揺れる気持ちを表す四字熟語(その3)困難・忍耐、待ちわびる

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草行露宿

漢字発祥の国だけあって、中国の「四字熟語」は、人生訓にもなるような含蓄に富んでおり、数千年の悠久の歴史を背景とした故事に由来するものも多く、人類の叡智の結晶とも言えます。

そこで今回は、「揺れる気持ち」を表す四字熟語のうち、「困難・忍耐」「待ちわびる」を表す四字熟語をご紹介したいと思います。

1.困難・忍耐

(1)草行露宿(そうこうろしゅく)

非常に苦しい旅をすること。旅の行程が非常につらく、また、差し迫っていること。

草の生い茂った険しい場所をかき分けて野宿するという意から。

「草行」は道なき道を、草をかき分けて行くこと。「露宿」は野宿すること。

(2)束馬懸車(そくばけんしゃ)

往来が困難な道を進むことのたとえ。

「束馬」は馬をつなぐこと。

切り立った山を登る時に、複数の馬をつないで車を引くということから。

「馬を束(つか)ね車を懸(か)く」と訓読する。

(3)大海撈針(たいかいろうしん)

非常に困難なこと、ほぼ実現不可能なこと。

「撈」はすくい上げること。

海の底に落ちた一本の針をすくい上げるという意味から。

(4)多事多難(たじたなん)

事件や困難が多いさま。

「事」は事件・出来事、「難」は困難や災難などの意。

(5)忍気呑声(にんきどんせい)/呑声忍気(どんせいにんき)

怒りや悔しさを声に出さずに抑え込むこと。

「忍気」は怒りをこらえること。「呑声」は息を呑んで声にしないこと。

(6)忍辱負重(にんじょくふじゅう)

辱めを受けても耐え続け、重い責任を背負いながらも全うすること。

「忍辱」は屈辱を我慢すること。「負重」は重い責任を背負うこと。

「辱(はずかし)めを忍(しの)び重きを負(お)う」と訓読する。

(7)忍之一字(にんのいちじ)

何かをやり遂げるために、最も大切なことは耐え忍ぶことであるということ。

(8)跋山渉水(ばつざんしょうすい)

苦しく辛いことを克服しながら長い旅をすること。

「跋山」は山を越えること。「渉水」は河を渡ること。

「山を跋(ふ)み水を渉(わた)る」と訓読する。

(9)披荊斬棘(ひけいざんきょく)

困難を克服しながら前進すること。

「披」と「斬」はどちらも切り開く、「荊」と「棘」はどちらもいばらのことで、いばらの道を切り開いて先に進むという意味から。

(10)百舎重趼/百舎重繭(ひゃくしゃちょうけん)

危険を乗り越えながら長い旅路を行くこと。

「百舎」は旅の途中で百回宿に泊まる、または、百里の距離を移動して一泊するということから、長旅のたとえ。
「趼」は足にできるたこ。「重趼」は多くのたこのことをいい、歩き続けて多くのたこができるということから、長旅のたとえ。

(11)風雨同舟(ふううどうしゅう)

困難や苦労を一緒に経験すること。

「風雨」は強い風や雨のことで、困難のたとえ。「同舟」は同じ舟に乗ること。

同じ舟に乗って激しい嵐を乗り越えるという意味から。

(12)包羞忍恥(ほうしゅうにんち)

辱めを受けても耐えること。

「羞」と「恥」はどちらも恥辱を受けるという意味。

「羞(はじ)を包み恥を忍ぶ」と訓読する。

2.待ちわびる

(1)一日三秋(いちじつさんしゅう)

一日顔をあわさないだけで、三年も過ぎ去ったような気がする。それほどに相手に対する情愛のほどが強いことのたとえ。

「三秋」は、文字どおり秋が三回で、三年を意味する。三か月、九か月を意味するという説もある。「一日三秋の思いで待つ」という風に用いる。

出典(『詩経』王風・采葛)の「一日見ざれば三秋のごとし」による。

(2)一日千秋(いちじつせんしゅう/いちにちせんしゅう)

非常に待ち遠しいことのたとえ。ある物事や、人が早く来てほしいと願う情が非常に強いこと。一日が千年にも長く思われる意から。

「千秋」は千年の意。

一般には「一日千秋の思いで待つ」と用いる。もと「一日三秋」から出た語。

(3)一刻千秋(いっこくせんしゅう)

ほんのわずかな時間が、千年に思えるほどに待ち遠しいこと。

「一刻」は、ほんのひととき。「千秋」は、千回の秋、すなわち千年のこと。

(4)雲霓之望(うんげいののぞみ)

痛切な願いのたとえで、主にすぐれた君主が現れることを願うことをいう。

「雲霓」は雲と虹のこと。または、雨のこと。

日照りが続いて雨が降って虹が出ることを望むということから。

(5)延頸鶴望(えんけいかくぼう)

強く待ち焦がれること。

「延頸」は首を伸ばすこと。鶴の長い首のように、長く首を伸ばして心待ちにするという意味から。

「頸(くび)を伸ばして鶴望(かくぼう)す」と訓読する。

(6)延頸挙踵(えんけいきょしょう)

人や事の到来を待ち望むこと。また、すぐれた人物の出現するのを待ち望むこと。

首を長く伸ばし、つま先立って待ちわびる意から。

「頸」は首。「踵」はくびす・かかと。

「頸(くび)を延(の)べ踵(くびす)を挙(あ)ぐ」と訓読する。

(7)鶴立企佇(かくりつきちょ)

心の底から待ち望むこと。

「企」は足のかかとを上げて、つま先で立つこと。「佇」は待ち望むこと。

鶴が首を伸ばしてつま先で立つ姿を、人や物を待ち望んでいる様子にたとえたもの。

「鶴企」と略して使うこともある言葉。

(8)家書万金(かしょばんきん)

家族からの手紙は、何よりもうれしいということ。

「家書」は、家から届いた手紙のこと。「万金」は、大金の意。出典(杜甫「春望」)の「烽火(ほうか)三月(さんげつ)に連(つら)なり、家書万金に抵(あた)る」による。

(9)刮目相待(かつもくそうたい)

人や物事の成長や進歩を待ち望むこと。また、今までとは違った目で相手を見ること。

「刮目」は、目を見開いてよく見ること。「相待」は、相手を待ちかまえること。目を見開いてよく見ながら待ちかまえるという意から。

「刮目して相待(あいま)つ」と訓読する。

中国三国時代、呉の武将、呂蒙(りょもう)は主君孫権(そんけん)の勧めで勉学に励んだ。その進歩の速さに将軍の魯粛(ろしゅく)は驚いたが、呂蒙は「立派な人は三日別れているだけで、もう目を見開いて見なければいけないものです」と言ったという故事から。

(10)干天慈雨(かんてんのじう/かんてんじう)

日照り続きのときに降る、恵みの雨。待ち望んでいた物事の実現、困っているときにさしのべられる救いの手にたとえる。

(11)咫尺天涯(しせきてんがい)

ものすごい近い場所にいても、遠くにいるかのようになかなか会えないこと。

「咫」と「尺」はどちらも距離の単位で、短い距離のたとえ。
「天涯」は天の果てということから、非常に遠い距離のたとえ。

近いところにいても、天の果てにいるように感じるという意味から。

(12)戢鱗潜翼(しゅうりんせんよく)

志を持ち続け、機会が来ることをひたすら待つことのたとえ。

「戢」はおさめることで、「戢鱗」は竜が鱗をおさめて動かないこと。
「潜翼」は羽を縮めて動かないこと。

「鱗(りん)を戢(おさ)め翼(よく)を潜(ひそ)む」と訓読する。

(13)千載一遇(せんざいいちぐう)

滅多に訪れそうもないよい機会。二度と来ないかもしれないほど恵まれた状態。

「載」は「年」に同じ。「一遇」は一度出会う。「遇」は思いがけず出くわす。

千年に一度偶然訪れるくらいの機会という意味

(14)大旱雲霓(たいかんのうんげい/たいかんうんげい)

極めて強く待ち望むこと。または、苦しいときの助けを強く待ち望むこと。

「大旱」は快晴が続いて、長い期間雨が降らないこと。「雲霓」は雨雲と虹のこと。

「大旱の雲霓を望む」を略した言葉で、日照りが続いて水不足になったときに、雨が降って虹が出るのを待ち望むということから。