯もおさいも 土筆(つくし)かな

・雛飾りつゝ ふと命惜しきかな

・囀り(さえずり)を こぼさじと抱く 大樹かな

・ひらきたる 春雨(はるさめ)傘を 右肩に

・大いなる 春を惜しみつ 家に在り

・美しく晴れにけり 春立ちにけり

・青麦に 沿うて歩けば なつかしき

・春寒し 赤鉛筆は 六角形

・昃(ひかげ)れば 春水の心 あともどり

<夏の句>

・美しき 緑走れり 夏料理

・午後からは 頭が悪く 芥子(けし)の花

・皆が見る 私の和服 パリ薄暑(はくしょ)

・物指(ものさし)を もつて遊ぶ子 梅雨の宿

<秋の句>

・父がつけしわが名立子や 月を仰ぐ

・夕月夜 人は家路に 吾は旅に

・ラヂオつと消され 秋風残りけり

<冬の句>

・朴の葉の 落ちをり朴の 木はいづこ

・しんしんと 寒さがたのし 歩みゆく

・何といふ 淋しきところ 宇治の冬

・冬ばらや 父に愛され 子に愛され

・小鳥来て 人来てこの家(や) にぎやかに

・初冬の 徐々と来 木々に人に町に

<新年の句>

・子に破魔矢(はまや) 持たせて抱(いだ)き あげにけり

・人日(じんじつ)の 女ばかりの 集りに

・とけそめし 七草粥(ななくさがゆ)の 薺(なずな)かな