今城塚古墳(継体天皇陵)は出入り自由で最も人気のある古墳!

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継体天皇陵

高槻市は歴史の古い町ですが、全国的に知られているのはキリシタン大名の「高山右近」と「今城塚古墳(継体天皇陵)」、「高槻ジャズストリート」ぐらいでしょうか?

そこで今回は「今城塚古墳(継体天皇陵)」についてご紹介したいと思います。

1.今城塚古墳(継体天皇陵)とは

今城塚古墳(いましろづかこふん)は、大阪府高槻市郡家新町にある前方後円墳で、「国の史跡」に指定されています。造営時の6世紀前半では最大級の古墳で、淀川北岸では最大の古墳です。規模は、全長350m、全幅342m、墳丘長186m、高さ12m(前方部)です。

宮内庁の治定は受けていませんが、継体天皇(450年?~531年)の真の陵とする説が有力で、発掘調査が可能な大王陵です。1997年から高槻市立埋蔵文化財調査センターが保存と公開に向けて継続的な発掘・測量調査を開始し、2011年に復元・整備事業が完了しました。

この今城塚古墳は、現在「今城塚古墳公園」として整備されており、その中に「今城塚古代歴史館」があります。

彼は第26代天皇で、古事記や日本書紀にも「応神天皇の五世の子孫である」との記述があります。

(1)今城塚古墳が「継体天皇陵」であることが有力な理由

①条里制の研究からの推理

「今城塚古墳=真の継体天皇陵」という説を最初に唱えたのは、旧制茨木中学(現大阪府立茨木高校)で歴史と修身を教えていた歴史学者の天坊幸彦(てんぼうゆきひこ)氏です。天坊氏は古代条里制を研究し、摂津国嶋上・嶋下両郡の郡境を示して、嶋上郡にある今城塚古墳こそ「延喜諸陵式」に言う「継体天皇三嶋藍野陵」(三嶋藍野陵。磐余玉穂宮御宇継体天皇。在摂津国嶋上郡、兆域東西三町、南北三町、守戸五烟。)であると結論づけたのです。

江戸時代の学者たちは、三嶋藍野陵の「藍野(あいの)」に着目して、茨木市にある「安威(あい)」という地名と音が似ていることから、太田茶臼山古墳を継体天皇陵と推定したのです。

しかし、「安威」は嶋上郡ではなく嶋下郡にあり、嶋上郡にある大規模古墳と言えば今城塚古墳しかありません。このような推理を経て天坊幸彦氏は「今城塚古墳=真の継体天皇陵」という結論に達したのです。

②築造時期からの推理

宮内庁が「継体天皇陵」と治定している「太田茶臼山古墳」は周辺の出土品から5世紀中葉の築造と推定されるのに対し、「今城塚古墳」は6世紀前半の築造と見られ、継体天皇の亡くなった年(531年)と符合するからです。「太田茶臼山古墳」は継体天皇以前の天皇か有力豪族の墓と考えられます。

③発掘調査による出土品からの推理

埴輪今城塚古墳

発掘調査の結果、大王クラスの古墳ならではの特徴が次々に発見されました。中でも特筆すべきは、埴輪祭祀区の存在です。その区画規模は東西約65m、南北約6mと日本最大です。

出土した埴輪の種類も、人物埴輪から動物埴輪、家形埴輪、器財に関わる埴輪まで、実にさまざまです。今城塚古墳に眠る被葬者の権力がいかに強大であったかが偲ばれます。現在、埴輪祭祀区には出土した埴輪のレプリカが並べられ、埴輪による古代の祭祀の様子が再現されています。

(2)今城塚古墳公園

今城塚古墳高槻市HP

2019年7月6日に、大阪府の「百舌鳥(もず)・古市(ふるいち)古墳群」がユネスコの世界文化遺産に登録されたことで、「古墳巡り」の人気が高まっていますが、9月2日付けの日経電子版「NIKKEI STYLE」によれば、全国で一番人気の高いのは、「今城塚古墳」(継体天皇陵)だそうです。

今城塚古墳親子で遊ぶ

この「今城塚古墳公園」の人気の秘密は「立ち入り自由な大王の墓」だからです。それに、仁徳天皇陵ほど大きくないため、古墳の丘に登ってぐるりと一周して「前方後円墳」を簡単に体感することができるのも魅力です。

私は、現在のように公園として整備される以前に何回もこの古墳を訪れています。そのころは、水のない外周の土手のどこからでも出入りできて、濠になった部分は釣り池のようで、老人がのんびりと釣り糸を垂れていました。またクヌギ林にはクワガタムシなどもいました。

2.宮内庁が「継体天皇陵」とする「太田茶臼山古墳」は誰の古墳なのか?

太田茶臼山古墳空撮

(1)太田茶臼山古墳は本当は誰の古墳か

太田茶臼山古墳(おおだちゃうすやまこふん)は、大阪府茨木市太田にある前方後円墳です。実際の被葬者は明らかではありませんが、江戸時代の学者の説に従って明治時代に宮内省(現宮内庁)によって「三嶋藍野陵(みしまあいののみささぎ、三島藍野陵)」とされ、第26代継体天皇の陵と治定されています。

5世紀中葉(古墳時代中期半ば)の築造と推定され、規模は墳丘長226m、高さ19.8m(前方部)です。

(2)宮内庁は古墳の発掘調査を認めるべき

太田茶臼山古墳宮内庁管理

太田茶臼山古墳も、今城塚古墳と同様に発掘調査をすれば、真の被葬者の手掛かりが何かつかめると思います。宮内庁としては、ここを「継体天皇陵」としてきた手前、「その必要性を認めない」ということかも知れませんが、これだけ「継体天皇陵」でない状況証拠があるのに調査を拒否するのは納得が行きません。

太田茶臼山古墳の真の被葬者は、当時この地域を支配していた有力豪族の「三島県主(みしまのあがたぬし)」一族ではないかと、私は勝手に想像しています。ちなみに「阿久刀神社」はこの一族の守り神です。

ユネスコの世界文化遺産に登録された「百舌鳥・古市古墳群」も、発掘調査を認めて、代表的な「仁徳天皇陵」については、一般公開も検討すべきではないかと思います。ただし、上空から見るのでなく、地上から普通に古墳の中に入ったら、ただの鬱蒼とした森で全貌がつかめず、前方後円墳を体感することができないので、人気はいま一つかもしれませんが・・・

3.継体天皇とは

継体天皇(450年?~531年)は、応神天皇5世の孫とされる第26代天皇で、武烈天皇の没後に越前(福井県)あるいは近江国(滋賀県)から大伴金村らに擁立されて即位したと言われています。

応神5世孫とされているものの、その間の系譜が明らかでないことから、地方の一豪族で、大和王権の混乱に乗じて皇位を簒奪(さんだつ)した新王朝の始祖とする見解が有力です。

古事記や日本書紀にある神武天皇が実在していたとすると皇室は2600年以上の歴史があることになりますが、「王朝交代説」によれば、第26代継体天皇は初代神武天皇から第25代武烈天皇までの皇統とは全く別の地方豪族だということです。継体天皇は、「実在と系譜が確実な最初の天皇」と言われています。