漢字発祥の国だけあって、中国の「四字熟語」は、人生訓にもなるような含蓄に富んでおり、数千年の悠久の歴史を背景とした故事に由来するものも多く、人類の叡智の結晶とも言えます。
1.横綱の決意表明の口上にも使われた「四字熟語」
(1)横綱貴乃花
「四字熟語」と言えば、1994年11月に貴乃花(1972年~ )が横綱に推挙され、使者を迎えた時の決意表明の口上として「不撓不屈(ふとうふくつ)」「不惜身命(ふしゃくしんみょう)」という言葉を述べたことが、私には強く印象に残っています。
今後も不撓不屈の精神で、力士として不惜身命を貫く所存でございます。
①不撓不屈とは
意味:「強い意志をもって、どんな苦労や困難にも挫けないさま」のことです。「撓」は「たわむ」という意味で、転じて屈することです。「不屈不撓」とも言います。
なお反対語は「戦意喪失(せんいそうしつ)」で、戦う気力を失うことです。
出典:「漢書」叙伝
用例:萩原朔太郎(1886年~1942年)「詩の原理」
実にこうした思索の点では、僕は自分の柄にもなく、地獄の悪魔の如き執念深さと、不撓不屈の精神を有している。倒れても倒れても、僕は起きあがって戦ってくる人間だ。
②不惜身命とは
意味:「自分の身や命を惜しまないこと」です。仏教語で、もとは「仏道のためには自らの身命を惜しまない」という意味です。
なお反対語は「可惜身命(あたらしんみょう)」で、体や命を大切にすることです。
出典:「法華経」譬喩品
用例:阿部次郎(1883年~1959年)「三太郎の日記」
我らは道を求め道に奉仕せんがために、不惜身命でなければならない。
(2)横綱若乃花
以後の横綱も同様に「四字熟語」を使って決意表明するようになりました。兄の若乃花(1971年~ )は1998年5月に次のように「堅忍不抜(けんにんふばつ)」の精神と述べました。
横綱として堅忍不抜の精神で精進していきます。
①堅忍不抜とは
意味:「どんなことがあっても心を動かさず、じっと我慢して耐え忍ぶこと」です。「堅忍」は意志が極めて強く、じっと耐え忍ぶことです。「不抜」は固くて抜けないという意味です。
出典:「蘇軾」鼂錯論
用例:内田魯庵(1868年~1929年)「鴎外博士の追憶」
或る日の逸話に鴎外と私と二人を列べて、堅忍不抜精力人に絶すと同じ文句で並称した。
2.あまり知られていない面白い四字熟語
四字熟語は我々日本人にも馴染み深いものですが、一般に知られているのはごくわずかで、ほかにもたくさんの面白い四字熟語があります。
そこで次は、あまり知られていない面白い四字熟語をいくつかご紹介したいと思います
(1)孝子愛日(こうしあいじつ)
意味:「親孝行な子供は、親が年取っていくことを心配し、親に仕える時間が少しでも長く取れるように、寸暇を惜しんで親孝行をする」という意味です。
「孝子は日(ひ)を愛(おし)む」と訓読されることもあります。
出典:「揚子法言」孝至篇
なお、かつて大阪市中央区の地下鉄淀屋橋駅の近くに「愛日小学校」という歴史の古い小学校がありました。
「愛日小学校」は1872年創立で、江戸時代後期の町人学者の山片蟠桃(1748年~1821年)の屋敷跡が学校敷地です。大阪都心部の人口減少のために、1990年に閉校となりました。
(2)愛屋及烏(あいおくきゅうう)
意味:「溺愛、盲愛のたとえ」です。その人を愛するあまり、その人に関わるもの全て、その人の家の屋根にとまっている烏(からす)さえも愛(いと)おしくなる」ということです。
「愛及屋烏(あいきゅうおくう)」とも言います。一般に「屋(おく)を愛して烏(からす)に及ぶ」と訓読されます。
出典:「孔叢子」連叢子下
(3)安常処順(あんじょうしょじゅん)
意味:「憂いなく、平穏な生活に満足して、時の流れゆくままに身を任せること」です。まった「平穏な生活に慣れ、順調な境遇にいること」です。
「常(つね)に安(やす)んじて順(じゅん)に処(お)る」と訓読します。
出典:「荘子」養生主
なお、よく似た言葉に「安閑恬静(あんかんてんせい)」があります。これは「ゆったりとして静かで安らかなさま」のことです。「無欲で心騒ぐことなく、ゆったりとしたさま」です。
(4)安居楽業(あんきょらくぎょう)
意味:「社会的地位など、現在の環境や状況に心安らかに満足し、自分の仕事を楽しむこと」です。「自分の分(ぶん)をわきまえて不満を持たず、心安らかに自分のなすべき仕事をすること」を言います。
また、転じて「善政の行われていることのたとえ」としても用いられます。
「居に安んじ業を楽しむ」あるいは「安居して業を楽しむ」と訓読します。
出典:「漢書」貨殖伝・序
(5)安居危思(あんきょきし)
なお、同じ「安居」という言葉が入っていますが、戒めの四字熟語「安居危思(あんきょきし)」があります。
意味:「平穏な時にも万一のことを思い、常に用心を怠らないことが必要であるという戒めの言葉」です。「居安思危(きょあんしき)」とも言います。
一般に「安きに居(お)りて危うきを思う」と訓読します。
出典:「春秋左氏伝」襄公十一年
(6)已己巳己(いこみき)
意味:「已」「己」「巳」の3種の字形がそれぞれ似ていることから、互いによく似ているもののことのたとえとして使われる語です。
先頭の「已」は、「已然形(いぜんけい)」や「已来(いらい)」(「以来」と同義)などの熟語があるように音読みは「い」で、訓読みは「やむ、すでに、のみ、はなはだ」です。
二番目と末尾の「己」は、「自己(じこ)」や「利己(りこ)」のように呉音に従って「こ」と読む場合と、「克己心(こっきしん)」のように漢音に従って「き」と読む場合があります。訓読みは「おのれ」「つちのと」です。
三番目の「巳」は、「巳年(みどし)」「上巳(じょうし)」のように訓読みで「み」、音読みで「し」と読みます。
類義語としては「瓜二つ」「大同小異」、対義語としては「雲泥の差」「不一致」などが挙げられます。
3.四字熟語を用いたその他の面白い文章
なお、小説家・歌人の岡本かの子(1889年~1939年)の「生々流転」という小説の中に次のような面白い文章があります。
けふは呉越同舟の船かね、それとも一蓮托生の船かね
これは、敵か味方かを直接的に問うのではなく、比喩的に四字熟語を使った味わい深い文章です。
余談ですが、彼女は1970年大阪万博の「太陽の塔」や「芸術は爆発だ」という言葉で有名な岡本太郎(1911年~1996年)の母親です。
(1)呉越同舟(ごえつどうしゅう)とは
意味:「仲の悪い者同士や敵味方が、同じ場所や境遇にいること」です。本来は、「仲の悪い者同士でも、同じ災難や利害が一致すれば、協力したり助け合ったりするたとえ」です。
「呉」「越」はともに中国春秋時代の国名です。「楚越同舟」とも言います。
出典:「孫子」九地
用例:横光利一(1898年~1947年)「旅愁」
いよいよカイロ行の一団は、千鶴子の組も真紀子の組も呉越同舟で三台の自動車に分乗した。
(2)一蓮托生(いちれんたくしょう)とは
意味:「事の善悪にかかわらず、仲間として行動や運命をともにすること」です。もと仏教語で、善い行いをした者は極楽浄土に往生して、同じ蓮の花の上に身を託して生まれ変わることからです。「托」は、拠り所とする、身を寄せるという意味です。
出典:仏語
用例:夢野久作(1889年~1936年)「名娼満月」
二人とも世を忍ぶ身ながらに、落ちぶれて見ればなつかしい水の月。おなじ道楽の一蓮托生と言ったような気持も手伝って、昔の恋仇の意地張は何処へやら。心から手を取り合って奇遇を喜び合うのであった。