前にも同じタイトルの記事を書きましたが、もう少しご紹介したいので、続編を書きます。
今回も、大阪の中心部の四つの地名の由来についてお話したいと思います。
1.梅田
「梅田」は、大阪を代表するターミナル駅である「JR大阪駅」や「阪急梅田駅」「阪神梅田駅」「大阪メトロ梅田駅」があり、「キタ」と呼ばれるビジネス街・繁華街の中心地です。
平成24年までは、JR大阪駅の南側の方が賑やかでしたが、平成25年以降は「グランフロント大阪」を中心とした「うめきた」と呼ばれる再開発地域の活性化が目立っています。
この「グランフロント大阪」は、今年「ミナミ」の道頓堀川にかかる戎橋に隣接する「クリサス心斎橋」に抜かれるまでは、大阪で一番地価の高い場所でした。
ところで、この「梅田」のある地域は、江戸時代以前は「下原」と呼ばれる低湿地帯で、泥土を埋め立てて田畑地を拓いたことから「埋田」と呼ばれていました。
しかし、後世になって字面(じづら)が悪いので、曽根崎村の露天神社(お初天神)と北野村の綱敷天神社にゆかりのある梅にちなんで、「梅田」と表記するようになったそうです。
2.丼池(どぶいけ)
「丼池」と言えば、「丼池筋」(現在は「船場丼池ストリート」)と呼ばれる繊維問屋が密集する南船場の地区のことです。心斎橋筋のひとつ東側の街路です。
この地名の由来は、南船場にあった池の名前です。明治7年に埋められました。この池に面していたのが「丼池筋」だったというわけです。第二次大戦前は高級家具問屋街だったそうです。
3.鰻谷(うなぎだに)
「鰻谷」は、「長堀通り」のすぐ南側の地区です。「長堀通り」は、前の記事にも書きましたが、以前は「長堀川」が流れていました。
地名の由来については、「角川日本地名大辞典」によれば、「地勢」に由来するそうです。
『空堀まちはその北部の谷筋に当たる所が西へかけて幾分かの高低を残し、この凹地が鰻と何らかの関係あり呼びならわされたという。(鰻谷中之町の今昔)』
ほかにも諸説ありますが、三つだけご紹介します。
(1)長堀川の北側は、繊維で栄えた町の「船場」で、船着き場がありました。この船着き場から細く長い道がたくさんあり、これが鰻の寝床のようだということで、「鰻谷」と呼ぶようになったという説
(2)このあたり一帯で鰻がよく取れたので「鰻谷」と呼ぶようになったという説
(3)江戸時代に入って、長堀川という「堀割」が作られました。大阪城からこの地域を見下ろすと、長堀川が鰻が泳いでいるように見えたから、「鰻谷」と呼ぶようになったという説
ところで、この鰻谷の地には「住友財閥」の住友家の本邸があったそうです。本邸が神戸や京都に移った後は鰻谷別邸として接待館として使われたようですが、昭和20年3月の空襲によって焼失しています。
4.千日前
「千日前」と言えば、私がまず思い出すのは、昭和47年5月13日に起きた「千日デパートビル火災」です。死者118名・負傷者81名で、日本のビル火災史上最悪の大惨事でした。私が社会人になった年なので、特に強い印象があるのです。
ところで、「千日前」は、道頓堀の南東に位置し、吉本新喜劇の「なんばグランド花月」(NGK)などの演芸場や映画館などがある娯楽街となっています。西隣の難波にある法善寺と竹林寺(現在は天王寺区に移転)で「千日念仏」が唱えられていたことから、両寺(特に法善寺)が「千日寺」と呼ばれ、その門前であることが、この地名の由来です。