大佛次郎はなぜ「鞍馬天狗」や「赤穂浪士」のような「大衆小説」の作家になったのか?

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大佛次郎・戦後間もない頃

団塊世代の私が子供の頃はまだ、善玉が最後には栄え、悪玉は滅びるという筋書きの「勧善懲悪」の時代劇が全盛で、「鞍馬天狗」や「忠臣蔵(赤穂浪士)」、「水戸黄門漫遊記」などを映画館でよく見ました。

勤王志士VS新選組」「浅野内匠頭赤穂浪士VS吉良上野介」には、「月光仮面」のような「正義の味方のヒーロー」は登場せず、実際には「善玉VS悪玉」「勧善懲悪」の話ではありませんが、子供の私はそういう単純な図式で見ていました。

ところで、私が大佛次郎の名前を初めて知ったのは、東京オリンピックが開催された1964年(昭和39年)のNHK大河ドラマ「赤穂浪士」の原作者としてタイトルバックに出た時でした。

当時、中学3年生だった私は、「おさらぎじろう」と読むことを知らずに、「だいぶつじろう」と読んで、父に笑われました。この「赤穂浪士」は、今年の「鎌倉殿の13人」以上に面白いドラマだったので、受験生にもかかわらず、欠かさず見ていました。

なお大佛次郎が「鞍馬天狗」の原作者であったことは、後で知りました。

1.大佛次郎が「大衆小説」の作家になった経緯

大佛次郎は東京帝国大学法学部出身ですが、東大法学部を卒業したからと言って、必ずしも高級官僚や弁護士などの法曹、あるいは一流企業のサラリーマンになることだけが人生の選択肢ではありません。

東大文学部出身の小説家は、夏目漱石川端康成芹沢光治良阿川弘之、堀辰雄、大江健三郎、辻邦生、丸谷才一をはじめ大勢いますが、東大法学部出身で小説家になった人は三島由紀夫や庄司 薫、加藤 廣吉田 満湯川裕光など数えるほどしかいません。なお「銭形平次捕物控」で有名な野村胡堂は、東京帝国大学法学部を中退した作家です。

菊池寛が創設した文学賞で「芥川賞=純文学」、「直木賞=通俗小説」という仕分けがありますが、一般には芥川賞の方が直木賞より格上という印象があります。これは芥川龍之介が直木三十五に比べて小説家としての評価や知名度が圧倒的に高いことに加え、純文学が通俗小説に比べて高尚・高級な印象があるからかもしれません。ただし、本当は芥川賞と直木賞は賞金・賞品も格付けも同格です。

大佛次郎が、「純文学」ではなく、「通俗小説」とも呼ばれる「大衆小説」の作家になったのは、どういう経緯があったのでしょうか?

(1)幼い頃からの読書好きと集書好きの履歴

彼は『少年世界』や『少年』を愛読するとともに、父や兄たちが話題にする新聞小説として連載されている講談を興味を持って読むようになりました。

好きな学科は「歴史」だけだったそうです。

一高時代に書いた「一高ロマンス」で、生まれて初めて原稿料五十円を貰いました。以後学生時代から各誌に小文を書くようになりますが、そのほとんどは本代に消えたそうです。

一学期分の食費を貰ったら、丸善で手当たり次第欲しい本を買って、本棚に目一杯に並べてしまい、一月もしないうちに使い切ってしまうという始末でした。そのため本を古本屋に売ったり、雑誌に小文や翻訳、果ては時事解説まで載せて生活をつないだということです。読むために購入するほか、稀少本や豪華本を蒐集することを趣味としている側面もありました。

後に「丸善に払う為に私は原稿を書き始めたのである」(『私の履歴書』)と回想しています。

(2)青年時代に演劇に熱を上げ、当時の人気映画女優吾妻光と同棲生活の末に学生結婚

彼の妻の吾妻光(あずまてる)は、新劇運動に参加し、1919年帰山教正監督「白菊物語」で映画デビューしました。直後水谷八重子ら新劇協会の「青い鳥」に出演。次いで帰山の「幻影の女」でヒロインを演じ、キネマ旬報などで絶賛されました。以後同協会の看板女優として帰山の「湖畔の小鳥」などに主演を続け、1921年「活動画報」に「新しき戦線に立ちて」を寄稿。同年2月東大卒業直前の野尻清彦(大佛次郎)と結婚。帰山の「父よいづこ」(1923年)まで主演を続け、家庭に入りました。

(3)書籍代支払いに窮し退路を断たれた結果、生み出された「鞍馬天狗」が大ヒット

彼は東京帝国大学法学部卒業後、外務省嘱託で翻訳の仕事をしていましたが、演劇にのめり込んで大量の洋書を購入する費用のために、大衆雑誌『新趣味』に西洋の伝奇小説の翻訳を掲載して原稿料を稼いでいました。

関東大震災を機に外務省も退職したために生活費も稼がなくてはならなくなりましたが、『新趣味』も廃刊になり、新しく創刊された『ポケット』の編集長から「髷物」をと言われ、エドガー・アラン・ポーの「ウィリアム・ウィルソン」からアイデアを得た「隼の源次」を書いたところ採用され、ついで以前に『新趣味』に連載したことのあるジョージ・ウーリー・ゴフ「夜の恐怖」(1923年9-11月号)の中の「金扇」に着想を得て「鬼面の老女」を執筆、登場する黒頭巾の武士には謡曲から思いついた「鞍馬天狗」を名乗らせました(1924年5月号)。

すると編集長から、「鞍馬天狗を主人公にして作品を書いて欲しい、この雑誌の心棒にする」と言われ、「快傑 鞍馬天狗」がシリーズとして書かれることになったのです。

2.大佛次郎とは

大佛次郎

大佛次郞(おさらぎ じろう)(1897年~1973年)は、時代小説シリーズの『鞍馬天狗』や『赤穂浪士』、ノンフィクションの長編作品『パリ燃ゆ』『天皇の世紀』など多数の名作を生んだ昭和を代表する作家の一人です。神奈川県出身で本名は野尻 清彦(のじり きよひこ)。鎌倉市の長谷(はせ)大仏裏に住んでいたため、大佛というペンネームを用いました。

『鞍馬天狗』シリーズなど大衆文学の作者として有名なほか、歴史小説、現代小説、ノンフィクション、新作歌舞伎や童話などまでを幅広く手がけました。作家の野尻抱影(本名:野尻正英)は長兄です。野尻抱影は英文学者・随筆家・天文民俗学者でもあり、準惑星である冥王星の和訳命名者としても有名です。

幼少期を横浜で過ごしましたが、小学校入学後まもなくして東京に転居。第一高等学校在学中に一高の寮生活をルポルタージュ風にまとめた小説『一高ロマンス』を雑誌連載したことがきっかけで、1917年に作家デビューするに至ります。

東京帝国大学法学部時代は演劇に熱中し、仲間と劇団「テアトル・デ・ビュー」を結成。畑中蓼坡による民衆座の公演「青い鳥」にも協力・参加し、これに光の精役で出演していた吾妻光(あずまてる)(1898年~1980年)(本名・原田酉子)と、1921年2月に学生結婚しました。大正デモクラシーの洗礼を受け、それ以後リベラルな立場をとりました。

またフランスのノーベル賞作家ロマン・ロラン作品の翻訳に取り組み、同人誌を発行するなど意欲的に創作活動を行なっていました。

卒業後は鎌倉高等女学校の教師となった後、1922年から本格的に「翻訳」の仕事に就くことになりました。彼はサバチニやゴーグなど海外小説の翻訳を数多く手がけました。

翌年の関東大震災をきっかけに専業作家になり、時代小説やノンフィクション作品を中心に生涯を通して作品を発表し続けました。

1935年に芥川賞・直木賞が創設されると、直木賞選考委員となりました。

1938年に「日本文学振興会」が創設されると評議員に就任。1940年には文藝春秋社の報道班員として中国宜昌戦線に赴き、また「文芸銃後運動」(文学者の翼賛運動で、後の「文学報国会」につながる)講師として満州、朝鮮にも渡りました。1943年末から44年初めまで、同盟通信社の嘱託として南方マレー、スマトラなど東南アジア各地を訪問しました。

その後は戦中日記をつけ始め、また朝日新聞連載の後藤又兵衛の一代記『乞食大将』(1945年に用紙不足のため中絶)、『少年倶楽部』連載の『楠木正成』の執筆を続けました。

1942年に大政翼賛会の支部である「鎌倉文化聯盟」が結成されると、久米正雄の依頼で文学部長に就任。1945年に設立された「鎌倉文庫」にも協力しました。

1945年8月19日に玉音放送の感想「英霊に詫びる」の第1回を朝日新聞に掲載(第2回以降は宍倉恒常、吉川英治、中村直勝)しました。次いで東久邇宮内閣の「内閣参与」に招聘され、「新文明建設」という役割を与えられて、復興のための強い意欲を持って準備を始め、治安維持法の廃止、世論調査所の設置、スポーツの振興などを提言しましたが、残念ながら内閣は1ヶ月半で総辞職してしまいました。

日本芸術院賞(1950年)や文化勲章(1964年)、朝日文化賞(1965年)など権威ある賞を多数受賞し、没後にはその業績を称えて自身の名前が冠された「大佛次郎賞」が創設されました。

余談ですが、大佛次郎は大の「猫好き」で知られています。

大佛次郎夫妻

3.大佛次郎の代表的作品

(1)鞍馬天狗

『鞍馬天狗』シリーズは、1924年から1965年までの長きにわたって新作が発表され続けた、大佛作品では最も有名なシリーズ作品です。

舞台は幕末の京都・大阪。「鞍馬天狗」と名乗る神出鬼没の勤王志士(江戸時代に天皇に忠誠を誓い、民間で活動していた者)が新選組と対立し、縦横無尽に活躍する様子が描かれた大変爽快なフィクション作品です。幾度も映画化・テレビドラマ化された大衆人気の非常に高い作品でもあり、現在も多くの時代劇ファンに愛されています。

鞍馬天狗入門として最初に読むべきは長編「角兵衛獅子」です。鞍馬天狗は彼を慕う少年・杉作を囮(おとり)に取られ、新撰組に取り囲まれてしまいます。そこへ新撰組隊長・近藤勇も仲間を引き連れて駆けつけ、鞍馬天狗は絶対絶命。しかし彼は諦めません。

本作は当時の少年向けに書かれたジュブナイル(juvenile)作品となっています。ヒーローものの先駆けと言われるだけあって、バトルシーンは大変爽快です。しかし勤王志士と新撰組の確執や登場人物の心情には深く踏み込んだ描写がされており、大佛次郎の筆力で大人も楽しめる作品に仕上がっています。

幕末の歴史が好きな人はもちろん、あまり興味がなかった人もきっと夢中になって読み進めてしまう、魅力に溢れた作品です。

(2)赤穂浪士

『赤穂浪士』は、1927年から1928年に東京日日新聞に連載された大佛次郎の代表的な長編時代小説です。

本作は江戸時代、元禄年間の江戸城が舞台。高家の吉良上野介を斬りつけたとして、赤穂藩藩主の浅野長矩が切腹刑に処せられた赤穂事件を題材としています。浅野長矩の死後、家臣47人が吉良邸に討ち入り主君の仇を討ったことから「義士」とされた47人でしたが、大佛次郎はこれを幕藩体制に抗う「浪士」としてこの物語を描きました。

物語の主人公は架空の浪士・堀田隼人です。彼は虚無的な人物とされており、怪盗・蜘蛛の陣十郎、謎の女・お仙らとともに事件の陰で暗躍する様子が描かれます。

史実を元にしてはいますが、大佛次郎により命を吹き込まれた架空の人物である彼らの言動は、大変面白く魅力的です。またそれを彩っているのは著者の豊かな表現力による情景描写です。特に序盤に描かれる江戸の町人文化の華やかさは、読者をぐっと物語の世界へ引き込んでくれます。

虚無的な剣客堀田隼人という架空の人物の目を通して、元禄時代や執筆当時の世相と体制への批判的な視点を持ち込んだことで画期的なものと言われ、単行本化されて数ヶ月で60版を重ねる人気となりました。この『赤穂浪士』は1928年に文芸家協会より渡辺賞を受賞。沢田正二郎により新国劇で上演され、のち多く舞台化されました。1931年に連載した『鼠小僧次郎吉』も、講談などで有名なキャラクターに人間性を盛り込んで大衆文学化した嚆矢と言えます。

「たびたびの華奢の禁令も、熟れきった時代の空気の醗酵を止めることは出来なかったと見える。ほどよい日光と湿気とを得て花は咲くよりほかになかったのであろう。紫、浅黄、紅打などの染綿の帽子、袖口に針金を入れ綿を厚く入れてふくらみをとる工夫までして美しく丸くきった袖も軽々と、吉弥結びに帯を結んだ女たち、流行りの子太夫鹿子、千弥染は、そこにも、ここにも見受けられる。」(『赤穂浪士』より引用)

(3)パリ燃ゆ

『パリ燃ゆ』(1964年刊行)は、上の2作とは全く雰囲気の異なる作品です。彼は大衆向けの時代小説で名を挙げましたが、その後史実をもとにしたノンフィクション作品も多数手掛け、高い評価を得ました。

題材となっているのは1871年の3月から5月にかけてフランスで起こった史上初めての労働者政府「パリ・コミューン」。本作はその成立に至る過程とヴェルサイユ軍による弾圧の様子を描いたドキュメンタリー作品です。

大佛次郎は当時の新聞や著作、人々の証言などを丹念に調べ上げ、執筆に当たりました。まるで実際に見てきたかのようにリアルな筆致で描かれる凄惨でいてドラマティックな物語は、読者に当時のパリの空気を追体験させるほどの迫力を持っています。

全3巻にわたる壮大な物語の序盤で描かれるのは、「パリ・コミューン」の約20年前。1851年の12月にナポレオン3世が起こしたクーデターの様子です。彼は見物に来ていた一般市民を国家に危機をもたらす内敵だと主張し、大量に殺傷しました。

その後このクーデターが王党派や財界に支持されたために多くの共和主義者が逮捕または追放されることとなり、後に『レ・ミゼラブル』などを書いたフランスの文豪、ヴィクトル・ユーゴーも労働者に変装し、ベルギーのブリュッセルに逃れます。

ここから、パリを舞台にコミューン成立までの長い過程が描かれていきます。歴史小説に難しいイメージを持たれる方は読むのをためらってしまうほどボリュームのある作品ではありますが、読んでみると大佛次郎の筆力によって各場面がリアルに想像でき、先へ先へとページをめくっていくことでしょう。

誰もが憧れる花の都パリ。その土地で起こった実際の出来事。フランスの歴史や政治、そして思想を学ぶことのできる素晴らしい作品です。

(4)天皇の世紀

『天皇の世紀』は、文春文庫版で全12巻刊行された大佛次郎の超大作です。本作は1967年1月1日から1973年4月25日まで、約6年間にわたって朝日新聞朝刊で連載されました。彼は25日掲載分を「病気休載」と締めくくり、30日に逝去したため、これは未完のまま遺作となりました。

本作は後に明治天皇となる祐宮の誕生から戊辰戦争に至るまでの激動の時代を描いた大佛次郎の明治維新史です。膨大な歴史資料をあたって緻密に描かれた本作は歴史小説として大変評価が高く、テレビドラマ化も果たされ、多くの国民が明治維新について知る契機ともなりました。

物語は明治天皇の誕生からはじまり、ペリーの黒船来航に安政の大獄。さらに攘夷運動、その後の大政奉還と新政府樹立、そして勃発した戊辰戦争まで描かれます。歴史に親しみのない人にとってこのような歴史的事件や出来事は、「歴史の教科書に載っていて、テストのために丸暗記した」程度のものかもしれません。

文字になって教科書に載っているそれらは、日本人が過去に経験した出来事であることに間違いありません。しかし、それを理解することはできても、なんとなく実感が薄い。本作は、そう思っている人にとって、一読の価値がある作品でしょう。史実に忠実に描かれた大佛次郎の物語は、力を持って読者に迫ります。「日本にはこんなことがあった」と、思い知らされるような内容です。

1897年生まれの大佛次郎は、明治維新後の日本を生きた人です。連載を終えることなくこの世を去ってしまいましたが、彼はこの続きの物語、明治時代の歴史も描こうと思っていたのではないでしょうか。この作品は明治を知らない私たちのために彼が遺してくれた、史実を伝える物語のようで、大佛次郎の心意気を感じる傑作です。

本題とは離れますが、明治天皇について私は個人的には「即位直後に暗殺された」という説が真実だと思っています。これについては「明治天皇は即位直後に暗殺されて南朝系統の大室寅之祐にすり替わっていた!?」「大室寅之祐は本当に南朝の末裔だったのか?嘘だとすれば今の天皇家の祖先は?」という記事に詳しく書いていますので、ぜひご覧ください。

余談ですが、春日局については「斎藤利三の娘・春日局の人物と生涯とは?」という記事に詳しく書いていますので、ぜひご覧ください。

なお、この記事では「春日局は家康の愛妾の一人だった」「家光は家康と春日局との間の子だった」という説を紹介しています。この説は非常に納得性・説得力があると私は思っています。

桶狭間の戦い勝利の立役者は木下藤吉郎だった?綿密な今川義元暗殺計画!」「織田信長の遺体はどこへ消えたのか?本能寺の変のもう一つのミステリーに迫る!」で紹介した加藤 廣の推理は奇想天外ですが、見事で説得力があります。

歴史を学ぶ上で、「素朴な疑問」を大切にして、「なぜなのか?」と自分の頭で考えて推理を楽しんだり、歴史小説を読んで作家の推理を知ることも有意義なことだと私は思っています。

4.大佛次郎の言葉

・一代初心(いちだいしょしん)

これは、大佛次郎が最晩年、自らの人生を振り返り揮毫した言葉です。自ら望んで歩み出した大衆小説家の道、自分一代の作業を精神の革新に捧げ、初心を忘れず、清廉潔白に生きた生涯を象徴した言葉のようです。

・未熟な若さというものは仮借(かしゃく)ないもの

・丸善に払う為に私は原稿を書き始めたのである

・若い人には若い日の花があるのと同時に、老いたる人には老人の日の花があるのだ

・自分の生き方さえ求めたら、現実の暮らしよう、生き方は必ずある

・いざという場合になると人間は卑怯か卑怯でないかの二色に分けられる

・死は救いとは言いながら、そうは悟りきれぬものである

・忙しい世の中だが、過去の時間や、真実、美しいものに没入して味わうためには歩いていくのが大切である



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