生きる指針を表す四字熟語(その2)人生訓・指針

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安心立命

漢字発祥の国だけあって、中国の「四字熟語」は、人生訓にもなるような含蓄に富んでおり、数千年の悠久の歴史を背景とした故事に由来するものも多く、人類の叡智の結晶とも言えます。

そこで今回は、「生きる指針」を表す四字熟語のうち、「人生訓・指針」を表す四字熟語をご紹介したいと思います。

1.人生訓・指針

(1)安心立命(あんしんりつめい)/立命安心(りつめいあんしん)

心を安らかにして身を天命にまかせ、どんなときにも動揺しないこと。人力のすべてを尽くして身を天命にまかせ、いかなるときも他のものに心を動かさないこと。

初め儒学の語であった。仏教語では「あんじんりゅうめい」「あんじんりゅうみょう」と読む。「心」は「身」とも書く。

(2)一期一会(いちごいちえ)

一生に一度だけの機会。生涯に一度限りであること。生涯に一回しかないと考えて、そのことに専念する意。

もと茶道の心得を表した語で、どの茶会でも一生に一度のものと心得て、主客ともに誠意を尽くすべきことをいう。

千利休の弟子宗二の『山上宗二記(やまのうえそうじき)』に「一期に一度の会」とあるのによる。「一期」は仏教語で、人が生まれてから死ぬまでの間の意。

(3)一日不食(いちにちふしょく)

毎日、仕事の後でないと食事をしないこと。何よりも仕事を大切にする心得。

唐のある禅師は、老齢にして毎日人一倍労務を行っていた。みかねた弟子たちが農具を隠し、師に休息をとるよう願った。禅師は農具を探したが見つからず休息をとったが、その日は食事をとることはなかった。弟子たちが理由を尋ねると「一日作らざれば一日食らわず」と答えたという故事から。

(4)緯武経文(いぶけいぶん)/経文緯武(けいぶんいぶ)

学芸と武術の両方を重んじて、政治の土台にすること。文武の両道を兼ねた政治の理想的姿。

武を横糸に文を縦糸にして、美しい布を織る意から。

「緯」は横糸。「経」は縦糸。

「武(ぶ)を緯(い)にし文(ぶん)を経(けい)にす」と訓読します。

(5)殷鑑不遠(いんかんふえん)

身近な失敗例を自分の戒めとせよというたとえ。また、自分の戒めとなるものは、近くにあることのたとえ。

「殷」は古代中国の国の名。「鑑」は鏡で、手本の意。中国の古代王朝は夏(商ともいう)から始まり、殷、周と続く。殷王朝の戒めとなるよい見本は遠くに求めなくても、すぐ前代の夏王朝の暴政による滅亡があるという意。

戒めとなる失敗の前例は遠くに求めずとも、身近にあるからこれを戒めとせよということ。

「殷鑑(いんかん)遠(とお)からず」と訓読します。

(6)運否天賦(うんぷてんぷ/うんぴてんぷ)

幸運と不運は天に決められているということ。または、運を天の意志にまかせること。

「運否」は幸運と不運、「天賦」は天から授けられること。

人の力ではどうすることもできず、成り行きに任せるときなどに使われる言葉。

(7)温故知新(おんこちしん)

前に学んだことや昔の事柄をもう一度調べたり考えたりして、新たな道理や知識を見い出し自分のものとすること。古いものをたずね求めて新しい事柄を知る意から。

「温」はたずね求める意。一説に、冷たいものをあたため直し味わう意とも。

「故(ふる)きを温(たず)ねて新(あたら)しきを知(し)る」または「故(ふる)きを温(あたた)めて新(あたら)しきを知(し)る」と訓読します。

(8)嫁鶏随鶏(かけいずいけい)

妻が夫に従うことのたとえ。妻が夫のもとで安んじているたとえ。雌のにわとりがおんどりに従う意から。

「嫁鶏」はにわとりのめんどり。

「嫁鶏(かけい)鶏(けい)に随(したが)う」と訓読します。

(9)管仲随馬(かんちゅうずいば)

聖人の知恵を借りること。または、昔の人の経験を尊重することのたとえ。

「管仲」は中国の人の名前。「随」は従うこと。

中国の春秋時代、名宰相といわれていた管仲は、戦いから帰るときに道に迷い、馬の知恵を借りようと馬を放ち、馬の後についていくと帰ることができたという故事から。

「管仲(かんちゅう)馬(うま)に随(したが)う」と訓読します。

(10)脚下照顧(きゃっかしょうこ)/照顧脚下(しょうこきゃっか)

自分の足元をよくよく見よという意。もと禅家の語で、他に向かって悟りを追求せず、まず自分の本性をよく見つめよという戒めの語。

転じて、他に向かって理屈を言う前に、まず自分の足元を見て自分のことをよく反省すべきこと。また、足元に気をつけよの意で、身近なことに気をつけるべきことをいう。

「脚下」は足元の意。転じて、本来の自分、自分自身。「照顧」は反省し、よく考える、また、よくよく見る意。

(11)仰天不愧(ぎょうてんふき)

天に恥じるようなやましいことが何もないということ。

「天(てん)を仰(あお)ぎて愧(は)じず」と訓読します。

(12)驕兵必敗(きょうへいひっぱい)

敵を侮って、うぬぼれた軍隊は確実に敗北するということ。

「驕兵」は国力や数が多いことに慢心している軍隊。

「驕兵(きょうへい)は必(かなら)ず敗(やぶ)る」と訓読します。

(13)金科玉条(きんかぎょくじょう)

黄金や珠玉のように善美を尽くした法律や規則の意。転じて、人が絶対的なよりどころとして守るべき規則や法律のこと。

現在では「金科玉条のごとく守る」などと用いて融通のきかないたとえとして用いられることもある。

「金」「玉」は貴重なもの・大切なもののたとえ。「科」「条」は法律やきまりなどの条文の意。

(14)鶏口牛後(けいこうぎゅうご)

大きな集団や組織の末端にいるより、小さくてもよいから長となって重んじられるほうがよいということ。

「寧(むし)ろ鶏口(けいこう)と為(な)るも、牛後(ぎゅうご)と為(な)る無(な)かれ」の略。「鶏口」は鶏の口(くちばし)。弱小なものの首長のたとえ。「牛後」は牛の尻。強大なものに隷属する者のたとえ。

中国戦国時代、遊説家の蘇秦が韓王に、小国とはいえ一国の王として権威を保つのがよく、強大国の秦に屈して臣下に成り下がってはならないと説いて、韓・魏楚の六国が合従(がっしょう)するのを勧めた故事から。

(15)鶏尸牛従(けいしぎゅうしょう)

大きな組織で上役の言いなりになるよりも、小さな組織で上に立つほうがよいということ。

戦国時代、蘇秦が韓王に、「秦の属国になるより、たとえ小国だとしても一国の王のほうがよい」といい説得した故事から。

(16)厚徳載福(こうとくさいふく)

高い徳がある人は、幸福を身に受けること。または、幸福を受けられること。

「厚徳」は高い徳があること。「載福」は幸福を身に受けること。

(17)狡兎三窟(こうとさんくつ)

人が身の安全のために、たくさんの避難場所やさまざまな策を用意するたとえ。難を逃れるのに巧みなたとえ。また、ずる賢い者は用心深く、抜かりなく困難から逃れる手段を用意しているたとえ。

すばしこいうさぎは三つの隠れ穴をもって危険から身を守る意から。

「狡」はすばしこいこと。また、悪賢いこと。「窟」は穴。

(18)毫毛斧柯(ごうもうふか)

災いは大きくならないうちに取り除くべきだという教え。

「毫毛」は極めて細い毛。「斧柯」は斧の柄。

木が毛のように細いうちに取り除かなければ、いずれ斧を使わなければいけないほどに大きくなるということから。

(19)在邇求遠(ざいじきゅうえん)

人としての正しい道は身近なところに求めるべきなのに、人は遠いところにあるものを求めようとするということ。

親や年長者など相応に敬うなど身近なことから始めれば、結局天下はうまく治まるという孟子の言葉から

(20)座右之銘(ざゆうのめい)

常に自分の中に留めて、戒めとする格言、名言、諺などのこと。

「座右」は座席の右ということから、自分の側に置いておくこと。
「銘」は自身への戒めにすること。

(21)疾足先得(しっそくせんとく)

すぐれた能力を持っている人が、劣った人よりも先に獲物を手に入れるということ。

「疾足」は他の人よりも速く走ることのできる人ということから、すぐれた能力を持つ人のたとえ。

「疾足(しっそく)すれば先得(せんとく)す」と訓読します。

(22)失道寡助(しつどうかじょ)

道理にかなった正しい行いをしなければ、誰からの助けも受けることはないということ。

「道」は仁と義の道のこと。

「道(みち)を失(うしな)えば助(たす)け寡(すく)なし」と訓読します。

(23)射将先馬(しゃしょうせんば)

何かを手に入れたり、目的を果たしたりするためには、その周囲から手をつけるべきだということ。

馬上の武将を射止めようとするなら、乗っている馬を射るのがよいという意味。

「将(しょう)を射(い)んとすれば先(ま)ず馬(うま)を射(い)よ」の略。

(24)彰善癉悪(しょうぜんたんあく)

善なるものをほめ、悪いものを懲らしめること。

「彰」はあらわす、明らかにする。「癉」は苦しめる、懲らす意。

「善(ぜん)を彰(あら)わし悪(あく)を癉(や)ましむ」と訓読します。

(25)人事天命(じんじてんめい)

人として出来る限りの努力をして、結果は運命に任せること。

「人事」は人間ができること。「天命」は運命。

「人事を尽くして天命を待つ」を略した言葉。

(26)則天去私(そくてんきょし)

小さな私にとらわれず、身を天地自然にゆだねて生きて行くこと。

「則天」は天地自然の法則や普遍的な妥当性に従うこと。「去私」は私心を捨て去ること。

夏目漱石が晩年に理想とした境地を表した言葉で、宗教的な悟りを意味するとも、漱石の文学観とも解されている。

「天(てん)に則(のっと)り私(わたくし)を去(さ)る」と訓読します。

(27)忠言逆耳(ちゅうげんぎゃくじ)

他人からの忠告は聞き入れがたいものだということ。

「逆耳」は聞きづらいということで、他人からの忠告は聞きづらいが、ためになるものなので、聞く態度をもつことが大切だという意味。

「忠言は耳に逆らう」とも読み、「忠言は耳に逆らえども行いに利あり」を略した言葉。

(28)長幼之序(ちょうようのじょ)

年上と年下の間にある、守るべき社会的、道徳的な秩序のこと。

「長幼」は年齢が上の人と下の人。「序」は順序、席次のこと。

儒教の五つの道徳法則、五倫のうちの一つ。

(29)覆水難収(ふくすいなんしゅう)

一度情勢が変わってしまうと、取り返すのは難しいということのたとえ。または、一度失敗すると取り返すことは難しいということのたとえ。または、一度駄目になった夫婦の関係を戻すことは難しいということのたとえ。

一度こぼしてしまった水は、もう一度集めることはできないという意味から。

「覆水(ふくすい)収(おさ)め難(がた)し」と訓読します。

(30)覆水不返(ふくすいふへん)

こぼれた水はもとに戻らない意から、いったん離婚した夫婦はもとには戻らないことのたとえ。また一度犯した過ちは、なかったことにはならないたとえ。

「覆水」は、器からこぼれた水。「覆水(ふくすい)は返(かえ)らず」と訓読します。「覆水盆に返らず」の略。

(31)不惜身命(ふしゃくしんみょう)

命や体を惜しむことなく、全力で事に当たること。

「不惜」は使うことにためらわないこと。「身命」は体と命。

元は仏教語で、仏道を修めるために体も命もためらわずに捧げるという意味。

(32)不断節季(ふだんせっき)

毎日節季のつもりで、地道でまじめに商売をしていれば、また、借金をせず地道に生活していれば、将来困ることはないということ。

「不断」は日常、平生の意。「節季」は盆と暮れの年二回の決算期で、昔は借金もこのとき精算された。

(33)覧古考新/覧故考新(らんここうしん)

古い事柄を顧みて、新しい問題を考察すること。

「覧古」は古い物事を深く思うこと。

「古(ふる)きを覧(み)、新(あたら)しきを考(かんが)える」と訓読します。

(34)良薬苦口(りょうやくくこう)

ためになる忠告の言葉は聞き入れづらいということ。

よく効く薬は味が苦いために飲みにくいという意味から。

「良薬(りょうやく)は口(くち)に苦(にが)し」と訓読します。

(35)和而不同(わじふどう)

人と協力はしても、むやみやたらに意見や態度を同じにしないこと。

徳がある者は協力はするが同調はしない、徳がない者は協力はしないが同調するという意味から。