「哲学の道」と「散歩の効用」

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哲学の道

古代ギリシャの学者の一派に「逍遥学派」というものがありました。これは、アリストテレスが創設した古代ギリシャの哲学者のグループで、彼の学園であるリュケイオンの学徒の総称です。彼は逍遥(散歩)しながら講義を行ったので、こう呼ばれるようになりました。

「善の研究」という哲学書で有名な哲学者の西田幾多郎は、京都大学教授のころ、現在「哲学の道」とよばれる白川通り近くの小径を逍遥しながら、哲学の思索にふけったと言われています。

彼は「京都学派」という哲学者グループを創始しましたが、アリストテレスの「逍遥学派」に倣って、「哲学の道」を「京都学派」の人々と歩きながら思想を育んで行ったそうです。

この「哲学の道」は、永観堂付近の若王子(にゃくおうじ)橋を南端として、銀閣寺橋を北端とする鹿ケ谷琵琶湖疎水沿いの道(約1.5km)で、以前は何もない小径でした。

しかし、1921年(大正10年)に、近くに居を構える日本画家の橋本関雪夫妻が京都市に300本の桜の苗木を寄贈して、桜の並木道にしたことで、観光客にも知られるようになり、今では観光客がそぞろ歩きを楽しむ「京都で最も人気のある散歩道」になっています。初夏にはゲンジボタルの乱舞も見られるそうで、秋の紅葉も見事です。

ドイツの哲学者のカントは、毎日決まった道を決まった時間に散歩するのを習慣としていたそうで、近くの農民は、「今、カントさんが散歩しているから、〇〇時」だと「時計代わり」にしていたそうです。「判で押したような毎日の散歩」を続けることで、余計なことを考えずに思索に集中しようとしたのかも知れません。

フランスの哲学者のジャン・ジャック・ルソーや大作曲家のベートーヴェンも「散歩愛好者」だったそうです。

日本の文豪森鴎外や夏目漱石も、散歩を愛したそうです。鴎外か漱石かどちらが書いていたのか忘れましたが、彼らの好んだ散歩は、決まったコースを決まった時刻に歩く散歩ではなくて、「ただあてもなくうろつく。そこに何か発見がある」という風な散歩だったように思います。それが本来の散歩だと私も思います。

漱石が大学予備門時代に正岡子規と散歩をしていて、田圃の稲を見て「あれは何という植物だい?」と聞いたそうです。子規は、「あれは、僕たちが毎日食べている米が出来る稲という植物じゃないか」と教えてやったのですが、漱石が稲を知らなかったことに驚いたそうです。

しかし、漱石は「明治」になる前年の1867年に江戸の牛込に生まれた「都会人」なので、田圃を見たことがないか、あってもそこで稲が作られていることに気付かなかっただけでしょう。「見れども見えず」だった訳です。しかし、散歩のおかげで、「稲」をしっかり認識できるようになったので、これも「散歩の効用」と言えるでしょう。

私は、「散歩」も含めてですが、「歩き回る」ことは、「頭の働きを活性化する」働きがあるように感じています。学生時代、何か「暗記物」がある時、机の前に座っていないで、歩き回りながら覚えたものです。その方が確かに覚えやすかったように思います。まだ、試したことがない方は、ぜひ一度お試しください。

多分、じっと座っていると、肩も凝るし、血の巡りが悪くなるのでしょう。それに対して、歩き回ると、リラックスできて血流がよくなるからではないでしょうか?

今回、「散歩の効用・効果」に科学的根拠があるのか調べて見ると、「歩くと心臓と肺の活動が活発になり血液の循環がよくなり、脳の前頭葉に酸素が送り込まれて、注意力・思考力・意欲などが13%もアップすることが、研究で証明されている」そうです。

また、「歩くことによって脳内物質の『セロトニン』が分泌され、爽快感と前向きな気持ちを感じることができ、意欲が高まる」そうです。



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