「運」「幸福」「不幸」にまつわる面白いことわざ。「禍福は糾える縄の如し」など

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人間万事塞翁が馬・絵

「運」「幸福」「不幸」というのは、古今東西を問わず人々の最大の関心事の一つと言ってよいでしょう。

これらに関することわざもたくさんあります。今回はその中からいくつかご紹介したいと思います。

1.人間万事塞翁が馬(にんげんばんじさいおうがうま/じんかんばんじさいおうがうま)

人間万事塞翁が馬

略して「塞翁が馬」とも言います。出典は「淮南子(えなんじ)」です。

人生における幸不幸は予測しがたいということです。幸せが不幸に、不幸が幸せにいつ転じるかわからないのだから、安易に喜んだり悲しんだりすべきではないというたとえです。

昔、中国北方の塞(とりで)近くに住む占いの巧みな老人(塞翁)の馬が、胡の地方に逃げ、人々が気の毒がると、老人は「そのうちに福が来る」と言いました。やがて、その馬は胡の駿馬を連れて戻って来ました。

人々が祝うと、今度は「これは不幸の元になるだろう」と言いました。すると胡の馬に乗った老人の息子が、落馬して足の骨を折ってしまいました。

人々がそれを見舞うと、老人は「これが幸福の基になるだろう」と言いました。1年後、胡軍が攻め込んできて戦争となり、若者たちはほとんどが戦死しました。

しかし足の骨を折った老人の息子は、兵役を免れたため、戦死しなくて済んだという故事に基づくことわざです。

「人間」は「じんかん」とも読み、「人類」ではなく「世間」を意味しています。

余談ですが、青島幸男(1932年~2006年)に「人間万事塞翁が丙午(にんげんばんじさいおうがひのえうま)」という著者の母(丙午生まれ)をモデルとした小説があります。タイトルはこのことわざのパロディです。

2.禍福は糾える縄の如し(かふくはあざなえるなわのごとし)

幸福と不幸は表裏一体で、かわるがわる来るものだということのたとえです。出典は「史記」と「漢書」です。

災いと幸福は表裏一体で、まるでより合わせた縄のようにかわるがわるやって来るものです。不幸だと思ったことが幸福に転じたり、幸福だと思っていたことが不幸に転じたりします。成功も失敗も縄のように表裏をなして、目まぐるしく変化するものだということのたとえです。

「史記」には「禍に因(よ)りて福を為す。成敗の転ずるは、たとえば糾える縄の如し」とあり、「漢書」には「それ禍と福とは、何ぞ糾える縄に異ならん」とあります。

「糾う」は、「糸をより合わせる」「縄をなう」ことです。

「人間万事塞翁が馬」と同様の意味です。

3.開いた口へ牡丹餅(あいたくちへぼたもち)

努力や苦労もなしに、思いがけない幸運が舞い込むことのたとえです。

「開いた口へ餅」「開いた口へ団子」とも言います。「棚から牡丹餅」「夢に餅食う」も同様の意味です。

2021年のNHK大河ドラマ「青天を衝け」を見ていると、第13代将軍徳川家定(1824年~1858年)が井伊直弼(1815年~1860年)のあんぐり開けた口に饅頭を押し込み、「どうじゃ」と直弼に問い掛け、目を白黒させる彼に「美味うございます」と言わしめる場面がありました。

自分を馬鹿にする一橋慶喜(1837年~1913年)や徳川斉昭(1800年~1860年)・松平春嶽(1828年~1890年)を毛嫌いする家定が、井伊直弼を大老に抜擢したことを象徴的に表した場面でした。

4.運は天にあり(うんはてんにあり)

二つの意味があります。

(1)(悲観的に)人の運命は、すべて天が決めるもので、人間の力ではどうすることもできないということです。

「命は天にあり(めいはてんにあり)」「運を天に任せる」とも言います。「運否天賦(うんぷてんぷ)」という四字熟語も同様の意味です。

(2)事を起こすにあたって、結果がどうなるかは天が決めるものだから、運を天に任せてともかくやってみようと、期待と決意を込めてわが身に語りかける言葉です。

「人事を尽くして天命を待つ(じんじをつくしててんめいをまつ)」も同様の意味です。

「一か八か(いちかばちか)」も若干ニュアンスが違いますが、似たような言葉です。

5.鰯網で鯨を捕る(いわしあみでくじらをとる)

意外な収穫や幸運を得ることのたとえです。

「鰯網へ鯛が掛かる(いわしあみへたいがかかる)」とも言います。

「雀網で雁」「海老で鯛を釣る」「兎の罠に狐がかかる」も同様の意味です。

6.運命の女神は勇者を助ける(うんめいのめがみはゆうしゃをたすける)

逆境にめげず、困難に打ち勝とうとする者にこそ強運がめぐってくるということです。

古代ローマの詩人ウェルギリウスの「アエネーイス」にある言葉です。

英語で「Fortune favours the bold(brave).」と言います。

7.禍福門なし、只人の招く所(かふくもんなし、ただひとのまねくところ)

わざわいや幸福のやってくる一定の門はないということです。出典は「春秋左伝(しゅんじゅうさでん)」です。

悪をなせばわざわいが、善をなせば福が来るのであって、結局はその人の所行が招くものだという意味です。

「禍福は己れに由る(かふくはおのれによる)」も同様の意味です。

8.果報は寝て待て(かほうはねてまて)

幸運は自然にやって来るのを気長に待つべきだということです。

「運は寝て待て」とも言います。

「待てば海路の日和あり(まてばかいろのひよりあり)」「待てば甘露の日和あり(まてばかんろのひよりあり)」も同様の意味です。

9.昨日は人の身、今日は我が身(きのうはひとのみ、きょうはわがみ)

他の人に起こった不幸な出来事が、いつ自分の身にも降りかかってくるかわからないことです。

人の運命は予測できないことであり、他の人の不幸を自分自身への戒めとせよということです。

「今日は人の上、明日は我が身の上」「人の事は我が事」「人の上に吹く風は我が身にあたる」とも言います。

10.怪我の功名(けがのこうみょう)

過失や災難と思われたことが、思いがけなく好結果をもたらすことです。

また、何気なくしたことが、偶然にも良い結果になることです。

「過ちの功名」「怪我の頓作(けがのとんさく)」とも言います。

11.大吉は凶に還る(だいきちはきょうにかえる)

吉は幸運だが、それ以上の大吉になると、かえって凶に近くなるという意味です。

幸せもほどほどがよいということです。

「大吉は小凶に近い」とも言います。

「過ぎたるは猶及ばざるが如し」「陽極まって陰生ず」「満は損を招く」も同様の意味です。

中国前漢の武帝の「秋風の辞」にある「歓楽極まりて哀情多し(かんらくきわまりてあいじょうおおし)」(楽しみや喜びの感情が最高潮に達すると、かえって悲しい気持ちになるものだ)という心境も、このことわざに通じるものがあります。

少し意味は違いますが、「天才と狂気は紙一重(かみひとえ)」「天才と狂人は紙一重」というのも、これと同じような発想ではないかと思います。

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