「年齢の異称」をわかりやすくご紹介します

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杜甫

私は来年70歳で、「古稀」と呼ばれる年齢になります。「門松は冥途の旅の一里塚 めでたくもありめでたくもなし」という一休禅師の「狂歌」がありますが、昔は数え年で正月に皆一つずつ歳を取ったので、高齢になるとこのような感慨にふけるのがわかるような気がします。

1.15歳から70歳までの年齢の異称

年齢の異称としては、論語に由来する「志学(しがく)」(15歳)、「而立(じりつ)」(30歳)、「不惑(ふわく)」(40歳)、「知命(ちめい)」(50歳)、「耳順(じじゅん)」(60歳)はよく知られていますね。70歳は、普通「古稀」と言いますが、論語に由来する呼び方は「従心(じゅうしん)」又は「踰矩(ゆく)」です。

「古稀」という呼び方は、中国唐代の詩人杜甫(杜工部)(712年~770年)の「曲江詩」にある「酒債は尋常行く処に有り 人生七十古来稀なり」に由来します。今では、70歳以上生きる人は珍しくなくなりました。

2.71歳から100歳までの年齢の異称

次に70歳を超えた年齢についての異称ですが、77歳の「喜寿(きじゅ)」は「喜」の草書体から、80歳の「傘寿(さんじゅ)」は「傘」の略字体から、81歳の「半寿(はんじゅ)」は「半」の字が八・十・一に分解できることから、88歳の「米寿(べいじゅ)」は八十八を一つの字にすると「米」になることから、90歳の「卒寿(そつじゅ)」は「卒」の略字「卆」が九と十に見えることから、99歳の「白寿(はくじゅ)」は「百」の字から一つ目の画の「一」を取ると「白」になることから、そして100歳は文字通り「百寿(ひゃくじゅ)」です。

3.101歳から120歳までの年齢の異称

しかし、今や「人生100年時代」到来です。100歳より上はどうなっているのでしょうか?108歳は「茶寿(ちゃじゅ)」です。「茶」の字は、冠部分が「十」が二つと、旁が「八十八」に分けられ、これを足すと「百八」になるからです。

111歳は「皇寿(こうじゅ)」です。「皇」のうち、「白」は「九十九」で、「王」の字は「十」と「二」からなり、これを足すと「百十一」になるからです。

119歳は、「頑寿(がんじゅ)」です。「頑」の字を、「二・八・百・一・八」に分解し、これを足していくと「百十九」になるからです・

120歳は、「昔寿(せきじゅ)」です。「昔」の字を分解すると、「廿(二十)」と「百」になるからです。「大還暦」とも言います。二度目の還暦という訳ですね。

ところで、このように見てくると、昔の人は「人生100年時代」を先取りしていたように見えます。70歳までは中国由来の呼び方のようですが、70歳を超えた年齢の呼び方はどうも日本人特有の「漢字遊び」のように思われます。

ところで、「ますだおかだ」の岡田圭右さんがMCの、「クイズ!脳ベルSHOW」(BSフジ、平日22時~22時55分)というクイズ番組がありますが、この「漢字遊び」は、その中の「マッチ棒クイズ」のようで面白いですね。

4.掛け算で表す年齢の異称

なお、こういう「節目の年齢」ではありませんが、中国六朝時代の東晋の有名な詩人陶淵明(365年~427年)が、自分の子供達の出来が悪いのを嘆いて酒をあおる「子を責む」という詩があります。ここで「十六歳」の子供を「二八」と言っています。2×8=16という訳です。長いですので一部だけ引用します。

子を責む 白髪は両鬢を被い 肌膚復(ま)た実(ゆたか)ならず 五男兒有りと雖(いえど)も 総べて紙筆を好まず 阿舒は二八(にはち)なるに 懶惰なること故(まこと)に匹(たぐい)無し・・・

意味は、白髪は両方の鬢をおおい、皮膚はもう色艶を失ってしまった。男の子が五人いるが、全員が勉強嫌いと来ている!長男の阿舒は十六歳になるが、類まれな怠け者だ。・・・

あの陶淵明さんも、子供のことでは色々と悩みが多かったようですね。「帰去来の辞」から想像すると、わずらわしい役人生活をすっぱり辞めて、念願の故郷の田園での悠々自適・晴耕雨読の生活を始めて、家族仲良く穏やかで幸福な後半生を送ったと思いきや、現実は厳しく「歳月人を待たず」の詩の前半部分(若い時は二度と来ないのだから、大いに遊んで楽しもう)を地で行くようなドラ息子に、年老いてから悩まされたようです。それで、やけ酒をあおって「飲酒二十首」が出来たのでしょうか?そうだとすると、折角の陶淵明もイメージダウンですが、それが「現実」というものかも知れませんね。

蛇足ですが、「二八(にはち)蕎麦」は、つなぎ(小麦粉)が2割・蕎麦粉が8割の蕎麦のことです。「二八(にっぱち)」と言えば、商売の閑散期である2月と8月のことです。



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