「しんにょう」はなぜ二種類あるのか?「一点」と「二点」の区別やその理由は?

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しんにょう

皆さんは「しんにょう」(しんにゅう)の漢字の「活字」で、点が一つのものと二つのものがあることにお気づきになったことはありませんか?

1.「しんにょう」という漢字の成り立ち

しんにょうという漢字の成り立ち

これは「会意文字」(行の省略形+止)です。「十字路」の象形と「立ち止まる足」の象形から「道を行く」を意味する「」という漢字が成り立ちました。

なお、「辶・⻌」は「辵」の略字です。「辵・辶」は「⻌」の旧字(以前に使われていた字)です。何だかちょっとややこしいですね。

「之繞(しにょう)」の読みがなまって(変わって)、「しんにょう、しんにゅう」と読むようになりました。「繞(にょう)」とは、「漢字の構成要素のうち、左から下にかけて置かれるもの」の総称です。

」は、「辵⇒辶⇒⻌」と略されて行きましたそして「辵(辶・⻌)」をもとにして、「行くこと」や「遠近など」に関する漢字ができました。

2.「一点しんにょう」と「二点しんにょう」とは

パソコンなどで「しんにょう」が付く漢字を表示すると、文字によってしんにょうの形が変わる場合があります。

一点しんにょう・二点しんにょう

区別するために、点の数から「一点しんにょう」「二点しんにょう」と呼ばれます。

たとえば「逞」の部首には「二点しんにょう」が使われています。

常用漢字」では、「遜」「遡」などの例外を除いて「一点しんにょう」を用いるように統一されたため、「二点しんにょう」の「逞」は常用漢字外に当てはまります。

3.「一点しんにょう」と「二点しんにょう」の区別

つまり、「辵(辶・⻌)」は「辵⇒辶⇒⻌」と略されてきたという歴史があり、「辶・⻌」は「辵」の略字で、「辵・辶」は「⻌」の旧字ということで、どれも正しいのです。

書物やパソコンの活字で「一点しんにょう」と「二点しんにょう」の区別があるのは、上記のように戦後の国語改革に伴う「常用漢字」によって、「常用漢字とされた漢字」が、「一点しんにょう」となり、「常用漢字外とされた漢字」(表外漢字)が「二点しんにょう」となったというだけです。

なお、2010年(平成22年)の常用漢字表には、「遜」「遡」などの「二点しんにょう」(辶)の漢字が追加されました。

4.戦前の「旧字体」の活字が「二点しんにょう」となっていた理由

日本における戦前の活字は、おおむね「康熙字典(こうきじてん)」(18世紀の始めに清の康熙帝の勅命によって編まれた漢字字典が示す漢字の形に合わせて造られていました

明治時代の日本では学校教育制度の近代化が進み、子どもたちに教える漢字の形を法律で制定しようという動きが生まれました。このときに模範とされたのが、中国・清の時代(1716年ころ)に編纂された「康煕字典」でした。この時代の中国で正しいとされていた「しんにょう」の形が「二点しんにょう」だったため、明治政府はそれを取り入れたのです。

戦前の明朝体活字の形を調べた「明朝体活字字形一覧 ―1820年~1946年―」(平成11年 文化庁)という資料で「邁」と「進」の形を見ると、昭和21年(1946年)までは「邁」だけでなく「進」も、全て「二点しんにょう」であったことが分かります。この資料は,活字を製作していた各会社の見本帳にあった文字を比較できるよう並べたものです。

5.戦後の「当用漢字」「常用漢字」などの国語改革による混乱

戦後1946年(昭和21年)に、国語審議会は「漢字の整理が現下の急務である」として、1850字からなる「当用漢字表」を発表しました。これは,「国民生活の上で、漢字の制限があまり無理がなく行われることを目安として選んだもの」でした。

この時「進」は1850字の一つとして表に採用されましたが、「邁」は選ばれませんでした。そして、そのことが現在の印刷文字における「しんにょう」の点の数に影響しているのです。

1949年(昭和24年)に政府は「当用漢字字体表」を発表しました。これは,「当用漢字表として使われ始めていた漢字の字体を新たに定めたもの」です。

戦前の漢字には画数の多い難しいものが少なくなく、また同じ漢字でありながら幾つもの字体がある(「島」「嶋」「嶌」など。)字もありました。そこで国語審議会は、主に手書きするときに用いられていた簡単な字体を採用し、当用漢字の範囲については、それを印刷文字としても使うようにしたのです。

この時、「進」は点一つの形に整理されました。そのほか当用漢字表の中にある「道」「遠」「辺」などの「しんにょう」の印刷文字も、全て「進」と同様に点一つに統一されたのです。

一方、当用漢字表に採用されなかった「邁」をはじめとする「しんにょう」の漢字の印刷文字については、人名用漢字になった「遼」などの例外を除いて、その後も戦前と同じ点二つの形で用いられていきました。

これは,1981年(昭和56年)に当用漢字表に代わって、「一般の社会生活における漢字使用の目安」として定められた「常用漢字表」以降においても同様だったのです。国語審議会は,「常用漢字表に掲げていない漢字の字体に対して、新たに表内の漢字の字体に準じた整理を及ぼすかどうかの問題については、当面特定の方向を示さず、各分野における慎重な検討にまつ」(国語審議会答申「常用漢字表」)としました。したがって「表外漢字」については、戦前と変わらず、「康熙字典」に基づく字体が用いられているのです。

2000年(平成12年)に国語審議会が示した「表外漢字字体表」は、点二つの字体を採用しています。表外漢字字体表は、当時「常用漢字表」に入っていない漢字(表外漢字)と「人名用漢字」に入っていない漢字1022字の「印刷標準字体」を示しました。

その際、当時の書籍などを広く調査した結果、「しんにょう」については点二つの形を採用しています。2010年(平成22年)の常用漢字表改定においては、国語施策の一貫性を大切にするという観点から、原則として表外漢字字体表が示す印刷標準字体をそのまま採用したのです。

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