「夢」という漢字をじっと見つめていると、「なぜ草かんむりなのか」などの疑問が湧いてきて、「ゲシュタルト崩壊」を起こしそうな不思議な字のように感じられます。
1.「夢」という漢字の成り立ち
「夢」は会意兼形声文字です(瞢の省略形+夕)。
「並び生えた草の象形と人の目の象形」(目がはっきりしない」の意味)と「月」の象形(夜の意味)から、「ゆめ」、「暗い」を意味する「夢」という漢字が成り立ちました。
「夕暮れに草むらからものを見ている様子」を表しています。
薄暗い夕暮れに視界の悪い草むらからものを見ても、よく見えないですよね。そのようにぼんやりとしてはっきりしないさまを、「夢」と言うようになったのです。確かに将来の夢も寝る時に見る夢もはっきりとしないものです。
豊臣秀吉の辞世「露と落ち 露と消えにし 我が身かな 浪速のことは 夢のまた夢」は、夢の儚(はかな)さを見事に表していると私は思います。
なお、「夢」という漢字の成り立ちについては、もう一つ「古代文字」からの起源の説があります。
上の画像は、古代文字の甲骨文字の「夢」です。
古代文字では、頭に角(つの)のようなものをつけた人間が、ベッドに寝ている形に描かれています。宗教色の濃い古代国家では、それぞれの国ごとに「巫女(シャーマン)」としての役割を持つ女性がいました。
国と国が戦争になれば、まず彼女たちがそれぞれ相手の国に呪いをかけました。兵士を動員して実際に武力行使する前に、まず目に見えない霊力で、敵から発せられる呪いを倒さなければならなかったのです。
ベッドに寝ている人は王であって、彼は今まさに敵の巫女から呪いをかけられているのです。その呪いによって、彼の頭の中には架空の映像が展開されます。それがほかでもなく「夢」であり、この呪いによって殺されることを「薨(こう)」と言います。
今ではあまり使われなくなりましたが、「身分の高い人の逝去」をかつては「薨去(こうきょ)」と言いました。
つまり、「夢」とは「他から仕掛けられた悪夢」であって、現在の我々が考えるような明るく楽しいイメージの夢ではありませんでした。
2.二種類の夢
「夢」には、「睡眠中に見る夢」と「将来の夢や願望」の二種類があります。
私が子供の頃よく聞いたフレーズに「夢のハワイ旅行」というのがありました。「夢のジャンボ宝くじ」とか、「今年こそ夢を実現しましょう」などというのは、全て「将来の夢や願望」です。
これに対して「睡眠中に見る夢」については、昔から人々は不思議な感覚を持ち、いろいろな考え方を持ったようです。
3.「睡眠中に見る夢」に関する考え方の歴史
未開人や古代人の間には、「睡眠中に肉体から抜け出した魂が実際に経験したことがらが夢として現れる」という考え方が広く存在しました。
「夢は神や悪魔といった超自然的存在からのお告げ」という考え方は世界中に見られます。古代ギリシアでは、夢の送り手がゼウスやアポロンだと考えられていました。「旧約聖書」でも、神のお告げとしての夢は豊富に登場します。有名なところでは、例えばアビメレクの夢のくだりなどがあります。
中世の神学者トマス・アクィナスは夢の原因には精神的原因、肉体的原因、外界の影響、神の啓示の4つがある、としました。
バビロニアにおいては「夢の解釈技法」が発達し、夢解釈のテキストまで作られていました。
古代の北欧でもやはり人々は夢解釈に習熟しており、ある種の夢に関しては、その解釈について一般的な意見が一致していたということです。たとえば、白熊の夢は東方から嵐がやってくる予告だ、と共通の認識があったということです。
ユダヤ法典には、エルサレムに12人の職業的夢解釈家がいたことが書かれています。
ネイティブアメリカンの一部の部族には、夢を「霊的なお告げ」と捉え、朝起きると家族で見た夢の解釈をし合う習慣があるそうです。
古代ギリシアにおいて夢は「神託」であり、夢の意味するものはそのままの形で夢に現れているため「解釈を必要としない」(アルテミドロス)と考えられていました。
日本にも法隆寺「夢殿」(上の画像)というのがあります。この 堂が夢殿と呼ばれるようになったのは平安時代のことですが、その名は、かつて聖徳太子が法隆寺に参籠して瞑想にふけったときに黄金でできた人が現れ、疑義を解く教示を受ける夢を見たという故事に基づいています。
「夢占い(あるいは夢判断)」では、「夢を見た者の将来に対する希望・願望」を指すか、「これから起き得る危機を知らせる信号」と考えられています。また、夢でみた現象がそのまま実現する夢を「予知夢」と呼び、可能性がある夢を詳細に検討する場合もあります。
一例として、「沙石集」には、熊野の阿闍梨が地頭の娘に一目惚れして、会いに行こうとしたが、船上で寝た際、その後の13年間を夢の中で見てしまい、我に返って、修行に戻った話があります。
夢をみるプロセスに関しては様々な科学者が提唱を行っており、オーストリアの精神科医ジークムント・フロイトは「夢は無意識の願望が現れたもの」と考えました。また、DNA(デオキシリボ核酸)の二重らせん構造の発見で知られるイギリスの科学者フランシス・ハリー・コンプトン・クリックは「夢は脳にとって不要な記憶を消去している過程」であると考えました。
1953年には「急速眼球運動(rapid eye movement、REM)を伴う睡眠フェーズ」である「レム睡眠」が発見され、夢は本格的な科学研究の対象として扱われるようになりました。
しかし、レム睡眠の発見後もフロイトやクリックなどの仮説の科学的立証はできておらず、夢は未だに謎が多いものです。
一方で主にノンレム睡眠中に生じやすい脳波のデルタ波がノンレム睡眠とレム睡眠の切り替えに作用しており、学習や記憶形成に関与していることが明らかになっています。