皆さんは「ろくろ首」という言葉はご存知だと思いますが、実際に「ろくろ首」の見世物をご覧になった方は少ないのではないでしょうか?私も見たことはありません。
現代の我々から見ると、「ばかばかしい」ものではありますが、江戸時代の人々は数少ない娯楽の一つとして楽しんだのではないかと思います。
なお、この見世物は、妖怪話がもとになり、人々の「怪奇趣味」を満足させるために創作されたようです。
前に「人体切断マジックのトリックの種明かし」の記事を書きましたが、昔の日本人には妖怪話や怪異談を好む傾向があったようです。
なお、落語にも「ろくろ首」という演目があります。
1.「ろくろ首」とは
(1)妖怪の一種
「ろくろ首(轆轤首)」とは、日本の妖怪の一種です。「ろくろっ首」「ろくろく首」とも言います。
大別して、「首が伸びるもの」と、「首が抜け頭部が自由に飛行するもの」の2種が存在します。古典の怪談や随筆によく登場し、妖怪画の題材となることも多いですが、ほとんどは日本の怪奇趣味を満足させるために創作されたものとの指摘もあります。
(2)「ろくろ首」の語源
①ろくろを回して陶器を作る際の感触
②長く伸びた首が井戸のろくろ(重量物を引き上げる滑車)に似ている
③傘のろくろ(傘の開閉に用いる仕掛け)を上げるに従って傘の柄が長く見える
などの説がありますが、①が一番妥当性がありそうですね。
(3)「ろくろ首」の種類
①首が抜けるろくろ首(抜け首)
この首が抜けるものの方が、ろくろ首の原型とされています。このタイプのろくろ首は、夜間に人間などを襲い、血を吸うなどの悪さをするとされます。首が抜ける系統のろくろ首は、首に梵字が一文字書かれていて、寝ている(首だけが飛び回っている)時に、本体を移動すると元に戻らなくなることが弱点との説もあります。古典における典型的なろくろ首の話は、夜中に首が抜け出た場面を他の誰かに目撃されるものです。
抜け首は魂が肉体から抜けたもの(離魂病)とする説もあり、『曽呂利物語』では「女の妄念迷ひ歩く事」と題し、女の魂が睡眠中に身体から抜け出たものと解釈しています。同書によれば、ある男が、鶏や女の首に姿を変えている抜け首に出遭い、刀を抜いて追いかけたところ、その抜け首は家へ逃げ込み、家の中からは「恐い夢を見た。刀を持った男に追われて、家まで逃げ切って目が覚めた」と声がしたということです。
『曾呂利物語』からの引き写しが多いと見られている怪談集『諸国百物語』でも「ゑちぜんの国府中ろくろ首の事」と題し、女の魂が体から抜け出た抜け首を男が家まで追いかけたという話があり、この女は罪業を恥じて夫に暇を乞い、髪をおろして往生を遂げたということです。
橘春暉による江戸時代の随筆『北窻瑣談』でもやはり、魂が体から抜け出る病気と解釈しています。寛政元年に越前国(現・福井県)のある家に務めている下女が、眠っている間に枕元に首だけが転がって動いていた話を挙げ、実際に首だけが胴を離れるわけはなく、魂が体を離れて首の形を形作っていると説明しています。
妖怪譚の解説書の性格を備える怪談本『古今百物語評判』では「絶岸和尚肥後にて轆轤首を見給ふ事」と題し、肥後国(現・熊本県)の宿の女房の首が抜けて宙を舞い、次の日に元に戻った女の首の周りに筋があったという話を取り上げ、同書の著者である山岡元隣は、中国の書物に記されたいくつかの例をあげて「こうしたことは昔から南蛮ではよく見られたことで天地の造化には限りなく、くらげに目がないなど一通りの常識では計り難く、都では聞かぬことであり、すべて怪しいことは遠国にあることである」と解説しています。
また香川県大川郡長尾町多和村(現・さぬき市)にも同書と同様、首に輪のような痣のある女性はろくろ首だという伝承があります。随筆『中陵漫録』にも、吉野山の奥地にある「轆轤首村」の住人は皆ろくろ首であり、子供の頃から首巻きを付けており、首巻きを取り去ると首の周りに筋があると記述されています。
松浦静山による随筆『甲子夜話』続編によれば、常陸国である女性が難病に冒され、夫が行商人から「白犬の肝が特効薬になる」と聞いて、飼い犬を殺して肝を服用させると、妻は元気になりましたが、後に生まれた女児はろくろ首となり、あるときに首が抜け出て宙を舞っていたところ、どこからか白い犬が現れ、首は噛み殺されて死んでしまったということです。
これらのように、ろくろ首・抜け首は基本的に女性であることが多いですが、江戸時代の随筆『蕉斎筆記』には男の抜け首の話があります。ある寺の住職が夜寝ていると、胸の辺りに人の頭がやって来たので、それを手にして投げつけると、どこかへ行ってしまいました。翌朝、寺の下男が暇を乞うたので、訳を聞くと「昨晩、首が参りませんでしたか」と言います。来たと答えると「私には抜け首の病気があるのです。これ以上は奉公に差し支えます」と、故郷の下総国へ帰って行きました。下総国にはこの抜け首の病気が多かったとされます。
根岸鎮衛による随筆『耳嚢』では、ろくろ首の噂のたてられている女性が結婚しましたが、結局は噂は噂に過ぎず、後に仲睦まじい夫婦生活を送ったという話があります。本当のろくろ首ではなかったというこの話は例外的なもので、ほとんどのろくろ首の話は上記のように、正体を見られることで不幸な結果を迎えています。
江戸時代の百科事典『和漢三才図会』では、中国のものと同様に「飛頭蛮」の表記をあて、耳を翼のように使って空を飛び、虫を食べるものとしていますが、中国や日本における飛頭蛮は単なる異人に過ぎないとも述べています。
小泉八雲の作品『ろくろ首』にも、この抜け首が登場します。もとは都人(みやこびと)で今は深山で木こりをしている一族、と見せかけて旅人を食い殺す、という設定で描かれています。
水木しげるの『ゲゲゲの鬼太郎』には、「高熱妖怪ぬけ首」として登場します。
本作では「抜け」ではなく平仮名表記の「ぬけ」が正しい表記となります。強面の男の妖怪で、自由に物理的に首と胴体を切り離せます。切り離した状態になると首は際限なく熱を発し、胴体が冷却装置の役割を担っています。ある時、首を切り離している最中に胴体が行方不明となってしまい、首は熱を発し続け巨大に膨れ上がり爆発寸前にまでなりました。
鬼太郎は仲間の冷凍妖怪(雪女や雪ん子)にぬけ首の首を冷やしてもらっている間に、胴体を捜索。胴体を見つけて戻ると、近づくことができない程の高熱となっており、鬼太郎は怪火たち(つるべ火など)の力を借りて、ようやく首を胴体に戻すことができました。
②首が伸びるろくろ首
上の左の画像は「北斎漫画」の「轆轤首」です。上の右の画像を見ると、着物を着て座っている人形(首だけが伸び縮みする)の後ろの黒幕から、顔だけ出した女性が首を伸び縮みさせるトリックがよくわかります。
「寝ている間に人間の首が伸びる」と言う話は、江戸時代以降『武野俗談』『閑田耕筆』『夜窓鬼談』などの文献にたびたび登場します。
これはもともと、ろくろ首(抜け首)の胴と頭は霊的な糸のようなもので繋がっているという伝承があり、石燕などがその糸を描いたのが、細長く伸びた首に見間違えられたからだとも言われます。
『甲子夜話』に次のような話があります。
ある女中がろくろ首と疑われ、女中の主が彼女の寝ている様子を確かめたところ、胸のあたりから次第に水蒸気のようなものが立ち昇り、それが濃くなるとともに頭部が消え、見る間に首が伸び上がった姿となりました。驚いた主の気配に気づいたか、女中が寝返りを打つと、首は元通りになっていました。この女中は普段は顔が青白い以外は、普通の人間と何ら変わりありませんでしたが、主は女中に暇を取らせました。彼女はどこもすぐに暇を出されるので、奉公先に縁がないとのことでした。
この『甲子夜話』と、前述の『北窻瑣談』で体外に出た魂が首の形になったという話は、心霊科学でいうところの「エクトプラズム」(霊が体外に出て視覚化・実体化したもの)に類するものとの解釈もあります。
江戸後期の大衆作家・十返舎一九による読本『列国怪談聞書帖』では、ろくろ首は人間の業因によるものとされています。
遠州で回信という僧が、およつという女と駆け落ちしましたが、およつが病に倒れた上に旅の資金が尽きたために彼女を殺しました。後に回信は還俗し、泊まった宿の娘と惹かれ合って枕をともにしたところ、娘の首が伸びて顔がおよつと化し、怨みつらみを述べました。回信は過去を悔い、娘の父にすべてを打ち明けました。すると父が言うには、かつて自分もある女を殺して金を奪い、その金を元手に宿を始めたが、後に産まれた娘は因果により生来のろくろ首となったとのことでした。回信は再び仏門に入っておよつの墓を建て、「ろくろ首の塚」として後に伝えられたということです。
ろくろ首を妖怪ではなく一種の異常体質の人間とする説もあり、伴蒿蹊による江戸時代の随筆『閑田耕筆』では、新吉原のある芸者の首が寝ている間に伸びたという話を挙げ、眠ることで心が緩むと首が伸びる体質だろうと述べています。
文献のみならず口承でもろくろ首は語られており、岐阜県の明智町と岩村の間の旧街道に、ヘビが化けたろくろ首が現れたといわれています。長野県飯田市の越久保の口承では、人家にろくろ首が現れるといわれました。
文化時代には、遊女が客と添い寝し、客の寝静まった頃合に、首をするすると伸ばして行燈の油を嘗めるといった怪談が流行し、ろくろ首はこうした女が化けたもの、または奇病として語られました。またこの頃には、ろくろ首は「見世物小屋」の出し物としても人気を博していました。『諸方見聞録』によれば、1810年(文化7年)に江戸の上野の見世物小屋に、実際に首の長い男性がろくろ首として評判を呼んでいたことが記されています。
明治時代に入ってもろくろ首の話があります。明治初期に大阪府茨木市柴屋町の商家の夫婦が、娘の首が夜な夜な伸びる場面を目撃し、神仏にすがったが効果はなく、やがて町内の人々にも知られることとなり、いたたまれなくなってその地を転出し、消息を絶ったということです。
2.落語の「ろくろ首」
妖怪の「ろくろ首」と、「首」を用いた慣用句を題材にした滑稽噺です。
元は幕末の万延頃に成立した上方落語とみられていて、東京で演じられた最初期の例としては、1905年(明治38年)に初代三遊亭圓左が演じた記録が残っています。
他の主な演者に、上方では五代目桂文枝(1930年~2005年)、二代目桂ざこば(1947年~ )らが知られています。東京では八代目林家正蔵(1895年~1982年)、三代目桂三木助(1902年~1961年)、十代目柳家小三治(1939年~2021年)らがいるほか、代々の柳家小さんが家伝のネタにしたことで知られています。
<あらすじ>
独身の男(喜六あるいは与太郎のキャラクター。東京では「松公」などの名が与えられます)が、隠居(上方では甚兵衛、東京では「岩田の隠居」)の自宅を訪ねたところ、縁談を持ちかけられます(あるいは、男の方から見合い話を頼みます)。
隠居は「婿養子に行く気はないか。さる資産家の娘で、器量(=容貌)もよい。ただし、言っておかなければならない欠点がある」と話します。男はいぶかしがり、「実は子供を宿していて、面倒を解決するために私をあてがおうというのでしょう。もしくは、会う人ごとにあることないことを言いふらして歩き、もめごとを作って喜ぶのでしょう」などと問います。
隠居は「そうではない。毎晩午前2時ごろになると、首が、シューッ、と伸びるのだ。これまで何度も結婚したものの、そのたびに婿に逃げられてしまい、困っているというのだ」と告げます。男は「それではろくろ首ではないか」と気味悪がり、一度は渋りますが、「夜中は寝さえすれば、伸びる首を見ずにすむだろう(あるいは、知人に縁談が行き、女を取られるのは面白くない)」と思い直し、婿入りを決意します。
男が、娘の家で行う挨拶の形式を覚えられないため、隠居は案じ、男の足の指(あるいは、ふんどし)にひもを結び、隠居がひそかにそれを引っぱれば(※指の場合は別々のひも、ふんどしの場合は回数)、男が「左様左様」、「ごもっともごもっとも」、「なかなか」と返事するよう取り決めます。隠居は男を羽織袴に着替えさせ、娘の屋敷へ連れて行きます。
屋敷では娘の乳母が応対し、隠居と挨拶を交わします。男は慣れない正座のために足がしびれ、体をしきりに動かし始める。それに合わせて結んでいたひもが動き出し、娘宅の飼い猫がそれにじゃれつき出してしまいます。男は隠居が引っ張っていると勘違いし、それに合わせてしゃべりだします。「なかなか。さようさようごもっとも。ごもっともなかなか……」
やがて婚礼ということになり(※同日の場合と、日を改める場合とがあります)、その夜、男はそばで眠る娘の首が気になり、寝付くことができません。男は、娘の首が伸びるのをはっきりと目撃してしまい、恐怖のあまり絶叫しながら屋敷を飛び出します。
男は隠居宅の戸を叩き、「首が伸びた」と叫びながら転がり込みます。「伸びるのを承知で行ったのだろう」「まさか初日(しょにち)から伸びるなんて思わなかった」「芝居ではないのだから初日も千秋楽もないだろう。もう一度お屋敷に戻りなさい。お嬢さんがおまえの帰りを、今か今かと待っている」「怒っていないでしょうか。どんな風に待っているでしょうか」
「首を長くして待っている」