前に「死語になった残しておきたい美しい日本語」という記事を書きましたが、このほかに「二十四節気」や「七十二候」にも季節を表す美しい言葉があります。
それ以外にもまだある日本の四季を表す美しい言葉のうち、今回は「冬」の季節感を表す言葉をご紹介したいと思います。
・寒月(かんげつ)
冬の季語として俳句や短歌に多く用いられている言葉です。寒い夜、冴えわたって見える月を表しています。ツーンとするような寒さの日は、身が引き締まった感覚になるもの。空気も澄んでいるように感じられます。
澄み渡った空気の中、ふと空を見上げると見える、冷たく光る月。頬をなでる冷たい風が、月をいっそう美しい光に見せてくれるようです。凍てつく寒さの中、美しい月の光に照らされている情景が浮かぶ言葉です。
・顔見世(かおみせ)
顔見世は、「顔見世狂言」ともいい、江戸時代からはじまった歌舞伎の世界の年中行事です。
江戸時代、役者と劇場の契約は11月から一年間で、年に一回、10月に各劇場で役者の入れ替えを行い、11月興行に新たに契約を結んだ役者が勢揃いし、その顔ぶれを見せることからこう呼ばれました。初日は午前2時ころから興行がありました。現在は京都、南座の12月興行にその雰囲気が残っています。
新しい顔ぶれによる初興行ということで、自然と一年でもっとも重要な興行と位置づけられるようになったのです。
現在も11月(歌舞伎座)か12月(京都南座)(ただし名古屋御園座は10月)に顔見世興行が行われており、例年これを楽しみにしているファンは多いようです。このことから、新しい職場での初日のように、初対面の人が大勢いる前で紹介されることも顔見世というようになりました。
・初明かり(はつあかり)
元旦の日の出前のぼんやりした明るい空を表現した言葉で、1年で一番最初の夜明けごろを表現しています。「新年」の季語です。
・初気色(はつげしき)
新年初めて見る風景のことです。「初景色」とも書きます。「新年」の季語です。
新年初めての外出を「初門出(はつかどで)」または「初戸出(はつとで)」、とくに元日の朝の外出を「初朝戸出(はつあさとで)」といいますが、元旦の初門出に見る初気色は、大気までが改まるような何ともいえない雰囲気があるものです。
いつもの見慣れた風景なのに、草木や烏など、目に映る何もかもが新鮮に見えて、初春のめでたさが満ちあふれているかのようです。このようなめでたい空気感、気配を「淑気(しゅくき)」といいます。
・風花(かざはな)
寒々とした冬の晴れた日に、小雪がちらちらと風に舞うように降ることを表す言葉です。また、山や野に積もっていた雪が風によって運ばれ、花びらのように舞いちらつく現象も表しています。風に舞う小雪を花に例えた美しい言葉ですね。
ほかにも、雪を表した古い言葉はたくさんあります。例えば、「六花(むつのはな/りっか)」は雪の別名で、雪の六角形の結晶からきています。「細雪(ささめゆき)」は粒の細かい雪を表し、「餅雪(もちゆき)」は餅のようにふわふわとした雪を意味する言葉です。
・雪気(ゆきげ)・雪催(ゆきもよい)
いまにも雪が降りそうな冬の空模様のことで、雲が重く垂れこめ、空
気も冷え冷えとしてきます。「冬」の季語です。
・冬木立(ふゆこだち)
冬木立とは、落葉した冬の木々のことです。冬になると、以前は茂った枝葉に隠れて見えなかった風景が、枝越しに見えるようになりますね。いつもとは違う風景から新しい発見があったりして、それはそれで面白いものなのですが、裸木を連ねる冬木立の寒々しさに、少しメランコリックな気分になったりします。
冬は、わずかに持っていた色彩を、乙女椿や侘助の花に使い尽くしてしまったようです。
それでいて不思議なことに、冬木立には厳しい冬を乗り越えようとする、静かな決意のようなものが漲っているように感じます。生命力旺盛な夏木立にはない、荘厳なたくましさも持っています。春の芽吹きの予感を秘めて、静かにたたずむ冬木立もよいものです。
・冬化粧(ふゆげしょう)
雪が積もってあたりが白銀に覆われ、景色が美しく様変わりすることを、化粧にたとえて雪化粧といいます。色のない冬ざれの街も、荒涼とした朽野も白く覆われて、別世界のようです。
雪見と酒落込んで、暖かい部屋から雪景色を眺めるのも風流ですが、まだだれも踏んでいない真新しい雪の上に自分の足跡をつけて歩くのは、わけもなく楽しいものです。
古代では信仰習俗と結びついていて、神様に祈りを捧げるために化粧をすることもあったそうです。平安の貴族は、男性も化粧をしたと言います。大地が真っ白に粧う雪化粧は、さながら、神聖な儀式の前の念入りなおつくりだといえるでしょう。
・日溜まり(ひだまり)
ときに、厚手のコートで歩いていると、うっすらと汗ばむような陽気があります。風のない日中なら、まるで秋口のように暖かかったりします。こういう暖かい日溜まりを猫は不思議と知っていて、気がつくと、ちゃんとそこで丸くなってうっとりと日向ぼっこをしています。これを「かじけ猫」と言いました。暖かいところを見つけては丸くなっている、寒がりの猫。「かじけ」とは「かじける」のことでかじかむの意味です。
猫はもともと南方の生き物であったため、とても寒がり。家々にかまどがあったころは、暖をとろうとして火を落とした後のかまどに入り込むため、灰まみれになった猫を「灰猫(はいねこ)」ともいいました。これを「竈猫(かまどねこ/へっついねこ)」ともいい、宮沢賢治の「猫の事務所」に登場する「かま猫」は、このかまど猫です。
・霜の衣(しものころも)
冬の季節に一面、白く霜が降りた様子を表す言葉です。気温が上がれば溶けてしまう、そんな霜のはかない様子を表します。
この言葉の使用例を挙げると、例えば、「今日は霜の衣が見受けられ、寒い冬の一日となった。」と表現することができます。情緒豊かに冬の寒い様子を表現したい方にはぜひおすすめしたい表現です。
・狐火(きつねび)
これは、日本各地に伝わる怪火で、狐がともすと信じられた白みがちで少し青みがある燈火です。冬の季節に山などの場所でで火の気のないところから火が上がる様子を表す言葉です。
正体は、馬骨などがあるところで、狐の咥(くわ)えた骨から発する燐光が、狐の歩みにつれて動き、それが嫁入りのように見えるとも、また雨が降って燐化水素が燃えるためだとも言われています。
雪女郎のように多少誇張され、迷信めいた点がありますが、狐火は必ずしも荒唐無稽なものではないようです。
出没時期は一般に冬とされており、「冬」の季語です。
狐火や 髑髏に雨の たまる夜に(与謝蕪村)
狐火の 出てゐる宿の 女かな(高浜虚子)
郷土研究家・更科公護がまとめた狐火の特徴によれば、火の気のないところに、提灯または松明のような怪火が一列になって現れ、ついたり消えたり、一度消えた火が別の場所に現れたりするもので、正体を突き止めに行っても必ず途中で消えてしまうということです。また、現れる時期は春から秋にかけてで、特に蒸し暑い夏、どんよりとして天気の変わり目に現れやすいということです。
十個から数百個も行列をなして現れ、その数も次第に増えたかと思えば突然消え、また数が増えたりもするともいい、長野県では提灯のような火が一度にたくさん並んで点滅するということです。
火のなす行列の長さは一里(約4キロメートルあるいは約500~600メートル)にもわたるということです。火の色は赤またはオレンジ色が多いとも、青みを帯びた火だともいいます。