前に「江戸いろはかるた」を紹介する記事を書きましたが、江戸風俗がよくわかる「川柳いろは歌留多」というのがあるのをネットで見つけましたのでご紹介します。
これは、Ahomaro Ufoさんが作られたものです。この「川柳いろは歌留多」は江戸川柳「柳多留」から、庶民の生活を詠んだ川柳を<現代語解釈>で表現した不思議な空間です。
江戸の庶民風俗を浮世絵と明治大正時代の手彩色絵葉書や昭和30年頃までの広告などを巧みに取り入れた時代絵巻は、過去例を見ない雰囲気を醸し出しています。
Ahomaro Ufoさんが作られたものを、私なりにアレンジしてご紹介します。
1.い:一日は十二刻(じゅうにこく)でも事足りた
江戸時代は、一日を「十二支」に当てはめて「十二刻」に分けました。
日の出から日没までを六等分したのが、「一刻」、午前0時は「九つ」で、そこから2時間ごとに「四つ」まで時を刻み、正午はまた「九つ」から始まります。
一日に同じ時が二度ありますが、「明け六つ・暮れ六つ」「昼九つ・夜九つ」のように使い分けていました。
太陽の動きで算出した「不定時法」で、春分と比べて夏至は昼が一刻長く、夜が一刻短くなり、秋分と比べて冬至はその逆に昼が一刻短く、夜が一刻長くなるもので、いわば「自然のサマータイム」でした。
2.ろ:六道銭(ろくどうせん)飛鳥(あすか)の頃より値上げなし
「六道銭(ろくどうせん/りくどうせん)」とは、死者と共に棺桶に入れる銭貨(六文銭)のことです。現代では紙に印刷されたもので代用することも多いですが、これを指して六道銭と呼ぶこともあります。
「六道」の岐(街)で使用する路銀や、「三途の川(さんずのかわ)」の渡し賃、六道能化(のうげ)の地蔵菩薩への賽銭とも言われますが、金属の呪力で悪霊を払う意味があるとも言われます。
ちなみに「六道」とは、死者が旅をするという地獄道(じごくどう)、餓鬼道(がきどう)、畜生道(ちくしょうどう)、阿修羅道(あしゅらどう)、人間道(にんげんどう)、天道(てんどう)の六つの行程のことです。
江戸の橋の渡し賃は年々上昇していましたが、三途の川の渡し賃だけは飛鳥時代から値上げされていないというわけです。
3.は:橋杭(はしくい)で国と国とを縫い合わせ
江戸時代に隅田川にかかっていた橋は、奥州街道の千住大橋、吾妻橋、両国橋、永代橋の四本(隅田四橋)のみでした。
2022年2月に始まったロシアによるウクライナ侵略でも、ロシア軍が橋を破壊した例がありますが、徳川家康も戦略上、千住大橋以外に橋をかけさせませんでしたが、その後の万治2年(1659年)、最初にかけられたのが両国橋です。武蔵国と下総国の両国を結ぶことからこの名がつきました。
橋の東西は「火除け地(ひよけち)」の広場となり、芝居小屋などが建ち並び、江戸一番の盛り場となりました。
4.に:女房の苦労知らずに子は育つ
江戸時代の男尊女卑というのは、庶民には通じません。どこの長屋でも女房が威張っていたのですが、こと子育てとなると女房達も子供には頭が上がらなかったようです。
「子は鎹(かすがい)」とか「子は三界(さんがい)の首枷(くびかせ)」などと言いますが、江戸の家庭での子育ては女房の役目となっていて、男児は「父ちゃんのようにはならないように」と小さい頃から躾けられたので、女房子供とも揃って父親を馬鹿にしていたとも言われています。
5.ほ:本刃がね吉井(よしい)の名産火打鎌(ひうちがま)
江戸市中で実演を伴って売る人は「香具師(こうぐし/やし)」と呼ばれ、その営業には「香具師免許状」が必要でした。
「ガマの油売り」などがその代表的な例ですが、「バナナの叩き売り」や『男はつらいよ』の主人公で「啖呵売(たんかばい)」をするフーテンの寅さんのような人です。
「火打ち鎌売り」も、火打ち石を火打ち鎌に打ち付け火花を散らしながら、「是は上州吉井宿名代銘作 ほんはがね めしませめしませ・・・」と実演をします。
江戸時代初期は江戸升屋・京吉久・大坂明珍が有名でしたが、天保末期から吉井宿の火打ち鎌が江戸市中に進出し、辻々に行商人を配置して業績を伸ばしていったそうです。
6.へ:竃(へっつい)の煙にむせんで亭主待つ
「竃」は「かまど」のことです。新婚当時は食事の支度に忙しかった女房も適当になってきます。
特に大工などの職人は、仕事が終わるとそのまま居酒屋で食事を済ませ、女房は一人寂しい夕食をとることも多くなり、隣近所と共同で夕食を作り分け合ったりしたそうです。
へっついの煙にむせる健気な女房の姿は、新婚の頃だけだったというわけです。
現代でも酒好きな人は、サラリーマンでもそんな人がいます。私が現役サラリーマンの頃、毎日のように飲みに行く同僚がいましたが、彼の奥さんは夕食の準備を全くしなくなったそうです。せっかく作っても、家で食べないことがほとんどだったからです。
7.と:歳の市(としのいち)娘うきうき親はどきどき
「歳の市」とは、年の暮れに正月用の飾り物や雑貨類を売る市のことです。注連(しめ)飾、若水桶(わかみずおけ)、三方(さんぼう)、縁起物などを売り、土地により特色のある市が立ちます。江戸では浅草観音、深川八幡、神田明神などが有名でした。
江戸の「歳の市」は、12月14日の深川八幡を皮切りに、寺社を転々と変えて立ちました。中でも最も賑わったのが浅草寺の歳の市です。文字通り江戸第一の大市で、羽子板を売る店が多かったことから俗に「羽子板市」と呼ばれました。
江戸での商取引は、「盆暮勘定」つまり年2回あるいは1回でしたから、年の瀬ともなると貸し方も借り方もまさに一大事です。大晦日の深夜まで取り立て合戦の攻防が続きました。
この時期を逃すと、次の勘定日まで取り立てができなかったためです。そんな時は借金取りから逃げるために、歳の市にウキウキする娘を連れてドキドキしながら「除夜の鐘」を待ったのです。