1985年頃から1990年代初頭にかけて、「ビックリマンチョコ」が一大ブームになりました。
1.ビックリマンチョコの歴史
ロッテのビックリマンチョコの発売は1977年で、最初は「人を”びっくり・どっきり”させること」を目的に「血のり」などで人を驚かせて楽しむ「どっきりシール」が最初のおまけでした。しかし、その後いろいろな企画のおまけのシールを付けましたが売り上げは減少の一途を辿り、消滅の危機にありました。
そんな中、最終企画として「これまでとは全く違うシールを作ろう」というアイデアの下に生まれたのが、「悪魔VS天使シリーズ」で、1985年に発売して間もなく人気に火が付き、爆発的な売り上げを記録することになったそうです。
その後、ゲーム化、アニメ化、映画化、アイスキャンディー化などのマルチな展開でブームは広がりました。また、類似品・模倣品も多数出回りました。
しかし、1993年頃にはブームは終幕を迎えました。
2.ブームとなった理由
(1)シール素材を複数組み合わせる
「天使」「お守り」「悪魔」という三つのキャラクターを作り、天使はアルミ蒸着シール、お守りは透明シール、悪魔は紙シールと、見た目で瞬時にアタリ・ハズレが感覚的にわかるようにしてあったことです。
(2)希少なヘッドシールの存在
希少なヘッドシールには「キラキラシール」と「ホログラムシール」を組み合わせてあったことです。
(3)おまけシールの裏面の壮大な物語性
天使・お守り・悪魔の三つの種族が存在する「三すくみ」、悪魔と天使の二大勢力の争いの物語、そして各勢力を統括する「ヘッド」の存在という独特の世界観を取り入れた壮大なストーリー性の高いものであったことです。
(4)子供たちの間で話したくなる余白づくり
パッケージでは、「キミもはられたら はりかえそう」と呼びかけ、シールを貼って遊ぶ楽しさを提供し、シールの裏面にはユニークな文章で話題性の高いウワサなどを掲載したことです。
3.ブーム終焉の原因
(1)子供が菓子を捨てたりシールを売買することなどが社会問題化
しかし「目当てのシールだけを抜き出して、チョコレート菓子を捨てる」「裕福な家の子供がケースごと買い占める『大人買い』のせいで品薄になる」「レアなシールを子供同士で売買する」ことなどが頻発し、社会問題となりました。
(2)公正取引委員会の勧告
公正取引委員会が1988年にロッテに対し、次のような勧告を出しました。
①シールの価格差をなくす
②種類ごとの混入率を均一にする
③特定のシールに価値が出るような広告をしない
ロッテはこの勧告に従い、今までキラキラと光っていたホログラム仕様のヘッドを地味なシールにし、ヘッドが当たる確率を悪魔と同じ確率にまで引き上げました。
その結果、レアカードであったヘッドの価値、ひいてはカード全体の価値が暴落し、一気にファンが離反する事態となりました。
4.ビックリマンチョコが再びブームになるか
ロッテでは、ビックリマンチョコブームの再来を目指して、さまざまな企画を出して来ています。
コアファン層(ビックリマンブームがあった頃は子供で、今ビックリマンを懐かしむ世代)に加えて新たなファン層(ライトな顧客層)を獲得するための施策を実施し、全体のファン層のすそ野を拡大する戦略です。
具体的には次のようなものです。
(1)人気アイドルグループ「ももいろクローバーZ」とのコラボ
これは「ももクロマンチョコ」というもので、人気アイドルグループの効果もあって2013年9月の発売と同時に品薄になるほどだったようです。
(2)人気スマホゲーム「パズル&ドラゴン」とのコラボ
これはアプリゲーム内でも楽しめるビックリマン企画で、2014年~2015年にかけて展開され、10代~20代の新たなファン層獲得につながったようです。
(3)千葉ロッテマリーンズとのコラボ
2014年には千葉ロッテマリーンズの里崎智也選手(当時)を「ビックリマンPR大使」に任命し、さまざまな場所でビックリマンを話題にしてもらい、スポーツ新聞やWebニュース、SNSなどで情報が拡散したそうです。
(4)ロッテリアとのコラボ
同じく2014年にロッテリアで「ビックリマンシェーキ」を発売しましたが、Twitterで話題になったそうです。
(5)千葉ロッテマリーンズとアパホテルとのトリプルコラボ
2015年には、「千葉ロッテマリーンズ×アパホテル東京ベイ幕張×ビックリマン」のトリプルコラボとして、野球観戦と宿泊、ビックリマンにちなんだ特別料理の提供を実施したそうです。
(6)2020年7月には、日本を代表する伝統芸能「歌舞伎」と初コラボした「ビックリマン歌舞伎チョコ」を松竹(株)監修で発売しました。
このように、ロッテではあの手この手で「ビックリマンブームの夢よもう一度」と企画を次々と打ち出していますが、果たして思惑通りに行きますかどうか・・・