「明治神宮の森」はいかにして作られたのか?

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明治神宮の森

10年ほど前、親戚の結婚式が「明治神宮」であったので、生まれて初めて原宿駅を降りて「明治神宮の森」を訪れましたが、そのスケールの大きさに圧倒されると共に、よく東京にこんな素晴らしい森が残っていることに感心しました。

しかし、調べてみると、この森は大正9年の明治神宮創建と共に計画された新しい「人工林」だそうです。

「皇居の森」は、太田道灌が1457年に武蔵野台地に築城した江戸城から始まって、江戸時代にかけて徐々に整備されて行ったものですから、東京都心に武蔵野の自然を残す貴重な「自然林」と言えるでしょう。国木田独歩の「武蔵野」の風景もこのようなものだったのでしょう。

これに対して、「明治神宮の森」は、彦根藩主井伊家の下屋敷を明治9年に政府が買い上げ、南豊島御料地となっていた土地です。ここは、元々森がない荒地であったので、「人工林」を作る必要があり、全国から造園に関する一流の学者が集められました。

彼らは、現在の生態学でいう「植生遷移(サクセッション)」の見地から、100年後の「林相」が遷移によって「極相林(クライマックス)」に達するよう壮大かつ周到な計画「明治神宮御境内 林苑計画」を立てました。

最初は、針葉樹など多様な樹種を多層的に植栽することで、年月を経ておよそ100年後には広葉樹を中心とした「極相林」に到達するというものです。手入れや施肥など皆無で永遠の森が形成されることを科学的に予測し実行した「造園科学的な植栽計画の嚆矢(こうし)」とされています。

私も高校生の時、生物の授業で「森林遷移」の「クライマックス」を習ったことを思い出しました。これを明治神宮で、人工林を使って再現していたということですね。素晴らしいことだと思います。

「国家百年の(大)計」という言葉があります。国家における終身計画のことです。元々は管仲の『管子』「権脩」にある「終身之計」が語源です。

「一年の計は穀を樹(う)うるに如(し)くはなし。終身の計は人を樹うるに如くはなし。一樹一獲なる者は穀なり。一樹百獲なる者は人なり。」

人を育てるという思想でしたが、それが国家に転用されて「百年の計」となったようです。「一樹百獲」という言葉も管仲の文章が語源です。

最近の経営者や政治家は、自分の在任期間中の業績には熱心でも、100年先の長期ビジョンを持っている人は少ないのではないでしょうか?社員や国民に向けて発する言葉では、建前上長期ビジョンを語る人は多いものの、本音はそうでないと思うのは、私だけの僻目(ひがめ)でしょうか?