平成天皇・皇后が皇太子・皇太子妃時代を含めて私には一番親しみ深い皇室の方

フォローする



平成天皇・皇后

平成の時代の終わりにあたり、平成天皇・皇后(2019年5月1日以降、存命中は「上皇」「上皇后」と呼ぶのが正しいのですが、わかりやすいようにこう記します)ならびに昭和天皇についての思い出をご紹介します。

1.平成天皇・皇后の思い出

平成天皇が皇太子時代に、ヴァイニング夫人と小泉信三氏という二人の良き教師に恵まれ、日本国憲法下の「象徴としての天皇」の「あるべき姿」を真摯に求め続けて来たことは尊敬に値します。

アメリカ人のヴァイニング夫人が皇太子の家庭教師に起用されたのは、GHQからの押し付けではなく、昭和天皇のたっての希望だったそうです。自分も『人間宣言』をして現人神(あらひとがみ)ではなくなったことだし、これからはアメリカをはじめ海外との交流も出て来るので、欧米流の考え方を身に付けさせるとともに、英語も堪能になるようにとの「親心」だったのでしょう。

そしてもう一人、最も重要な役割を果たしたのが正田美智子さんです。「軽井沢のテニスコートでの出会い」をきっかけに誕生した皇族や旧華族でない初の「平民」出身の皇太子妃です。

この結婚には、良子皇后をはじめ皇族などから猛烈な反対意見があったそうです。今から考えると「戦前の身分制度に基づく時代錯誤も甚だしい意見」です。しかし昭和天皇の「皇室に新しい血を」という強い意向で結婚が実現したようです。

彼女が「婚約記者会見」で皇太子の印象について話した「とてもご清潔でご誠実なご立派な方で心からご信頼申し上げ・・・」という発言が注目を集め、「ご清潔でご誠実」が流行語になり、「ミッチー・ブーム」が巻き起こりました。

彼女は皇太子妃時代も、皇后になってからも様々ないじめや不当なバッシングを受け、大変苦労されました。

皇太子が「温かい家庭の味」「父母の愛情」を知らずに育ったことへの反省から、普通の家庭と同じように浩宮・秋篠宮・紀宮の3人の子供を自分たちで育てました。皇太子の「社会への窓」を開かれたのは、紛れもなく正田美智子さんです。

しかし、皇室バッシングや心ない新聞・雑誌記事などが原因となった極度のストレスから「失声症」になられたりしましたが「皇室の一員としての責任感」からじっと耐え忍ばれ、皇太子・天皇を支え続けて来られました。

1998年の「第26回国際児童図書評議会ニューデリー大会」での皇后の格調高い英語での基調講演「子供の本を通しての平和ー子供時代の読書の思い出ー美智子」を、私は日本語のビデオで見ましたが、とても内容が濃いもので、皇后の深い教養と品格を感じさせる感銘深いものでした。新美南吉の「でんでんむしのかなしみ」という童話はこれによって大変有名になりましたね。

そして、天皇・皇后は甚大な天災が起こった時には、率先して被災地を慰問に訪れ、被災者に寄り添う姿勢を実践して見せられました。また昭和天皇亡き後、昨年まで「太平洋戦争の慰霊の旅」を精力的にこなされました。

そして高齢のため、天皇としての職務をきちんと遂行することが難しいと判断して「生前退位」の要望を出されたのも、ヴァイニング夫人の「自分の頭で考えなさい」という教えが生きているように思います。

こう見て来ると、平成天皇と皇后は、日本国憲法の「象徴としての天皇・皇后」の役割を見事に果たされるとともに、「理想の夫婦像」を実践して見せられたように思います。

「おしどり夫婦」や「比翼連理」というと通俗的な感じがしますので、ここで平成天皇と皇后の夫婦像にぴったりの「挙案斉眉(きょあんせいび)」という四字熟語をご紹介します。これは、「妻が夫に礼儀を尽くして尊ぶたとえ。また、夫婦が互いに礼儀を尽くし、尊敬して仲が良いたとえ」です。出典は後漢書の梁鴻伝です。

2.昭和天皇の思い出

私は昭和24年生まれですので、幼少時代から40歳までの期間は「昭和天皇」の時代です。昭和天皇と言えば、口癖の「あっ、そう」が流行語になるほど親しみやすい人柄でした。

昭和20年8月15日の「終戦の詔勅」の「玉音放送」(私はこの時はまだ生まれていませんので、後で何回も流された録音で知っているだけです)や毎年終戦記念日に行われる「全国戦没者追悼式」での「お言葉」の独特のイントネーションが面白くて、わが家では親しみを込めて「天ちゃん」というあだ名を奉っていました。

自然を愛するという点でも私は親しみを覚えるのですが、「雑草と言う名の草はない」と言って侍従たちを戒めたエピソードが印象的です。

天皇の御座所には「広芝」と呼ばれる広い庭があり、キジやコジュケイなどの野鳥が飛来して天皇のお気に入りだったそうです。

しかし広い庭のため、草の種があちこちから飛んで来て、夏になると草ぼうぼうになります。戦後すぐの夏のこと、天皇と皇后が那須の御用邸に避暑に行って秋口に帰る予定になっていました。天皇か帰って来た時に草ぼうぼうでは見苦しかろうと思い、侍従たちが手分けして懸命に草刈りをしたそうです。

天皇は帰って来ると、「この庭の草を刈ったのは誰か?」と質問されたので、侍従は「ずいぶん手を尽くして雑草を刈ったのですが、これだけ残ってしまいました。いずれきれいに致します」と答えました。

これに対して天皇は、「何を言っているのか?雑草という草はない。どの草にも名前がある。そしてそれぞれ自分の好きな場所を選んで生を営んでいる。それを人間の一方的な考えでそれを刈って掃除してはいけない」と諭したそうです。

この「草ぼうぼうの荒れ放題の庭を良しとする考え方」「Let it be.」に私は賛同できませんが、自然を愛する心根の優しい昭和天皇らしいエピソードではあります。