今回は「高西風」「青北風」「秋がわき」「うらなり」「鵙の草ぐき」などの面白い「秋」の季語をいくつかご紹介したいと思います。
1.高西風(たかにし)
「高西風」とは、「おもに山陰・九州地方で、稲刈りの頃に吹く強い北西の風のこと」です。稲をなぎ倒したり、漁船に被害を与えたりするので漁師たちに嫌がられ恐れられます。
「子季語」には、「土用時化(どようじけ)」「籾落し(もみおとし)」「大西風(おおにしかぜ)」などがあります。
例句としては、次のようなものがあります。
・高西風に 秋たけぬれば 鳴る瀬かな(飯田蛇笏)
・高西風を けふもおそるる 舟出かな(静心)
・高西風や きのふにかはる 海の色(亜津子)
2.青北風(あおぎた)
「青北風」とは、「西日本地方の船乗り言葉で、十月ごろ吹く強い北風のこと」です。晴天の日に吹くので、「青」の一字が付いています。
台風シーズンも過ぎると、駆け足で本格的な秋がやって来ます。季節風が交替し、涼気を伴った北寄りの風が吹きます。
「高西風」も「青北風」もともに、「板子一枚下は地獄」の生活を送っている漁師たちのやむにやまれぬ生活上の必要から生まれた言葉です。決して「悠長で風流な季語」ではありません。
「子季語」は、ありません。
例句としては、次のようなものがあります。
・青北風が 吹いて艶増す 五島牛(下村ひろし)
・青北風や 目のさまよへば 巌ばかり(岸田稚魚)
・青北風や 佳き日の便り 運び来て(久保田一豊)
・青北風の 沖を夢見る 古舟かな(小澤克己)
3.秋渇き(あきがわき)
「秋渇き」とは、「秋になって食欲が増すこと」です。また、転じて「秋になって情欲の高まること」です。「秋飢き」とも書きます。
「子季語」は、ありません。
例句としては、次のようなものがあります。
・汲みこぼす 茶や人々の 秋がはき(松欣)
・屈強の 男揃ひや 秋飢き(斎藤俳小星)
・秋がわき 先七夕に かわきそめ(柳多留)
4.うらなり
「うらなり」とは、「時期が遅くなって、蔓(つる)の先のほうに実がなること。また、その実のこと」です。実は小形で味も劣ります。「末生り」「末成り」とも書きます。
また、「顔色が悪く弱弱しくて元気のない人」や「末っ子」のことを言います。
ちなみに「うら」とは、表裏の裏のことではなく、蔓の先のほうのことです。
「子季語」は、ありません。
例句としては、次のようなものがあります。
・うらなりの 子をばころがし 育てなり(柳多留)
余談ですが、「うらなり」と言えば、夏目漱石の「坊っちゃん」に出てくる「うらなり」というあだ名を付けられた蒼くふくれた顔の先生のことを思い出します。
下女の清(きよ)が坊っちゃんに「うらなりの唐茄子(とうなす)ばかり食べているとあんな顔になる」と言っていました。
ちなみに「唐茄子」とはカボチャのことです。
5.鵙の草茎(もずのくさぐき)
「鵙の草茎」とは、「モズが春になると山に移り、人里近くに姿を見せなくなることを、草の中に潜り込んだものと見立てたもの」です。「百舌の草潜」とも書きます。
秋が深まって来ると、木立の中でモズがキーッ、キーッと鋭い鳴き声を響かせるようになります。
類似の季語には、「鵙の早贄(はやにえ)」「鵙の贄刺(にえざし)」などがあります。
本来、「鵙の草茎」はモズの春の様子のことですが、モズと言えば秋というイメージがあるためか「鵙の早贄(はやにえ)」「鵙の贄刺(にえざし)」と同じ意味と誤解されて使われるようになりました。
千載集に藤原俊成(1114年~1204年)の次のような和歌があります。
たのめこし 野べの道芝 夏ふかし いづくなるらむ 鵙の草ぐき
これは「約束をあてにしてやって来た野辺の道芝は夏も深いこととて深く繁っている。あの人の住まいはどこなのだろう。まるでモズが草の繁みに潜り込んだように行方が知れない。」という意味です。
また万葉集に読み人知らずの次のような和歌があります。
春されば 鵙の草ぐき 見えずとも われは見遣らむ 君があたりをば
どちらも「鵙の草茎」という言葉の本来の使い方です。
しかし慈円(1155年~1225年)の次の歌は、「鵙の早贄」と取り違えた例です。
取らせては くやしかりけり 小鷹狩 櫨(はじ)の紅葉の 鵙の草くき
また鴨長明(1155年~1216年)も、「無名抄」で「鵙の草茎」を、モズの「磔刑餌(はりつけえ)」のことだとしています。
これらの歌人の誤用を「俳諧歳時記」や俳人がそのまま踏襲したようです。
「鵙の草茎」「鵙の早贄」の例句としては、次のようなものがあります。
・草茎を 失ふ百舌鳥(もず)の 高音(たかね)かな(与謝蕪村)
・鵙の贄 野茨(のばら)は一葉 だにとどめず(福田寥汀)
・既にして 水車の空音 鵙の贄(石川桂郎)