「夏目漱石」や「正岡子規」も「カンニング」をしていた!

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正岡子規

2011年、京都大学の二次試験を受験した予備校生が、試験時間中に携帯電話でインターネットの掲示板「Yahoo!知恵袋」に「設問」を書き込み、「解答」の提供を受けたという事件がありましたね。

予備校生は、京都府警に「偽計業務妨害容疑」で逮捕されましたが、山形家裁は「不処分決定」をしました。

中国で1,300年もの長きにわたって行われた「科挙」という官僚登用試験でも、さまざまな「カンニング」が行われたようです。

たとえば、カンニング用の手のひらに収まるほど小さい豆本や、数十万字に及ぶ細かい文字をびっしり書き込んだカンニング用の下着が現存しているそうです。

しかし、豆本や下着に書いた細かい文字を、試験監督者の目を盗んでどうやって読んだのでしょうか?多分あえなく見つかって、せっかく苦労した細工も水泡に帰したのではないでしょうか?

明治の文豪である夏目漱石も大学予備門(旧制一高の前身、現在の東京大学教養学部)の入学試験の時、数学の試験でカンニングをしたことがあるそうです。漱石はカンニングのおかげで試験に通ったのに、カンニングされた相手は気の毒なことに不合格になったそうです。「私の経過した学生時代」に次のように書いています。

『これは、大学予備門の入学試験に応じた時のことであるが、確か数学だけは隣の人に見せて貰ったのか、それともこっそり見たのか、まアそんなことをして試験はっとすましたが、可笑おかしいのは此の時のことで、私は無事に入学を許されたにもかかわらず、その見せてれた方の男は、可哀想にも不首尾に終ってしまった』

夏目漱石の友人でもあった俳人正岡子規も、大学予備門の入学試験の時、英語の試験でカンニングをしたことがあるそうです。「judicature」の意味が分からなかった子規が、隣の男に聞いたところ、「ほうかん」と言われました。本当は「法官」(裁判官)という意味だったのですが、子規は勘違いして「幇間」(太鼓持ち)と解答用紙に書いたそうです。

漱石のカンニングの話と非常によく似た話ですが、偶然の一致でしょうか?それとも、その頃(明治17年頃)は入学試験も、非常におおらかなものだったのでしょうか?

「墨汁一滴」に次のように書いています。

『余が大学予備門の試験を受けたのは明治十七年の九月であつたと思ふ。この時余は共立学校(今の開成中学)の第二級でまだ受験の力はない、殊に英語の力が足らないのであつたが、場馴ばなれのために試験受けようぢやないかといふ同級生が沢山あつたのでもとより落第のつもりでたわむれに受けて見た。用意などは露もしない。ところが科によると存外たやすいのがあつたが一番困つたのは果して英語であつた。活版ずりの問題が配られたので恐る恐るそれを取つて一見すると五問ほどある英文の中で自分に読めるのは殆どない。第一に知らない字が多いのだから考へやうもこじつけやうもない。この時余の同級生は皆片隅の机に並んで坐つて居たが(これは始より互に気脈を通ずる約束があつたためだ)余の隣の方から問題中のむつかしい字の訳を伝へて来てくれるので、それで少しは目鼻が明いたやうな心持がして善い加減に答へて置いた。その時或字が分らぬので困つて居ると隣の男はそれを「幇間ほうかん」と教へてくれた、もつとも隣の男も英語不案内の方で二、三人隣の方から順々に伝へて来たのだ、しかしどう考へても幇間ではその文の意味がさつぱり分らぬのでこの訳は疑はしかつたけれど自分の知らぬ字だから別に仕方もないので幇間と訳して置いた。今になつて考へて見るとそれは「法官」であつたのであらう、それを口伝へに「ホーカン」といふたのが「幇間」と間違ふたので、法官と幇間の誤などは非常の大滑稽であつた。
それから及落きゅうらくの掲示が出るといふ日になつて、まさかに予備門(一ツ橋外)まで往て見るほどの心頼みはなかつたが同級の男が是非行かうといふので往て見ると意外のまた意外に及第して居た。かへつて余らに英語など教へてくれた男は落第して居て気の毒でたまらなかつた』

詩人の石川啄木は、カンニングが原因で、盛岡尋常中学校を退学しています。

ところで、私が最近になって聞いた話で驚いたことがあります。ある私立大学の学期試験では、「教科書・参考書などの持ち込みOK」だそうです。

これは、「カンニングOK」と言っているのと同じことだと思うのですが、こうでもしないと、「不可」の学生が大量に出てしまうからなのでしょうか?

「カンニング」の語源となったのは、英語の「cunning」(狡猾な、ずる賢い)ですが、日本語の「カンニング」は英語では、「cheating」(不正行為)と言います。



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