高槻市の「安満遺跡公園」がオープン!「市民の憩いの場」「歴史学習の場」「防災公園」として期待大きい

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安満遺跡公園

わがふるさと「高槻市」は、古くからの歴史がある町です。

1.安満遺跡

高槻市は、約2500年前の「弥生時代」から人々が住み、農耕生活を営んでいました。現在の高槻市役所の建物を建設するに当たって、田畑の下を発掘したところ、弥生時代の農機具が多数発見されました。

高槻市の遺跡としては、「安満遺跡」「古曽部・芝谷遺跡」「天神山遺跡」「郡家今城遺跡」があります。

今年3月23日(土)に、従来京都大学農学部の農場があった跡地が「安満遺跡公園」として整備され、オープンします。

弥生時代の安満遺跡は、国宝級の歴史的価値があるとされています。敷地面積は約22haで甲子園球場5個分もあります。今回(3月23日)の一次開園は4haです。JR高槻駅からも、阪急高槻市駅からも徒歩圏内で、八丁松原とともに周辺道路も整備されました。なお全面開園は2021年の予定です。

この「安満遺跡公園」は、高槻の新たな「ランドマーク」です。これからは、「市民の憩いの場」として、また「歴史学習の場」「防災公園」として活用されることを期待したいと思います。

2.高槻城

高槻城

江戸時代は高槻藩の城下町で「久米路山龍ケ城」と呼ばれた高槻城が威容を誇っていました。10世紀末の990年に近藤忠範が久米路山と呼ばれる小丘に築城したのが始まりと言われています。

その後、1553年に芥川山城に三好長慶が入城した時、高槻城は支城となっていました。織田信長が摂津に侵攻し、1568年に芥川山城を落城させると、高槻城は無血開城します。

信長から高槻城を与えらえた和田惟政は、高槻城を本城として近代城郭を作り上げます。その後城主は高山右近、内藤信正、土岐定義などを経て、江戸時代の1649年以降は永井氏が城主となり明治維新を迎えます。

最終的な高槻城の規模は、南北630m、東西600mに及ぶ広大なものでした。

鉄道敷設用の資材として石垣などを利用するため、1874年に高槻城は破却されました。高槻城の跡地には「城跡公園」「しろあと歴史館」「大阪府立槻の木高校」「高槻市立第一中学校」「高槻現代劇場」などが建設されたほか、「野見神社」や「カトリック高槻教会」などもあります。

3.継体天皇陵(今城塚古墳)

今城塚古墳

継体天皇(450年?~531年)の前方後円墳は、現在「今城塚古墳公園」として整備されており、その中に「今城塚古代歴史館」があります。

彼は第26代天皇で、古事記や日本書紀にも「応神天皇の五世の子孫である」との記述があります。

<2019/9/2追記>

2019年7月6日に、大阪府の「百舌鳥(もず)・古市(ふるいち)古墳群」がユネスコの世界文化遺産に登録されたことで、「古墳巡り」の人気が高まっていますが、9月2日付けの日経電子版「NIKKEI STYLE」によれば、全国で一番人気の高いのは、「今城塚古墳」だそうです。

人気の秘密は「立ち入り自由な大王の墓」だからです。