「小僧寿し」が債務超過のピンチ。「すしチェーン店」の栄枯盛衰

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回転すし

<2023/5/7追記>「小僧寿し」は、現在は債務超過を脱し、株式注記も解消しています。

「小僧寿し」「茶月」に複数ブランド店舗を併設するリブランド化や既存店舗を宅配店舗へ転換するなど経営改善して、2019年12月期に連結ベースで債務超過を解消しました。

経営危機要因となった買収会社のデリズは、2020年8月に「とり鉄」などを運営するJFLAホールディングスと100店舗のエリアフランチャイズ契約を締結し、フランチャイズ加盟金の安定的収入元を得ました。

出前館やUberEatsなどで配達する体制がコロナ禍による需要に応え、2021年2月19日に債務超過を脱して株式注記が解消されました。

私が子供の頃は、寿司と言えば、お祝いの日やお客さんが来た時などに「寿司屋」から「出前」を取るのが一般的でした。

各家庭でも、巻き寿司やちらし寿司を作ったりすることもありましたが、やはり本職の作る寿司にはかないませんでした。

ところが、1980年ころから「持ち帰りすしチェーン」や「回転すしチェーン」が続々と誕生しました。

その一つである「小僧寿し」が今債務超過のピンチに立っているとの報道(*)がありました。

(*)2018年12月期に連結ベースで債務超過となり、継続企業の前提に関する注記が付され、2019年3月27日に東京証券取引所から上場廃止の猶予期間入りに指定され、株主優待を廃止しました。

今回はこのような「すしチェーン店」の栄枯盛衰についてご紹介したいと思います。

1.「持ち帰りすしチェーン」

「持ち帰りすしチェーン」を最初に手掛けたのは、すし三崎丸を運営する「株式会社京樽」です。元々京都で割烹料理店として創業したのですが、1952年から上方寿司を主とする「持ち帰り店」を出店し、徐々に直営のチェーン店を広げていったのです。しかし京樽は、競争激化で1997年に会社更生法の適用を受けて倒産しました。現在は吉野家ホールディングスの子会社となって経営を再建し、事業を継続しています。

その後、芸能人の太田博之氏が始めた「小銭すし」や「小僧寿し」などの「持ち帰りすしチェーン」が続々と誕生しました。「小銭すし」はいつの間にか倒産していました。

一方「小僧寿し」は1979年には年商531億円をあげて「外食産業日本一」になりました。1980年代には直営店・フランチャイズ加盟店を合わせて2000店舗に膨れ上がり、1991年にはチェーン全体の売上高が1000億円を超えました。

しかしその後、「回転すしチェーン」が台頭したことや、宅配専門店、百貨店やスーパーも寿司販売に力を入れ始めたため競合が激化し、2000年代以降は赤字体質が定着したようです。

2.「回転すしチェーン」

「回転すしチェーン」を最初に手掛けたのは「元禄寿司」で、工場のベルトコンベアにヒントを得た「コンベア旋回式食事台」を1957年に完成し、1958年に大阪府東大阪市に「廻る元禄寿司」1号店をオープンしました。

その後、「かっぱ寿司」「くら寿司」「スシロー」などの「回転すしチェーン」が続々と誕生したことは皆さんご存知の通りです。

3.「すしチェーン店」の栄枯盛衰

安価で手軽に寿司が食べられるようになったのは、「持ち帰りすしチェーン」や「回転すしチェーン」の功績ですが、出店競争の激化で各チェーン店が競合して市場が飽和状態となり、経営が苦しくなったのです。

競争による自然淘汰によって。最適規模にまで縮小しないと現在の状況は変わらないと私は思います。

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