「補陀落渡海(ふだらくとかい)」は千日回峰よりスゴい究極の捨身行!

フォローする



補陀落渡海

皆さんは「補陀落渡海」という言葉をお聞きになったことがあるでしょうか?

私は信仰心の篤い近所の人から、和歌山県那智勝浦にある「補陀落渡海」で有名な天台宗の「補陀落山寺」の話を聞いて初めて知りました。

1.「補陀落」とは

そもそも「補陀落」とは、「観音菩薩の降臨する霊場であり、観音菩薩の降り立つとされる伝説上の山」です。

その山の形状は八角形で、インドの南端にあるとされていました。「補陀落山(ふだらくせん)」とも言います。

玄奘は、「大唐西域記」で、補陀落山は南インドのマラヤ山の東にあると記しています。中国では、浙江省の舟山群島を補陀落として観音信仰が広まりました。

日本では、熊野や日光が補陀落になぞらえられ、信仰を集めました。

2.「補陀落渡海」とは

「補陀落渡海」とは、「日本の中世に行われた、観音信仰に基づいて、熊野灘や足摺岬から小舟に乗って補陀落を目指す『自発的な捨て身を行って民衆を先導する捨身行』のこと」です。

基本的な形態は、南方に臨む海岸から行者が渡海船に乗り込み、伴走船が沖まで曳航し、綱を切って見送るというものです。場合によっては、さらに108個の石を身体に巻き付けて行者の生還を防止することもあったようです。

江戸時代になると、補陀落山寺の住職の事例のように、亡くなった人の遺体を渡海船に乗せて「水葬」するという形に変化したそうです。

最も有名なのは和歌山県那智勝浦の補陀落渡海で、「熊野年代記」によると、868年から1722年の間に、20回行われたそうです。

「渡海船」は、和船の上に入母屋造りの箱が置かれ、箱の中には行者と共に30日分の食物と水が入れられますが、入り口は板などで釘付けされ、箱が壊れない限り行者が外へ出られないようにします。

これは、「生還することなく遺骸となっても戻って来ないことが、浄土へ至った証」との思想に基づいています。

私は元々「閉所恐怖症」ではありませんが、2018年6月18日の「大阪北部地震」で、通勤電車の中に2時間半以上も閉じ込められた時のトラウマかも知れませんが、それ以降はエレベーターに乗った時など、「今地震が起きたらどうしよう」という不安がよぎることがあります。地下鉄なども極力乗りたくありません。

そういう訳で、「補陀落渡海」のような話を聞くと、恐怖体験が蘇りそうになります。

3.「千日回峰」などの荒行との違い

「千日回峰」は、比叡山延暦寺の天台宗の僧侶が、修行のために行う荒行です。これについては前に記事に書きました。しかし9日間の断食・断水・断眠・断臥の「四無行」という壮絶な荒行をしても生還できるというのは「信憑性」に疑問があるというのが現在の私の考えです。

一方、「補陀落渡海」は、僧侶に伴われた信者が、海の彼方に 「西方浄土」があると信じて、釘付けされた箱船に乗って、死出の旅に出たもので、はっきり言えば「集団自殺行為」です。

近所の人から聞いた話では、このように行者の僧一人ではなく「西方浄土」を信じ切っている信者を伴って行ったということです。信者は船中でお坊さんに「西方浄土はまだ遠いのですか?」と聞きますと、「まだまだ遠いが私が付いているから大丈夫、安心するように」と諭したそうです。「姥捨て山」のような感じを受けましたが、真偽のほどは分かりません。

余談ですが、16世紀後半に金光坊という僧が補陀落渡海に出たものの、途中で箱から脱出して付近の島に上陸し、たちまち捕らえられて海に投げ込まれるという事件が起きています。命が惜しくなったのでしょうね。

後にその島は「金光坊島(こんこぶじま)」と呼ばれるようになったそうです。井上靖(1907年~1991年)の「補陀落渡海記」は、この話を題材にしています。

もう一つ蛇足です。「補陀落渡海」とは直接関係がありませんが、松本清張(1909年~1992年)に「隠花平原」という推理小説があります。その中で「新興宗教」の名前として、「普陀落教本部」というのが出て来ます。これは「補陀落」をもじったものと思われます。


観音浄土に船出した人びと 熊野と補陀落渡海 (歴史文化ライブラリー) [ 根井浄 ]

補陀落渡海記 井上靖短篇名作集

【中古】 隠花平原 上 / 松本 清張 / 新潮社 [単行本]【メール便送料無料】