テレビの生放送には「ハプニング」がつきものです。昔は「生放送」が当たり前でしたが、最近はほとんどが「録画」で「生放送」の方が珍しくなりました。
今回は、そんな「テレビの生放送中のハプニング・事故」を最近のものから、懐かしいものまでいくつかご紹介します。
1.「8時だョ!全員集合」でのハプニング
「8時だョ!全員集合」は誰もが知っている「伝説のお化け番組」ですが、1969年10月の放送開始から1985年9月放送終了までの16年間にわたってずっと「生放送・公開放送」で続けられた最近では大変珍しい番組です。
生放送ならではのハプニング・アクシデント・トラブルがたくさんありました。
①番組冒頭での「大停電」
生放送開始直前に会場ホールが突然停電となるハプニングがありました。停電中は真っ暗な中で、懐中電灯を点灯させてゲストを紹介しました。
番組冒頭で真っ暗になった会場を映し、「8時だョ!おっ!」の掛け声のあと、通常通りのタイトルロゴを出しました。いったん電気は復旧して、いかりや長介さんが「8時だョ!ちょっと遅れたかな?」との掛け声を行ったあとにまた停電しました。その時バックバンドのファンファーレが鳴り、他のメンバーもようやくステージに上がることが出来ました。
停電の間はやむを得ずスポットライトでステージを照らし、いかりや長介さんが「8時9分半だョ!」の掛け声をかけた後、いつもより早いペースの演奏でスタートしました。
②探検隊コント(サブタイトル「ドリフの地上最悪の山」)の途中で、ピストルの火花が小道具の蛇に着火して炎上しました。観客や視聴者は「これも演出か」と思いましたが、予定外のことでした。すぐに消し止められ、負傷者もいませんでしたが、会場内の非常ベルが鳴り、その時点でコントは中止となりました。
③「民宿コント」で、「爺さん役の加藤茶さんが建付けの悪い押入れのふすまを勢いよく閉めると、その衝撃で隣のトイレのセットまでもが傾き、中に入っている婆さん役の志村けんさんがその弾みで壁を突き破って外に飛び出す」という予定でした。ところが本来なら傾いた状態で止まるはずのトイレのセットが完全に倒れ、うつ伏せに倒れた志村けんさんが下敷きになりました。加藤茶さんと高木ブーさんがトイレのセットを持ち上げて、志村けんさんは自力で這い出しましたがほぼ無傷でした。
<2020/4/1追記>
志村けんさんが「新型コロナウイルス肺炎」で3月29日に亡くなりました。享年70で、私と同じ「団塊世代」でした。ご冥福をお祈りするとともに、全国民に親しまれるキャラクターで多くのコメディーを演じられたことに感謝したいと思います。
2.元KARAハラの衣装ハプニング
2019年6月26日、テレビ東京「テレ東音楽祭」に生出演し、仕事復帰を果たした元KARAのハラさんは、これが韓国の自宅で自殺未遂騒動後初のテレビ出演でした。
番組では、日本のガールズグループ「Chuning Candy」とともに、KARAの日本デビュー曲「ミスター」を熱唱しました。
ところが、パフォーマンス中に衣装の一部がずれてしまうハプニングがありました。
歌唱後、MCの国分太一さんが「ハラさん、ちょっとハラハラしてしまう場面がありましたね」と話しかけると、彼女は「はい。ちょっとハラハラしました。頑張りすぎちゃって・・・。皆さんごめんなさい」と頭を下げていました。
<2019/11/25追記>
ハラさんは、2019/11/24に韓国の自宅で死去しました。自殺ではないかとみられています。
3.「笑っていいとも」のテレフォンショッキングでのハプニング
(1)志村けんのドタキャン事件
タモリ:「明日なんですけど、大丈夫でしょうか?」
志村:「ダメです」
観客笑い
志村:「明日ゴルフなんですよ」
タモリ:「明日ゴルフ?ダメですか?」
志村:「はい。だって明日ゴルフだもん」
何だかタモリさんと志村けんさんの「コント」を聞いているみたいですね。
(2)一般人がテレフォンショッキングに出演事件
1984年4月23日のテレフォンショッキングで、誤って別の一般人にかけてしまいました。タモリが冗談で「明日来てくれるかな!?」と問いかけると、その一般人が「いいとも!」と答えたため、その次の日から3日間、本コーナーの前に「一般人がゲストのテレフォンショッキング」が行われました。その次に紹介された4人目が出演を拒否したため、一般人の出演は3人で終了しました。
(3)黒柳徹子の番組ジャック事件
1984年に黒柳徹子さんが出演した時のことです。事前の打ち合わせをせずに友達に電話をしまくり、ほとんどの友達に都合がつかず、やっとOKが出たところで番組が終了し、他の出演者の出番が全然なかったということがありました。ちなみに黒柳徹子さんの出演時間は43分間でした。
4.トットてれびの世界
黒柳徹子さんと言えば「テレビ界のレジェンド」、テレビの歴史と共に歩み続けている「生き字引」のような人です。
黒柳徹子さんが活動を始めたテレビの初期の時代は、録画ではなくほとんど「生放送」でした。当然のことながら「ハプニングだらけ」です。
彼女のエッセイ「トットひとり」「トットチャンネル」をドラマ化した「トットてれび」に出て来たハプニングをいくつかご紹介します。
(1)夢であいましょう
1961年から5年間、毎週土曜日夜10時から30分間、生放送された「音楽バラエティー」です。渥美清、E・H・エリック、谷幹一、三木のり平、坂本九、デュークエイセス、坂本スミ子などが出演していました。歌とコント・ギャグのバラエティーでした。
寸劇「アダムとイブ」で、イブ役の彼女がリンゴを手に取ろうとすると、小道具のリンゴがありません。スタッフの誰かが、小道具とは知らずに食べてしまっていたのです。そこでスタッフがあわてて放送局の近くの果物店でリンゴを買って来て、何とか間に合わせたというハプニングがあったそうです。
(2)若い季節
1961年から1964年まで、毎週日曜日夜8時からの45分間、生放送されたテレビドラマです。
水谷良重、ハナ肇とクレージーキャッツ、坂本九、淡路恵子などが出演していました。
若い季節では、放送開始早々からセットが壊れてしまったり、脚本が出来上がるのがぎりぎりのために、出演者がセリフを覚えていなかったりで大混乱したこともあるそうです。
そこで、放送終了時間前でしたが、彼女がとっさに「終」と書いたボール紙をテレビカメラの前に掲げて事なきを得たこともあったそうです。古き良き時代だったのですね。
5.中村勘三郎の「トリス坊や」の失言事件
この話は、私が実際にテレビを見た話です。
中村勘三郎(1955年~2012年)が、中村勘九郎と名乗っていた子供時代の話です。サントリーのCMタレントとして「トリス坊や」という名前で濃縮ジュースの「トリスコンクジュース」のコマーシャルを担当していましたが、契約期限が来て最後の出番となった時の出来事です。
司会者の女性から、「今日がトリス坊やとしては最後の出番となりますね。今日は何でもいいから好きなことをしゃべってね」と振られて、彼は「何でもしゃべっていいの?」と念押しした上で、「本当はね、このジュースはあんまり美味しくないの」と言ってしまったのです。
私が中学生の時だったと思いますが、「契約打ち切りとはいえ、これはまずいことを言ったのではないか?今までのトリス坊やとしてのイメージが台無しというかぶち壊しになったな」と直感的に思いました。
司会者の女性は、一瞬凍り付きました。そして大変なうろたえようで、「そ、そうですか?私はとても美味しいと思いますよ・・・」とか何とかしどろもどろでフォローしていました。
これが生放送の恐さです。今考えると、子供に「何でも好きなことをしゃべっていい」と言えば、スポンサーに忖度した「これからもトリスコンクジュースをよろしくね」のような商品の宣伝は言わずに、腹いせということはなくても、不満をぶちまけたり正直に本音をしゃべることは、スポンサーにも予測できたのではないかと不思議な気もします。