前回まで、「ホトトギス派の俳人」16人(「ホトトギス派の俳人(その16)杉田久女:虚子との確執で有名な悲運の女流俳人」など)と「ホトトギス派以外の俳人」14人(「ホトトギス派以外の俳人(その14)長谷川かな女:大正期を代表する女流俳人」など)を紹介する記事を書いてきました。
ホトトギス派は、「客観写生」「花鳥諷詠」「有季定型(季語のある定型俳句)」を旨としましたが、それに飽き足りない俳人たちが、「無季俳句」や「自由律俳句」などを標榜する「新興俳句運動」を起こしました。
私は、「新興俳句運動」を全否定するつもりはなく、それなりの歴史的意義はあったと思います。しかし、私はやはり季節感溢れる「季語」を詠み込んだ「定型俳句」に魅力を感じます。
そこには、現代の私たちの生活から失われつつある(一部はほとんど失われた)季節感が溢れており、「懐かしい日本の原風景」を見るような気がします。
そこで今回から、「二十四節気」に沿って季節感あふれる「季語」と俳句をご紹介していきたいと思います。
なお、前に「季語の季節と二十四節気、旧暦・新暦の季節感の違い」という記事も書いていますので、ぜひご覧下さい。
「秋」は旧暦7月~9月にあたり、「初秋」(立秋・処暑)、「仲秋」(白露・秋分)、「晩秋」(寒露・霜降)に分かれます。
今回は「晩秋」(寒露・霜降)の季語と俳句をご紹介します。
・寒露(かんろ):新暦10月8日頃です。「九月節」 秋が深まり野草に冷たい露が結びます。
・霜降(そうこう):新暦10月23日頃です。「九月中」 霜が降りる頃です。
5.行事
(1)あ行
・愛の羽根(あいのはね):「赤い羽根」の別称
・赤い羽根(あかいはね):社会福祉事業資金募集の運動が10月1日から1ヵ月間展開される。募金に対し寄金をした人に与えられるのが赤い羽根である。駅前などでボランティアの子らが大きな声で呼びかけているのが印象的である
・浅漬市(あさづけいち):「べったら市」の別称
・穴織祭(あやはまつり):陰暦9月17日と日、大阪府池田市穴織社、呉服社で行う祭。応神天皇の御代、中国呉の国から漢織、呉織の二人の織女が来て、機織の業を教えたという。これにちなんだ祭である
よめ連て 呉服祭を 示しけり(三宅嘯山)
秋もはや くれはあやはの 祭かな(写涼)
・伊勢御遷宮(いせごせんぐう):伊勢神宮は、萱葺白木造りの清浄な建物で、20年ごとに新しく社殿を建て、御神体を移し替える式年遷宮という制度がある。御用材を伐る山口祭から当日まで、百幾つの儀式が昔に変わらぬ荘厳の内に執り行われる。日は10月ごろ、天皇が決める
・伊勢奉幣(いせほうへい):平安時代、陰暦9月11日、神嘗祭の前に朝廷から伊勢神宮に対し幣物が奉られる儀式
・岩倉祭(いわくらまつり):陰暦9月15日、京都市左京区岩倉の石座神社で行われた、北山石蔵明神祭のこと。岩倉地域の産土神で、創建は古い。受胎を祈るまじないに、新婚の女性の尻を小さい枝木で打って神事としたので、尻たたき祭ともいう。明治になって途絶えた
・牛祭(うしまつり):「太秦の牛祭」に同じ
・太秦牛祭(うずまさうしまつり):「太秦の牛祭」に同じ
・太秦の牛祭(うずまさのうしまつり):10月12日夜、京都太秦の広隆寺で行われる、悪疫退散、五穀豊穣を祈る奇祭。摩陀羅神の白い紙の面をつけた僧が牛に乗り、赤鬼青鬼の面をつけた四天王を従え練行の後、薬師堂前で長い祭文を読み上げる。牛の調達が困難なため現在不定期
角文字の いざ月もよし 牛祭(与謝蕪村)
油断して 京へ連なし 牛祭(黒柳召波)
牛祭り 能なし女 聞きや居ん(三宅嘯山)
牛祭 尻張声の 事々し(三宅嘯山)
消し廻る 灯に果て行くや 牛祭(大谷句仏)
・会式(えしき):「御会式(おえしき)」に同じ
・会式太鼓(えしきだいこ):10月13日、日蓮上人(1222年~1282年)の忌日の法会で用いる仏具
・夷切れ(えびすぎれ):陰暦10月20日恵比須講の日に、一年についた噓の穢れを祓うため商家の人々が京都四条・冠者殿に参詣した風習
・御影講(おえいこう):10月13日、日蓮上人(1222年~1282年)の忌日の法会
上京(かみぎょう)や 月夜しぐるゝ 御影講(高井 几董)
・御会式(おえしき):10月13日、日蓮上人(1222年~1282年)の忌日の法会
・大津祭(おおつまつり):10月10日、滋賀県大津市の天孫神社(四宮神社)の祭礼。長浜曳山祭とともに近江の二大祭として名高い。西行桜、神功皇后山等からくり人形を飾った十三基の山鉾が、祭囃子も賑やかに巡行する。湖を背景に美しい祭である。神輿も出て終日賑やか
・御命講(おみょうこう/おめいこう):日蓮上人(1222年~1282年)の忌日法要。陰暦の10月13日。日蓮上人が入寂した東京の池上本門寺では、現在、陽暦の10月11日から13日にかけてとりおこなわれ、数十万の参拝者が訪れるという。前日の12日はお逮夜で、信者らは万灯や提灯をかかげ、団扇太鼓を叩きながら、お題目を唱えて境内を練り歩く
御命講や 油のやうな 酒五升(松尾芭蕉)
御命講や 顱(あたま)のあをき 新比丘尼(びくに)(森川許六)
(2)か行
・覚猷忌(かくゆうき):陰暦9月日、平安時代後期の画僧鳥羽僧正覚猷(1053年~1140年)の忌日
・風入れ(かぜいれ):10月から11月頃、正倉院で行われる虫干し
・刈上の節供(かりあげのせっく):秋、稲を刈り終えたときの祝い
・含羞忌(がんしゅうき):11月6日、昭和期の俳人石川桂郎(1909年~1975)の忌日
・神嘗祭(かんなめさい/かんなめまつり):10月17日、新穀で造った新酒と神饌とを、伊勢神宮に奉納し、五穀豊穣を感謝する祭礼。新嘗祭とともに、大切な国民の祭日であったが、戦後、現行憲法により廃止された。皇室では賢所で祭儀が、伊勢神宮でも祭礼がとり行われている
・菊供養(きくくよう):10月18日、浅草の浅草寺で行われる菊の花の供養である。参詣者は境内で求めた菊の花を仏前に供え、かわりに、すでに読経供養された菊花を持ち帰る。持ち帰った菊には災難よけのご利益があるとされる
・菊の着綿(きくのきせわた):陰暦9月9日の重陽の節句の行事。夜、菊の花を綿で覆い、菊の香や菊の露を移しとったその綿で体をぬぐって長寿を願った
綿着せて 十程若し 菊の花(小林一茶)
・菊の酒(きくのさけ)/菊酒(きくざけ):重陽の節句に菊の花を浮かべて飲む酒をいう。中国では、菊酒を酌むことで長生きできるという言い伝えがあり、それが日本にも 伝わったもの。この習慣は、朝廷をはじめ武家や民間にも広まった。現在でも下賀茂神社などでは、重陽の節句に菊酒を振舞う
菊酒に 薄綿人の ほめきかな(井原西鶴)
草の戸や 日暮れてくれし 菊の酒(松尾芭蕉)
菊酒の 加賀に知る人 おとづれよ(森川許六)
草の戸の 用意をかしや 菊の酒(炭 太祗)
よもぎふや 袖かたしきて 菊の酒(小林一茶)
・菊の節供(きくのせっく):五節供の一つ。陰暦九月九日の節供。重陽の節。菊の日。菊節供(きくぜっく)。菊花節(きっかせつ)
朝露や 菊の節句は 町中も(炭 太祇)
人心 しづかに菊の 節句かな(黒柳召波)
・菊の染綿(きくのそめわた):「菊の着綿」の別称
・菊の日(きくのひ):「菊の節供」に同じ
菊の日と 月見いづくの 泊(とまり)せん(枳風)
・菊の綿(きくのわた):「菊の着綿」の別称
・今日の菊(きょうのきく):陰暦九月九日、重陽の節句の菊のこと
・去来忌(きょらいき):蕉門の十哲の一人、向井去来(1651年~1704年)の忌日。陰暦の9月10日である。京都嵯峨野落柿舎に閑居した。師の信頼厚く、関西の蕉門の重鎮であった。凡兆と共に「猿蓑」を編纂した。篤実温厚な人柄だったと伝えられている
枯れにけり 芭蕉を学ぶ 葉広草(山口素堂)
丈草は 枯れて去来は 時雨かな(森川許六)
去来忌や 旦暮(たんぼ)に在す 嵐山(日野草城)
・鞍馬の火祭(くらまのひまつり):10月22日の夜の京都鞍馬山由岐神社の祭礼。6時過ぎ、街道に篝火が焚かれ、「サイレヤ、サイリョウ」の掛声と共に、大小三百の松明が練り歩く。やがて松明は山門前に集結し祭は最高潮、辺りは火の海と化す。深夜まで神事が続く
・鞍馬祭(くらままつり):京都市・由岐(靱)神社で行われる「鞍馬の火祭」の別称
・呉服祭(くれはまつり):10月17日と18日(もとは陰暦九月)、池田市・穴織神社と呉服神社で行われる祭礼。来朝して日本に服飾の技を伝えた織女を祀る
・芸術祭(げいじゅつさい):文化庁の主催で行われている芸術の祭典。毎年10月1日から1ヵ月半の期間で行なわれる。部門は演劇、音楽、舞踊、演芸、テレ ビ、ラジオ、レコードなどで、優秀な成積の個人や団体に対し、大賞、優秀賞、新人賞が贈られる
・桂郞忌(けいろうき):俳人、随筆家の石川桂郞(1909年~1975年)の忌日。11月6日。東京三田に生まれる。「鶴」に参加し、そこで石塚友二の勧めで随筆を書き始める。「俳句研究」、「俳句」の編集長を務めた。昭和39年「風土」を主宰創刊。その後、読売文学賞、蛇笏賞を受賞した。句集に『含羞』、『竹取』などがある
・源義忌(げんよしき):角川源義(1917年~1975年)の忌日。10月27日。富山県富山市生まれ。角川書店の創立者。俳人としても名をなした。俳誌「河」を主宰するほか、俳句総合誌「俳句」を創刊して俳句界に貢献した。句集に「西行の日」「ロダンの首」ほか
・紅葉忌(こうようき):小説家、俳人の尾崎紅葉(1868年~1903年)の忌日。10月30日。江戸に生まれる。学生時代に、山田美妙らと硯友社を興し「我楽多文庫」を創刊した。俳句にも力を入れ、硯友社の巌谷小波などと紫吟社を興した。代表作に小説『多情多恨』、『金色夜叉』などがある
・国体(こくたい):「国民体育大会」の略称
・国民体育大会(こくみんたいいくたいかい):各都道府県の代表が参加するスポーツ大会。冬季大会と秋季大会がある。秋季大会は9月から10月にかけて行なわれ、男子は天皇杯を、女子は皇后杯の獲得を目指して競技を行なう
・御遷宮(ごせんぐう):「伊勢御遷宮」のこと
・金刀比羅祭(ことひらまつり):10月9日から3日間、香川県琴平町金刀比羅宮で行われる例祭。古来、航海関係者の信仰深い宮で、当日は、武家姿の行列や神輿の渡御、神楽、八乙女舞等賑やかに行われる
馬に乗る 衣(きぬ)かつぎあり 金比羅会(椎本才麿)
・言水忌(ごんすいき):陰暦9月24日、俳人池西言水(1650年~1722年)の忌日。奈良の人で、若くして俳諧を学び、江戸に出て芭蕉らと交わり、その影響を受けた。後、諸国を遊歴し、京都に落ち着いて多くの門下を得た。「凩の果はありけり海の音」の句で「凩の言水」の名あり
・金毘羅祭(こんぴらまつり):「金刀比羅祭」の別称
呉服所の あれは誰やら 金毘羅会(斯波園女)
(3)さ行
・三九日(さんくにち/):九月中で九のつく三か日、すなわち九日、一九日、二九日。いずれも節日とし、九日を初九日、一九日を中九日、二九日を乙九日(おとくにち)という。収穫祭の一つ。この日に茄子を食べる風習がある
・鹿釣り(しかつり):10月に、奈良・春日大社で行われる雄鹿を集めて角を落とす行事
・鹿の角切(しかのつのきり):奈良の春日大社の神鹿の角を切る行事。十月頃牡鹿は交尾期に入り、気性が荒くなる。観光客に危害を加えたり、樹木を荒らしたりするので角を切る。柵に鹿を追い込み、勢子が追いかけて捕らえ、神官が鋸で挽く
角ぎりや 礎のこす 鹿の京(上島鬼貫)
恋すてふ 角切られけり 奈良の鹿(小林一茶)
・鹿寄せ(しかよせ):奈良の春日大社で,鹿の角切りのために柵さくの中に鹿を追い込むこと
・地狂言(じきょうげん):秋、収穫の終わったあとの祭りなどに、村人が集まって演ずる芝居
・地芝居(じしばい):村人が集まって歌舞伎などを披露すること。刈り入れ後の祭礼に行われることが多く、昔の娯楽の少ない農村にとっては大きな楽しみであった
・死者の日(ししゃのひ):11月2日(2日が日曜日のときは3日)、すべての死者を祈るカトリックの記念日
・時代祭(じだいまつり):京都平安神宮の例祭。明治28年(1895年)遷都千百年に神社創建、以来10月22日、延暦から明治までの風俗の移り変わりを表わす時代行列が都のメインストリートを延々と練り歩く。装束・持ち物は厳密に時代考証され、美麗典雅な風俗絵巻。京都三大祭の一つ
・四宮祭(しのみやまつり):10月10、11日。大津市・天孫神社の大津祭の別称
・芝神明祭(しばしんめいまつり):芝神明祭は、東京都港区芝神明町の芝大神宮の例大祭で、隔年ごとに催される。祭礼が9月11日から21日までと長く続くことからだらだら祭といわれる。境内では生姜市が立ち、また縁起物の曲げ物千木箱も売られる
・秋燕忌(しゅうえんき):10月27日、昭和の俳人・出版者角川源義(1917年~1975年)の忌日
・生姜市(しょうがいち):芝神明祭で開かれる市
・正倉院曝涼(しょうそういんばくりょう):10月から11月頃、正倉院で行われる虫干し
・城南神祭(じょうなんじんまつり):城南宮の前身である真幡寸(まはたき)神社の祭礼。氏子の家々では、新米の餠を大量について、親戚に配り、来客に馳走するところから餠祭とも呼ばれる。また、若中(わかぢゅう)にかつがれて三基の神輿が渡御するが、時として喧嘩が起こることがあったので、血祭ともいわれた。祭日は、もと9月20日、明治以後10月20日、近年は10月20日に近い日曜日に改められ、城南宮神幸祭と呼ばれる
・城南祭(じょうなんまつり):「城南神祭」のこと
・諸聖人祭(しょせいじんさい)/諸聖人の祝日(しょせいじんのしゅくじつ):11月1日。キリスト教には数多くの聖人がいるが一人一人祝うことが出来ないので、祝日をもうけて一斉に祝う。カトリックにとって秋を代表する大切な祭日である
・諸聖徒日(しょせいとび):「諸聖人祭」のこと
・諸霊祭(しょれいさい):カトリックにとって11月は「死者の月」、11月2日は「死者の日」とされる。諸霊祭ともいい、亡くなったすべての信徒を追悼し、死者が天国に行けるよう祈る日である
・白雄忌(しらおき):江戸中期の俳人、加舎白雄(1738年~1791年)の忌日。陰暦9月13日。信州上田藩士加舎吉享の二男として、江戸深川に生まれる。松露庵三世烏明、白井鳥酔に学び、蕉風復古説の影響を受けた。その後、江戸に春秋庵を開く。蕉風俳諧をわかりやすく説いた「俳諧寂栞」などの著書のほか「白雄句集」などがある。
・尻たたき祭(しりたたきまつり):京都市・石座神社で行われていた岩倉祭の別称
・鈴の屋忌(すずのやき):陰暦9月29日、江戸時代中期の国学者本居宣長(1730年~1801年)の忌日
・住吉相撲会(すみよしすもうえ):大阪市・住吉大社で宝の市に近い日曜日に行なわれた相撲神事
・住吉の市(すみよしのいち):大阪市・住吉大社での宝の市の別称
・聖人祭(せいじんさい):11月1日、諸聖人をまとめて祝うカトリックの祝日。万聖節のこと
・聖徒祭(せいとさい):聖人祭(万聖節)の別称
・誓文払(せいもんばらい):京都では陰暦10月20日、商家・花柳界の人が四条京極の官者殿に参詣する習慣があった。商売上心ない駆引きをし、利をむさぼった罪を祓うためで、その罪ほろぼしに一斉に安売りをした。誓文払の売出しとして定着、呉服店・デパートの特売につながる
・素園忌(そえんき):陰暦9月8日、江戸時代中期の俳人加賀千代尼(1703年~1775年)の忌日
・素逝忌(そせいき):俳人、長谷川素逝(1907年~1946年)の忌日。10月10日。大阪に生まれる。京都大学在学中から俳句を始め、高浜虚子に師事した。日華事変に召集されたが、病にて帰還。戦場の体験を句集『砲車』にまとめた。「桐の葉」を主宰創刊
・疎石忌(そせきき):陰暦9月30日、南北朝時代の僧夢窓国師(1275年~1351年)の忌日
(4)た行
・体育の日(たいいくのひ):国民の祝日の一つ。1964年の東京オリンピックの開会式にちなんだ祝日で、「スポーツにしたしみ、健康な心身をつちかう」事を趣旨としている。当初は東京オリンピックが開催された10月10日であったが、現在は10月の第2月曜日
・宝の市(たからのいち):大阪市住吉区の住吉大社の祭礼。昔は、相撲会があり、黄金の升に新穀を盛り、枡を売る市も立った。信者から奉納される品々を 宝物として参詣者に授与したので、幸運を願う人々が集まる。現在は、10月17日から3日間、「宝の市神事」のみ行われている
買勝や たからの市の 国みやげ(椎本才麿)
あきらかな 月を宝の 市場かな(雨候)
・だらだら祭(だらだらまつり):「芝神明祭」の別称。期間の長さによる呼称
・重九(ちょうきゅう):陰暦九月九日、重陽の節句のこと
・重陽(ちょうよう):旧暦の九月九日の節句。菊の節句ともいう。長寿を願って、菊の酒を飲み、高きに登るなどのならわしがある
・重陽の宴(ちょうようのえん):陰暦九月九日、重陽を祝って野外で菊花酒をのむこと
・千代尼忌(ちよにき):俳人、加賀千代女(1703年~1775年)の忌日。陰暦9月8日。加賀国松任の表具師の娘に生まれ、幼少のころから俳句をたしなむ。各務支考にその才を認められる。「朝顔に釣瓶とられてもらひ水」の作者として有名
・角伐(つのきり):「鹿の角切」に同じ
・十千万堂忌(とちまんどうき):10月30日、明治期の小説家尾崎紅葉(1868年~1903年)の忌日
・鳥羽僧正忌(とばそうじょうき):陰暦9月15日、平安時代後期の画僧鳥羽僧正覚猷(1053年~1140年)の忌日
(5)な行
・丹生川上祭(にうかわかみまつり):奈良・丹生川上神社で行われる例祭。10月16日のだんじりが有名
・日蓮忌(にちれんき):10月13日、鎌倉時代の僧で日蓮宗の宗祖日蓮上人(1222年~1282年)の忌日
・宣長忌(のりながき):江戸中期の国学者、本居宣長(1730年~1801年)の忌日。陰暦9月29日。伊勢松坂に生まれる。賀茂真淵に入門し、古道研究を志した。解読不能に陥っていた『古事記』の解読に成功し、『古事記伝』を著した。儒仏を排して古道に帰ることを説いた。著書に『源氏物語の玉の小櫛』、『うひ山ぶみ』などがある
(6)は行
・万聖節(ばんせいせつ):「諸聖人祭」のこと
・火祭(ひまつり):「鞍馬の火祭」のこと
・広重忌(ひろしげき):江戸時代末期の浮世絵師、歌川(安藤)広重(1797年~1858年)の忌日。陰暦9月6日。歌川豊広の門人である。風景版画「東海道五十三次」、「名所江戸百景」が有名である。
・不堪田の奏(ふかんでんのそう):「不堪田」とは、作りに堪えざる田、という意味。水害などで田が荒れて植え付け不能になることをいう。律令制では、租税を軽くしてもらうために国司が荒れた田の目録を太政官に上奏した。これを不堪田の奏という。陰暦9月7日に行なわれた
・文化祭(ぶんかさい):文化の日を中心に、各地で芸術や文化に関する行事が種々催されるもの
・文化の日(ぶんかのひ):11月3日の祝日。明治時代は天皇の誕生日として「天長節」、その 後、「明治節」に変わったが、第2次世界大戦後は平和と文化を推進する日となり、文化の日と定められた。菊の盛りの頃である
草の戸や 天長節の 小豆飯(正岡子規)
・平安祭(へいあんまつり):「時代祭」の別称
・べったら市(べったらいち):10月19日と20日東京日本橋の大伝馬町通に立つべったら漬を売る市。もともとは、えびす講にお供えをするためのものを商う市であったが浅漬け大根のべったら漬けがよく売れたことから「べったら市」と呼ばれるようになった
・奉教諸死者祭(ほうきょうししゃさい):「諸霊祭」の別称
・保己一忌(ほきいちき):江戸後期の国文学者、塙保己一(1746年~1821年)の忌日。陰暦9月12日。武蔵国児玉に生まれる。7歳の時失明。15歳で江戸に出て、雨富検校須賀一に入門。その後、賀茂真淵らに国学を学ぶ。和漢の学に精通し、検校・総検校となった。編纂刊行したものに、『群書類従』、『続群書類従』がある。
(7)ま行
・枡市(ますいち):住吉大社での「宝の市」の別称
升買うて 分別かはる 月見かな(松尾芭蕉)
升の市 塩屋長次が 月見かな(森川許六)
升市や 月も寄せくる 松の上(高田蝶衣)
・摩陀羅神(まだらじん):京都市右京区太秦(うずまさ)の牛祭の主祭神。源信が広隆寺に勧請したものと伝える。また、その祭で、幞頭、狩衣の姿に紙製の大きな面をつけて、この神に扮した人やその面をいう
里の子も 覚えて所 まだら神(炭 太祇)
松明や 牛に乗りたる 摩陀羅神(中川四明)
・松前帰る(まつまえかえる):夏、海産物を求めて北海道の松前に渡った商人が、本州へ引き返すこと。江戸時代のことで現在では死語になっている。「松前渡る」は夏の季語
・松前上る(まつまえのぼる):北海道へ行商に渡っていた人たちが、秋に内地へ帰ること
・万燈/万灯(まんどう): 四角い枠に紙をはって箱形にし、「某社御祭礼・氏子中・子供中」などと書き、下に長い柄をつけてささげ持つもの。祭礼などに、中に灯火をともして担ぎ歩いたり飾ったりする。万度 (まんど)
・みくにち茄子(みくにちなす):9月の三度の9日に、茄子を食べると寒さに困らぬという地方の俗信
・夢窓忌(むそうき):南北朝時代の臨済宗の僧、夢窓疎石(1275年~1351年)の忌日。陰暦9月30日。伊勢に生まれる。足利尊氏らの信任が深かった。足利直義のために問答体に和文で禅の大切さを説いた仏書『夢中問答集』がある
・村歌舞伎(むらかぶき):秋の地歌舞伎の別称
・村芝居(むらしばい):秋の地芝居の別称
・明治節(めいじせつ):11月3日、戦前制定された明治天皇の誕生を祝う日。今の文化の日
(8)や行
(9)ら行
・蓼太忌(りょうたき):江戸中期の俳人、大島蓼太(1718~1787年)の忌日。陰暦9月7日。信州伊那に生まれる。吏登の門人で、その後、嵐雪由来の雪中庵を継いで雪中庵三世となり、江戸で活躍した。編著に「雪おろし」、「七柏集」「附合小鏡」、「蓼太句集」などがある
・例幣(れいへい):神嘗祭(10月17日)の前に、皇室より勅使をもって伊勢神宮へ幣帛(へいはく)が献上された。毎年のことなので、例幣といった。平安時代に始まり、中断、明治に復興された。錦、綾、糸、倭文、席鞍馬具等を添え、祭文と共に伊勢に届けられる
・ロザリオ祭(ろざりおさい):ロザリオの聖母の日で10月7日。1571年のこの日、強大なトルコ海軍にキリスト海軍が大勝利を得たのは、信者の熱心なロザリオの祈りによるものとされ、これが由来となった
・ロザリオの聖母の日(ろざりおのせいぼのひ):「ロザリオ祭」に同じ
・ロザリオの月(ろざりおのつき):カトリックで10月の別称
(10)わ行