高野連は「夏の全国高校野球中止決定」を撤回すべき!

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夏の全国高校野球中止

<2020/6/11追記>高野連が今春センバツの代替試合開催を決定した件

「8月に無観客の甲子園で、各校1試合の対抗試合を行う」とのことで、「リモート開会式」も検討しているようです。

これはベストの選択ではないものの、3年生の高校球児の夢を打ち砕かないという意味で良い判断だったと思います。

5月20日に、「高野連」(日本高校野球連盟)は今年8月に甲子園球場で予定していた夏の全国高校野球の中止を決定しました。

「新型コロナウイルス肺炎」の感染拡大の影響を受けての「苦渋の決断」だったそうです。

中止の理由としては、地方大会を開催することが難しいことを挙げています。

具体的には、感染リスクを完全になくすことはできないこと、休校や部活動の休止が長期に及ぶため練習が十分ではなく選手のけがが予想されること、それに、夏休みを短縮する動きがある中、地方大会の開催は学業の支障になりかねないことなどとしています。

さらに夏の甲子園についても、全国から長時間かけて選手や関係者が移動することや集団で宿泊することなどを考慮すると感染のリスクは避けられないとしています。



1.中止の具体的理由について

まず、甲子園につながる地方大会については、
(1)全国各地でおよそ3800校が参加し、1か月後の6月下旬から8月初めにわたり、およそ250の球場を使って行われる地方大会の感染リスクを完全になくすことはきない

(2)休校や部活動の休止が、長期に及んでいて、練習が十分でない選手のけがなどの増加が予想される

(3)授業時間の確保のために夏休みを短縮し、登校日や授業日を増やす動きがある中、地方大会の開催は学業の支障になりかねない

(4)運営を担う役員や審判員を十分確保できず、治療や感染予防などに当たっている医療スタッフに対して、球場への常駐をお願いできないことが予想される

(5)公的施設の使用制限で、使用できる球場が限られる可能性があるとしています。

(6)また、甲子園球場で行われる全国大会については、開催期間が2週間以上に及び、代表校の選手や関係者が全国から長時間かけて移動して、集団で宿泊することなどを考慮すると感染と拡散のリスクを避けられないとしています。

2.高野連はリスクを取るべき

上の中止の具体的理由を見ていると、「どうしたら開催できるかを考える努力を放棄している」「可能性の低いリスクも挙げて、できない理由をわざわざ探している」「大会を開催して感染者が出た場合に自分たちが責任を追及されることを避けたいだけ」「緊急事態宣言解除前に中止決定を急いで行ったという印象を強く持つのは私だけでしょうか?

選手の気持ちを第一に考える姿勢が欠如しているようです。「中止決定」は今まで苦労を重ねながら今年夏の甲子園を目指して練習に励んできた高校球児の夢を無残にも打ち砕くもので、それを「コロナのせい」にした無責任極まりないものです。

コロナに対する考え方は、むやみに恐れるのではなく、「コロナとうまく共存する」という風に頭を切り替えるべきです。そうしないと、いつまで経っても(来年も)開催できません。

3.高野連は工夫や努力をせず、ただコロナを過剰に過大に恐れすぎているだけ

「地方大会の感染リスクを完全になくすことはできない」というの当たり前のことで、「事故が起こるリスクを完全になくすことはできない」と同様のことです。

「練習が十分でない選手のけがなどの増加が予想される」というのも、コロナ特有のことではなく、いつでも起こりうることです。

地方大会の開催は学業の支障になりかねない」というが、学業の挽回など大会終了後にいくらでも出来ることです。

役員や審判員を十分確保できず」というのも、努力・工夫をせずに最初から諦めている感じです。

医療スタッフに対して、球場への常駐をお願いできないことが予想される」というのも、努力・工夫をせずに最初から諦めている感じです。

使用できる球場が限られる可能性がある」というのも、努力・工夫をせずに最初から諦めている感じです。

感染と拡散のリスクを避けられない」というの当たり前のことで、「季節性インフルエンザに感染するリスクを完全になくすことはできない」と同様のことです。

どの理由を見ても、「何とかして開催させよう」という熱意は全く感じられないのです。「無観客試合」も考えられるし、宿泊施設の感染予防対策の徹底や、宿泊施設の分散なども考えられるはずです。

高野連の関係者の皆様がもしこのブログをご覧になっていれば、ぜひ再考をお願いしたいものです。「過ちを改むるに憚ること勿れ」です。過去に「正式決定」したことでも間違っていたことがわかれば改めればよいのです。

くれぐれもコロナを過剰に恐れて「羹(あつもの)に懲りて膾(なます)を吹く」愚を犯さないでほしいものです。