刑罰の考え方は応報刑論と一般予防説を折衷した相対的応報刑論が現在の多数説

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ハンムラビ法典

前に「少年法」の問題についての記事を書きましたが、「少年」に対しては、「教育的側面」が強いのは明らかですが、「成人」に対する刑罰の本質については、「応報刑論」と「教育刑論」の二つがあります。今回はこれについて考えて見たいと思います。

1.応報刑論(応報刑主義)

「目には目を歯には歯を」で有名な「ハンムラビ法典」は、BC1792年~BC1750年にバビロニアを統治したハンムラビ王が発布した法典です。

最もわかりやすい「復讐刑」ですが、本来の趣旨は、「倍返しのような過剰な報復を禁じ、同等の懲罰にとどめて報復合戦の拡大を防ぐ」ことにありました。つまり、「罪刑法定主義」(あらかじめ犯罪に対応する刑罰の限界を定めること)であり、近代刑法の基礎となるものです。

応報刑論は、「責任の本質を道義的な非難であるとする立場を前提として、刑罰とは犯した罪に対する当然の報いである」と解するものです。これは、常識的で非常に受け入れやすい考え方です。

2.教育刑論(教育刑主義)

これに対して、教育刑論は、「刑罰の目的は受刑者を教育・改善し、社会復帰ができるようにするところにある」という考え方です。「目的刑論」のひとつです。「目的刑論」とは、「刑罰は犯罪を抑止する目的で設置される性格を持つ」という考え方です。

3.結論

現在は、「応報刑論」を基本としつつも、「一般予防説」と結合した「相対的応報刑論」が多いようです。「一般予防説」とは、「刑罰の目的は、犯人に刑罰を加えることによって、社会一般の犯罪を予防(抑止)することにある」という考え方が多いようです。

なお、「懲役と禁固」の区分や、「仮釈放」制度は、「教育刑論」や「一般予防説」の考え方を取り入れたものだと言えます。

私が大学時代に刑法の教授から聞いた面白い話があります。教授が「教誨師(きょうかいし)」(死刑執行前に死刑囚と対話する僧侶や牧師)から聞いた話です。その死刑囚は、釈迦か高僧のような達観した境地に達していたそうです。しかし、死刑を前にしたからこそ到達した諦観のように私は思いました。「時すでに遅し」「後の祭り」です。

話が脱線しますが、忠臣蔵の四十七士の切腹についても、面白い話があります。お預けになった大名家では、忠義な心や立派な振る舞いに感心して、「召し抱えたいとの希望」や「助命嘆願」の動きもあったようです。しかし「助命された赤穂義士が、後に不祥事を起こしたりする恐れもある。ここは桜の花が散ればこそ美しいのと同様、武士の情けで切腹させるのが妥当」との結論になったそうです。これは妥当な結論であったと私は思います。

林信篤や室鳩巣は、「義挙」として助命を主張しましたが、荻生徂徠は、『四十六士の行為は、義ではあるが、私の論である。長矩が殿中もはばからないで罪に処されたのを、吉良を仇として、公儀の許しもないのに騒動をおこしたことは、法をまぬがれることはできない』と主張し、これが採用された訳です。