マッカーサー元帥が「老兵は死なず、ただ消え去るのみ」という言葉に込めた思い

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マッカーサー

「老兵は死なず、ただ消え去るのみ」(Old soldiers never die,but fade away)という言葉は、GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)のマッカーサー元帥の有名な言葉です。

1.マッカーサーとは

日本は太平洋戦争に敗れた結果、マッカーサー(1880年~1964年)を「連合国軍最高司令官」とするGHQ(進駐軍)に1945年(昭和20年)から1952年(昭和27年)までの間占領されました。彼はその間、日本に君臨していわゆる「民主化政策」を次々と実行しました。

具体的には、「武装解除」、「極東軍事裁判」、「国民主権・象徴天皇制・戦争放棄・男女同権を柱とする日本国憲法の制定」、「財閥解体」、「農地改革」、「治安維持法の廃止と政治犯の釈放」、「学制改革」などです。

日本の占領統治についてはこのように順調な成果を収めたマッカーサーですが、アメリカの対極東戦略については蚊帳の外でした。中国では腐敗しきった蒋介石の国民党軍が国民の支持を失い。毛沢東率いる中国共産党が支配することになります。

共産主義陣営との対立は、38度線を境に、アメリカとソ連が統治していた朝鮮半島でも顕在化します。しかし彼もトルーマン大統領も、朝鮮半島をアメリカの防衛線の一部と考えず、大韓民国軍に任せてアメリカ軍の撤収を進め、1949年には「480名の軍事顧問団」を残すのみとなりました。しかし、大韓民国軍は寄せ集めの軍隊で到底「精鋭部隊」とは言えませんでした。

緊迫する朝鮮半島情勢に対する認識が甘く、1950年にソ連の支援を受けた北朝鮮軍が大韓民国への侵略を開始し、わずか4日でソウルを占領してしまいます。その結果、朝鮮戦争(1950年~1953年)でのアメリカを中心とする国連軍の苦戦を招きます。彼は国連軍総司令官として奮闘し、不利な戦況を逆転しますが、戦争遂行方針を巡ってトルーマン大統領と対立することになります。

この朝鮮戦争のアメリカの苦戦(現在も休戦状態のまま)の責任は、マッカーサーだけの責任ではなく、トルーマン大統領の朝鮮半島に対する関心の低さや認識の甘さもありましたが、結局トルーマン大統領によって1951年に解任されることになりました。

2.この言葉の真意

表面的には、「後任に全てを譲り、さわやかに身を退きたい」ということです。

しかし、彼には「後任のリッジウェイは日本や朝鮮半島のことが何もわかっていない。自分こそが戦後の日本および朝鮮半島を掌握しまとめて来た」という誇りがあり、どうしようもない諦めの気持ちが滲み出ているようです。

「老驥(ろうき)櫪(れき)に伏すとも、志千里に在り」という言葉が「曹操ー碣石篇」にありますが、マッカーサーの本心はこれだったのではないでしょうか?

朝鮮戦争において、マッカーサーは中国東北地区攻撃や原爆使用などをトルーマン大統領に進言しますが、拒否され、挙句の果てに解任されることになったのです。

核兵器の使用の是非については、さまざまな議論があり得ますが、現在の朝鮮半島情勢を見ると、結局アメリカ本土までを射程距離に収める北朝鮮の核の脅威に曝される結果となっています。そういう意味で「禍根」を残しました。