1.図星(ずぼし)
「図星」とは「弓道の的(標的)の中心の黒い点」のことです。
①目当ての所、急所のこと。「図星を突く」などと使う
②人の指摘などが、まさにその通りであること。「君の言ったことは図星だ」などと使う
日本の弓道の的には「霞的(かすみまと)」と「星的(ほしまと)」があり、それぞれの寸法も定められています。
「霞的」の中心の白円は「正鵠(せいこく)」と呼ばれます。ここから、物事の急所や要点を正確に突くことを表す「正鵠を得(え)る」という言葉が明治時代に生まれました。昭和時代になって「正鵠」に的の意味があることから「正鵠を射(い)る」という言葉が生まれました。ちなみに「正」も「鵠」も「的の中心にある点」の意味です。
「霞的」は、本来正式の的ですが、現在では大学弓道を除いて一般的に使われています。
「星的」は略儀の的で、中心の黒丸を特に「星」と呼びます。大学弓道の競技ではこれを用います。
このほかに実業団の大会で用いられる「得点的」があります。
なお、ターゲットアーチェリー(洋弓)の的はさらに細分化された円が描かれており、中心の10点から橋の1点まであります。
2.野次馬(やじうま)
「野次馬」とは、本来は「歳を取った馬」や、「御しがたい暴れ馬」のことです。そこから転じて「自分とは直接関係のない事象(主に事件や事故。珍しい不思議な現象などもある)に浅はかな興味を抱き、物見高く集まる、面白半分に騒ぎ立てるなどといった行為に及ぶこと、ならびにそのような人のこと」です。
火災現場や事故現場が野次馬でごった返すことがよくあります。野次馬行為に及ぶような性質を「野次馬根性」と言います。「野次を飛ばす」や「野次る」も野次馬から来ています。
語源は一説には「親父(おやじ)馬」(老いた雄馬)で、いつ頃からか「おやじうま」が「やじうま」へと転訛したと説明しています。
また他説では、「親父馬」(歳取った馬)は先頭に立たず、若い馬の後ろを付いて行くだけであることから、転じて他人の出来事を無責任に騒ぎ立てる人や、物見高く集まって囃し立てる人を指す意味で使われるようになったと由来を説明しています。
なお、現在でも「野次馬」を原義通り「暴れ馬」を指す言葉として使用する場合もあります。
3.じゃじゃ馬
「じゃじゃ馬」とは「人になかなか馴れない暴れ馬。悍馬(かんば)」あるいは「性質が激しく、わがままで好き勝手に振る舞う女性。利かん気のお転婆娘」のことを指します。
シェイクスピアの喜劇に「じゃじゃ馬ならし」があります。これはエリザベス・テイラー主演で映画にもなりました。
「じゃじゃ」は、元来は「じやじや」というオノマトペ(擬声語)です。ポルトガル人の宣教師ジョアン・ロドリゲス(1561年~1633年)が著した「ロドリゲス日本大文典」(1604年)には、「虫がやかましく鳴く」といった意味を表すと記されています。
俳諧・西鶴大句数(1677年)に「邪邪馬(じゃじゃうま)に神主一人引のせて夜前ふしぎの夢の御たづね」というのがあります。
4.くわばらくわばら
「くわばらくわばら」とは「災難や落雷を避けるための呪文(まじないの文句)」です。大正生まれの私の母は雷が鳴るとよく「くわばらくわばら」と唱えていました。
語源には二つの説があります。
①藤原時平の讒言によって太宰府に左遷された菅原道真(845年~903年)が、死後に雷神となり、自分の領地の「桑原」にはあえて落雷をしなかったという説
②雷神が農家の井戸に落ちてしまい、農夫に蓋(ふた)をされてしまったが、井戸から出してもらうために、「自分(雷神)は桑の木が嫌いなので、桑原と唱えたら二度と落ちない」と誓ったという説
①の説は、強い怨念を持った菅原道真の怨霊が、雷神となって讒言した貴族や天皇などを襲うというもので、かなり怖い話ですが、②の説は「まんが日本昔ばなし」にでも出て来そうな話で、雷さんがユーモラスで滑稽な感じさえします。
5.地震雷火事親父
余談ですが、「地震雷火事親父」という怖いものを並べた言葉があります。「地震」は私も「阪神淡路大震災(1995/1/17)」と「大阪北部地震(2018/6/18)」を経験しましたので、その恐ろしさはよくわかっています。
ゴルフのプレー中に落雷で亡くなる人もいるので、ゴルフ場で雷が鳴り出すと不気味な感じがします。
ところで最後の「親父」ですが、これは「カミナリ親父」のことではなく、台風を意味する「大山嵐(おおやまじ)」が変化したものだという説もあります。確かに現代の「親父」は怖い存在ではありませんから、この説にも一理ありそうですが、昔の家父長制のもとでの「親父」は「地震・雷・火事」に次いで怖い絶対権力者だったのでしょう。