前回まで、「ホトトギス派の俳人」16人(「ホトトギス派の俳人(その16)杉田久女:虚子との確執で有名な悲運の女流俳人」など)と「ホトトギス派以外の俳人」14人(「ホトトギス派以外の俳人(その14)長谷川かな女:大正期を代表する女流俳人」など)を紹介する記事を書いてきました。
ホトトギス派は、「客観写生」「花鳥諷詠」「有季定型(季語のある定型俳句)」を旨としましたが、それに飽き足りない俳人たちが、「無季俳句」や「自由律俳句」などを標榜する「新興俳句運動」を起こしました。
私は、「新興俳句運動」を全否定するつもりはなく、それなりの歴史的意義はあったと思います。しかし、私はやはり季節感溢れる「季語」を詠み込んだ「定型俳句」に魅力を感じます。
そこには、現代の私たちの生活から失われつつある(一部はほとんど失われた)季節感が溢れており、「懐かしい日本の原風景」を見るような気がします。
そこで今回から、「二十四節気」に沿って季節感あふれる「季語」と俳句をご紹介していきたいと思います。
なお、前に「季語の季節と二十四節気、旧暦・新暦の季節感の違い」という記事も書いていますので、ぜひご覧下さい。
「秋」は旧暦7月~9月にあたり、「初秋」(立秋・処暑)、「仲秋」(白露・秋分)、「晩秋」(寒露・霜降)に分かれます。
今回は「晩秋」(寒露・霜降)の季語と俳句をご紹介します。
・寒露(かんろ):新暦10月8日頃です。「九月節」 秋が深まり野草に冷たい露が結びます。
・霜降(そうこう):新暦10月23日頃です。「九月中」 霜が降りる頃です。
3.地理
(1)あ行
・秋の錦(あきのにしき):秋の野山の華やかにいろどられた美しさを錦にたとえた言葉
・末枯野(うらがれの):草木の枝や葉の先が枯れた野辺
・末枯の野辺(うらがれののべ):草木の枝や葉の先が枯れた野辺
・末枯の野山(うらがれののやま):草木の枝や葉の先が枯れた野山
・末枯の原(うらがれのはら):草木の枝や葉の先が枯れた野原
(2)か行
・風津波(かぜつなみ):「高潮」のこと
・刈小田(かりおだ):稲を刈りとったあとの田
・刈田(かりた):稲を刈り取ったあとの田。畦では稲が干され、籾殻の袋が詰まれていたりする。収穫を終えたあとののんびりした田園風景でもある
去るほどに うちひらきたる 刈田かな(上島鬼貫)
道暮れて 右も左も 刈田かな(日野草城)
伊吹まで 歩いてゆかん 刈田かな(長谷川櫂)
・刈田面(かりたづら):稲刈りのすんだ後の田。寂寥感がある
・苅田原(かりたはら):稲刈りのすんだ後の田。寂寥感がある
・刈田道(かりたみち):稲刈りのすんだ後の田を通る道
・枯野の色(かれののいろ):まだ何処かに花や紅葉の色を残している野原である。日に日に気温が下り、やがて枯野の色もなくなり、蕭条とした野原に変わる
・草木の錦(くさきのにしき):秋の野山が紅葉で彩られた美しさを比喩的に言ったもの
(3)さ行
(4)た行
・高潮(たかしお):台風に伴って海水面が上昇すること。防波堤などを越えて人家に押し寄せることもある
(5)な行
・野の色(ののいろ):秋の季節に草木が黄(紅)葉して華やかにいろどられた野や山
・野の末枯(ののうらがれ):草木の枝や葉の先が枯れた野辺
・野の錦(ののにしき):秋の野山の華やかにいろどられた美しさを錦にたとえた言葉
・野山色づく(のやまいろづく):秋の季節に草木が紅葉して華やかに彩られた野山
・野山の色(のやまのいろ):紅葉した野山のあでやかさを愛でる言葉。野山の色を真っ青な空がひときわ際立たせる
・野山の錦(のやまのにしき):草紅葉、木々の紅葉に覆われた山野を、錦にたとえて愛でた言葉
九重を 中に野山の 錦かな(大島蓼太)
病床の 財布も秋の 錦かな(正岡子規)
(6)は行
・穭田(ひつじだ):刈り取った後の稲の切り株一面に、青々とした稲がふたたび生え出た田をいう
ひつぢ田に 紅葉ちりかかる 夕日哉(与謝蕪村)
ひつぢ田の 案山子もあちら こちらむき(与謝蕪村)
ひつぢ田や 青みにうつる 薄氷(小林一茶)
(7)ま行
(8)や行
・山の色(やまのいろ):秋の季節に草木が紅葉してはなやかに彩られた野山
・山の錦(やまのにしき):秋、山が紅葉した景観を錦にたとえた語
(9)ら行
(10)わ行