『ギリシャ神話』はもともと口承文学でしたが、紀元前8世紀に詩人のヘーシオドスが文字にして記録しました。古代ギリシャの哲学、思想、宗教、世界観など多方面に影響を与え、ギリシャでは小学校で教えられる基礎教養として親しまれています。
絵画ではしばしばモチーフとして扱われ、多くの画家が名作を残しています。文学作品や映画などにも引用され、ゲーム作品でも題材になっていることがあります。たとえば、ディズニー映画の『ヘラクレス』はギリシャ神話をモデルにしたお話です。
『ギリシャ神話』(およびその影響を受けた『ローマ神話』)は、現在まで欧米人にとって「自分たちの文化の土台となったかけがえのない財産」と考えられて、大切にされ愛好され続けてきました。
欧米の文化や欧米人の物の考え方を理解するためには、欧米の文化の血肉となって今も生き続けている『ギリシャ神話』の知識が不可欠です。
「日本神話」は、天皇の権力や天皇制を正当化するための「王権神授説」のような神話なので、比較的単純ですが、『ギリシャ神話』は、多くの神々やそれらの神の子である英雄たちが登場し、しかもそれらの神々の系譜や相互関係も複雑でわかりにくいものです。
前に「ギリシャ神話・ローマ神話が西洋文明に及ぼした大きな影響」という記事や、「オリュンポス12神」およびその他の「ギリシャ神話の女神」「ギリシャ神話の男神」を紹介する記事を書きましたので、今回はシリーズで『ギリシャ神話』の内容について、絵画や彫刻作品とともに具体的にご紹介したいと思います。
第9回は「最強の英雄ヘーラクレースと12の功業」です。
1.へーラクレースとは
ヘーラクレース は、ギリシア神話の英雄です。ギリシア神話に登場する多くの半神半人の英雄の中でも最大の存在です。のちにオリュンポスの神に連なったとされます。ペルセウスの子孫であり、ミュケーナイ王家の血を引いています。
幼名をアルケイデースといい、祖父の名のままアルカイオスとも呼ばれていました。後述する「12の難業」を行う際、ティーリュンスに居住するようになった彼をデルポイの巫女が 「ヘーラーの栄光」を意味するヘーラクレースと呼んでからそう名乗るようになりました。
キュノサルゲス等、古代ギリシア各地で神として祀られ、古代ローマに於いても盛んに信仰されました。その象徴は弓矢、棍棒、鎌、獅子の毛皮です。
ローマ神話(ラテン語)名は「 Hercules (ヘルクレース)」で、星座名の「ヘルクレス座」はここから来ています。
英語名はギリシア神話ではHeracles(ヘラクリーズ)、ローマ神話ではHercules(ハーキュリーズ)。イタリア語名はギリシア神話ではEracle(エーラクレ)、ローマ神話では Ercole(エールコレ)。フランス語名はギリシア神話では Héraclès (エラクレス)、ローマ神話では Hercule (エルキュール)といいます。なお、欧米ではローマ神話名の方が一般的に用いられています。日本語では長母音を省略して「ヘラクレス」とも表記されます。
(1)生い立ち
ヘーラクレースはゼウスとアルクメーネー(ペルセウスの孫に当たる)の子です。アルクメーネーを見初めたゼウスは、様々に言い寄りましたが、アルクメーネーは武将アムピトリュオーンとの結婚の約束を守り、決してなびきませんでした。
そこでゼウスはアムピトリュオーンが戦いに出かけて不在の折、アムピトリュオーンの姿をとって遠征から帰ったように見せかけ、ようやく思いを遂げ、一夜を3倍にして楽しみました。アルクメーネーは次の日に本当の夫を迎え、神の子ヘーラクレースと人の子イーピクレースの双子の母となりました。
アルクメーネーが産気づいたとき、ゼウスは「今日生まれる最初のペルセウスの子孫が全アルゴスの支配者となる」と宣言しました。それを知ったゼウスの妻ヘーラーは、出産を司る女神エイレイテュイアを遣わして双子の誕生を遅らせ、もう一人のペルセウスの子孫でまだ7か月のエウリュステウスを先に世に出しました。こうしてヘーラクレースは誕生以前からヘーラーの憎しみを買うことになりました。
ヘーラクレースの誕生後、ゼウスはヘーラクレースに不死の力を与えようとして、眠っているヘーラーの乳を吸わせました。ヘーラクレースが乳を吸う力が強く、痛みに目覚めたヘーラーは赤ん坊を突き放しました。このとき飛び散った乳が天の川(galaxyは「乳のサイクル」Milky Wayは「乳の道」)になったということです。
<天の川の起源 ティントレット画>
一説にはアルクメーネーはヘーラーの迫害を恐れて赤ん坊のヘーラクレースを城外の野原に捨てました。ゼウスがアテーナーに命じて、ヘーラーを赤ん坊の捨てられた野原に連れて行くと、アテーナーは赤ん坊を拾い、赤ん坊に母乳を与えるように勧めました。赤ん坊の来歴が知らされていないヘーラーは哀いに思い、母乳を与えました。最後にアテーナーは不死の力を得た赤ん坊をアルクメーネーの元へ返し大切に育てるよう告げました。
これを恨んだヘーラーは密かに二匹の蛇を双子が寝ている揺り籠に放ちましたが、赤ん坊のヘーラクレースは素手でこれを絞め殺しました。
(2)成長と狂気
ヘーラクレースはアムピトリュオーンから戦車の扱いを、アウトリュコスからレスリングを、エウリュトスから弓術、カストールから武器の扱いを、リノスから竪琴の扱いを学びました。
しかしリノスに殴られた際ヘーラクレースは激怒し、リノスを竪琴で殴り殺してしまいます。そしてケンタウロス族のケイローンに武術を師事して、剛勇無双となりました。キタイローン山のライオンを退治し、以後ライオンの頭と皮を兜・鎧のように身につけて戦うようになります。
ヘーラクレースは義父アムピトリュオーンが属するテーバイを助けてオルコメノスの軍と戦い、これを倒しました。クレオーン王は娘メガラーを妻としてヘーラクレースに与え、二人の間には3人の子供が生まれました。
しかし、ヘーラーがヘーラクレースに狂気を吹き込み、ヘーラクレースは我が子とイーピクレースの子を炎に投げ込んで殺してしまいました。正気に戻ったヘーラクレースは、罪を償うためにデルポイに赴き、アポローンの神託を伺いました。神託は「ミュケーナイ王エウリュステウスに仕え、10の勤めを果たせ」というものでした。
ヘーラクレースはこれに従い、本来なら自分がなっているはずのミュケーナイ王に仕えることになりました。「ヘラクレスの選択」といえば、敢えて苦難の道を歩んで行くことを言います。
2.へーラクレースにまつわる神話
(1)へーラクレースの「12の功業」
エウリュステウスがヘーラクレースに命じた仕事は次の通りです。
①ネメアーに生息する怪物ライオンの退治
<ネメアーの獅子を絞め殺すヘーラクレース>
「ネメアーの獅子」は刃物を通さない強靭な皮を持っており、矢を撃っても傷一つ付きませんでした。ヘーラクレースは棍棒で殴って悶絶させ、洞窟へと追い込みました。そこで洞窟の入り口を大岩で塞いで逃げられないようにし、三日間の格闘の末に絞め殺しました。
この獅子は後に「しし座」となりました。あらゆる武器を弾く毛皮は獅子の爪によって加工され、彼はその皮を頭からかぶり、鎧として用いた。獅子が英雄のシンボルになったのもこのためです。
②レルネーの沼に住む毒蛇ヒュドラーの退治
<ヘラクレスとヒュドラ アントニオ・デル・ポッライオーロ画>
「ヒュドラー」は、レルネーの沼に住み、9つの(百とも言われる)頭を持った水蛇です。触れただけで生きとし生けるものを絶命させる世界最強の猛毒を有していました。
ヘーラクレースはヒュドラーの吐く毒気にやられないように口と鼻を布で覆いながら戦わねばなりませんでした。ヘーラクレースは初め、鉄の鎌でヒュドラーの首を切っていきましたが、切った後からさらに2つの首が生えてきて収拾がつきません。
しかも頭のひとつは不死でした。従者のイオラオス(双子の兄弟イピクレスの子)がヒュドラーの傷口を松明の炎で焼いて新しい首が生えるのを妨げてヘーラクレースを助けました。最後に残った不死の頭は岩の下に埋め、見事ヒュドラーを退治しました。そしてヒュドラーは「うみへび座」となりました。
また、この戦いで、ヘーラーがヒュドラーに加勢させるべく送り込んだ巨大な化け蟹を、ヘーラクレースはあっさり踏みつぶしてしまいました。この蟹がその後「かに座」となりました。
エウリュステウスは、従者から助けられたことを口実にして、功績を無効としたため、功業が1つ増えることになりました。またヘーラクレースはヒュドラーの猛毒を矢に塗って使うようになりました。
③ケリュネイア山中にいる黄金の角を持つ鹿の生け捕り
アカイア地方の「ケリュネイアの鹿」(牝鹿)は女神アルテミスの聖獣で黄金の角と青銅のひづめを持っていました。4頭の兄弟がおり、アルテミスに生け捕られ、彼女の戦車を引いていましたが、この5頭目の鹿は狩猟の女神をもってしても捕らえることができないほどの脚の速さを誇りました。
女神から傷つけることを禁じられたため、ヘーラクレースは1年間追い回した末に鹿を生け捕りにしました。その後この鹿はアルテミスに捧げられ、他の4頭とともに戦車を牽くこととなりました。
④エリュマントス山に住むの大猪の生け捕り
エリュマントス山に住む人食いの怪物、大猪を生け捕りにしました。生け捕り自体はさしたる問題もなく片づきましたが、このとき、ヘーラクレースはケンタウロスのポロスに助力を求めていました。
ポロスが預かっていたケンタウロス一族の共有していた酒をヘーラクレースが飲んだことから、ケンタウロス一族と争いになりました。その戦いで、誤って武術の師であるケイローンにヒュドラーの毒矢を放ってしまいました。ケイローンは不死の力を与えられていましたが、毒の苦しみに耐えきれず、不死の力をプロメーテウスに譲渡して死を選びました。
この時にケイローンの不死の力を受け入れてもらうために、ヘーラクレースがカウカーソス山に縛り付けられていたプロメーテウスを解放したとされます。この後、ケイローンの死を惜しんだゼウスは、彼を「いて座」にしたということです。
⑤汚物がうず高く積まれたアウゲイアース王の畜舎の掃除
エーリス王アウゲイアースは3000頭の牛を持ち、その牛小屋は30年間掃除されたことがありませんでした。ヘーラクレースはアウゲイアースに「1日で掃除したら、牛の10分の1をもらう」という条件を持ちかけ、アウゲイアースは承知しました。
ヘーラクレースはアルペイオス川とペネイオス川の2つの川の流れを強引に変え、小屋に引き込んで30年分の汚物をいっぺんに洗い流しました。しかし、おかげでこの川の流れは狂ってしまい、たびたび洪水を引き起こすようになったということです。
エウリュステウスは、罪滅ぼしなのに報酬を要求したとして(川の神の力を借りたため、とする説もある)これをノーカウントにしたため、さらに功業が1つ増えることとなりました。
また、アウゲイアースは約束を守らず、知らんぷりを決め込みました。ヘーラクレースはこのことを忘れず、後になってアウゲイアースを攻略しました。
⑥ステュムパーリデスの森の鳥たちの皆殺し
<ステュムパーリデスの鳥を撃ち落とすヘーラクレース>
ステュムパーリデスの鳥どもは、翼、爪、くちばしが青銅でできていました。ヘーラクレースはこの恐るべき怪鳥どもを驚かせて飛び立たせるため、ヘーパイストスからとてつもなく大きな音を立てるガラガラ(彼の工房のキュクロープス達の目覚まし用)を借り受け、音に驚いて飛び立ったところをヒュドラーの毒矢で射落としました。
また、矢が効かないので彼に襲い掛かってくるところを、1羽ずつ捕らえて絞め殺したとも言われています。
⑦クレータ島の凶暴な牡牛を連れ帰る
クレータ島の王ミーノースを罰するためにポセイドーンの送り込んだクレータの牡牛を生け捕りにしました。この牡牛はミーノータウロスの父親であり、美しいが猛々しく、極めて凶暴でした。ヘーラクレースはミーノース王に協力を求めましたが拒否され、結局素手で格闘してこの牡牛をおとなしくさせ、アルゴスまで連行しました。
⑧ディオメーデースの人喰い馬を連れて帰る
ディオメーデースの人喰い馬は、トラーキア王ディオメーデースはアレースの子で、旅人を捕らえて自分の馬に食わせていました。
シケリアのディオドーロスによれば、ヘーラクレースは逆にディオメーデースを馬に食わせてしまい、馬は生け捕りにしました。 またアポロドーロスによれば、ヘーラクレースが馬を奪った後にディオメーデースが軍勢を率いて馬を奪還しようとしたため、ヘーラクレースは若衆の従者アブデーロスに馬の番をさせて戦いに出かけました。
しかしヘーラクレースがディオメーデースを戦いで殺害して戻ってくると、少年は走る馬に大地の上を引きずられて死んでいました。ただしアブデーロスは馬に食い殺されたとする伝承もあります。
⑨アマゾーン女王ヒッポリュテーの宝の帯を持って帰る
エウリュステウスの娘アドメーテーがアマゾーン女王ヒッポリュテーの腰帯を欲しがったために、これを持ってくることを命じました。ヘーラクレースはアマゾーンとの戦いになると考え、テーセウスらの勇士を集めて敵地に乗り込みましたが、交渉したところ、ヒッポリュテーは強靭な肉体のヘーラクレース達を見て、自分達との間に丈夫な子を作ることを条件に腰帯を渡すことを承諾しました。
ところがヘーラーがアマゾーンの一人に変じて「ヘーラクレースが女王を拉致しようとしている」と煽ったため、アマゾーン達はヘーラクレースを攻撃しました。ヘーラクレースは最初の甘言は罠であったと考え、ヒッポリュテーを殺害して腰帯を持ち帰りました。
一説ではヘーラーが変装したのはヒッポリュテー本人で、彼女に変装したヘーラーが『ヘーラクレース達が国を乗っ取ろうとしている』と他のアマゾーン族を唆(そそのか)し襲撃させました。
突如襲撃されたヘーラクレースは激怒。ヒッポリュテーに攻め寄り、必死に身の潔白を訴えるヒッポリュテーを殴り殺してしまいました。冷静さを取り戻したヘーラクレースは、ヒッポリュテーの目は嘘を言っているように見えなかったと、話も聞かず殺してしまったことを後悔しました
⑩ゲーリュオーンが飼っている牛の群れを連れて帰る
<ゲーリュオーンと戦うヘーラクレース>
ゲーリュオーンの飼う紅い牛を求めるのですが、ゲーリュオーンは、メドゥーサがペルセウスに殺されたときに血潮とともに飛び出したクリューサーオールの息子で、大洋オーケアノスの西の果てに浮かぶ島エリュテイアに住んでおり、常人は行き着くことができませんでした。
アフリカに行き着いたヘーラクレースが太陽の熱気に怒り、太陽神ヘーリオスに矢を射掛けたため、ヘーリオスは、その剛気を嘉(よみ)して黄金の盃を与えました。別の説では、ヘーラクレースは矢で太陽を射落としてみせ、ヘーリオスに無理矢理黄金の盃を貸させました。ヘーラクレースは盃に乗ってオーケアノスを渡ることができました。
エリュテイアでは双頭の犬オルトロスが牛を守っていましたが、ヘーラクレースはオルトロスや牛の番人エウリュティオーンを棍棒で打ち殺して、紅い牛とともに牛の群れを奪いました。そして牛を奪い返さんと追ってきたゲーリュオーンを射殺しました。
ヘーラクレースは冒険の途次、ジブラルタル海峡を通過した際に海峡の両岸に「ヘーラクレースの柱」を残しました。また、登るのが面倒な高い山脈を叩き割って大陸であった場所に海峡を作り、割れた山脈の両辺をヘラクレスの柱としたとも言われます。
⑪ヘスペリデスたちの守る黄金のリンゴの実を取って来る
<ヘーラクレースとヘスペリデス ジョヴァンニ・アントニオ・ペレグリーニ画>
ヘスペリデスの居場所を知らないヘーラクレースは水神ネーレウスと取っ組み合い、これを捕まえました。ネーレウスは怪物や水、火などに変身して逃れようとしましたが、ヘーラクレースが捕らえて離さなかったため、やむなく場所を教えました。
黄金の林檎は百の頭を持つ竜ラードーンが守っていましたが、ヘーラクレースはこれを倒して林檎を手に入れました。ラードーンは、「りゅう座」となりました。
一方アポロドーロスは全く異なる伝説を伝えています。ヘーラクレースは、人間に火の使い方を教えたためにゼウスに罰せられてカウカーソス山に縛り付けられていたプロメーテウスを救い出して、助言を請いました。
プロメーテウスは「ヘスペリデスはアトラースの娘たちだから、アトラースに取りに行かせるべきである」と答えました。アトラースは神々との戦いに敗れ、天空を担ぎ続けていました。
ヘーラクレースがアトラースのところに赴き、ヘーラクレースが天空を担いでいる間に林檎を取ってくるよう頼むと、アトラースはこれに従い林檎を持ち帰りました。
しかし、再び天空を担いで身動きできなくなるのを嫌って、自分が林檎をミュケーナイに届けると言い出しました。ヘーラクレースは一計を案じ、頭に円座を装着してから天空を支えたいので少しの間天空を持っていてほしいと頼みました。承知したアトラースが天空を担いだところでヘーラクレースは林檎を取って立ち去りました。
⑫冥府の番犬ケルベロスを連れて帰る
ケルベロスはオルトロスの兄貴分であり、3つの頭を持つ犬の化け物です。ヘーラクレースは冥界に入ってハーデースから「傷つけたり殺したりしない」という条件で許可をもらい、ケルベロスを生け捕りにしました。
その際、ペルセポネーを略奪しようとして「忘却の椅子」に捕らわれていたテーセウスとペイリトオスを助け出しました。また、地上に引きずり出されたケルベロスは太陽の光を浴びた時、狂乱して涎を垂らしました。その涎から毒草のトリカブトが生まれたということです。
(2)ヘーラクレースの柱
ヘーラクレースは十二の功業の一つであるゲーリュオーンの牛を取りに行く途中に、巨大な山脈を登らねばなりませんでしたが、それは非常に面倒なことであったので、近道をしようと考えました。山脈さえ無くなれば道のりを短縮できると考えたヘーラクレースは、巨大な山脈をその怪力で砕くことにしました。
ヘーラクレースは棍棒で山脈を叩き、その圧倒的な怪力で山脈を真っ二つにしました。それだけではなく、山脈の下に横たわる大地もヘーラクレースの怪力に耐え切れずに吹き飛びました。
その結果、大西洋と地中海がジブラルタル海峡で繋がりました。以降、分かれた2つの山脈をひとまとめにして、「ヘーラクレースの柱」と呼ぶようになりました。
また、元々ジブラルタル海峡がありましたが、あまりにも幅が広く、このままでは海の怪物たちが地中海に押し寄せてきてしまうため、ヘーラクレースが大陸そのものを動かしてこの海峡を狭くしたとする説もあります。
(3)その他のヘーラクレースの壮大な冒険
①アンタイオスとの対決
リビアに住んでいたアンタイオスは、ポセイドーンとガイアの息子であり、大地に触れている間は無敵の力を得ることができました。彼は通りかかる旅人に戦いを挑んでは殺し、その髑髏や持っていた宝物を父ポセイドーンの神殿に飾っていました。
彼は通りかかったヘーラクレースにも戦いを挑みました。ヘーラクレースは何度もアンタイオスを打ち倒しますが、その度に復活し、力が無限に増すアンタイオスに苦戦を強いられました。最終的に、ヘーラクレースは大地に触れていなければ無限の力が得られないという彼の弱点に気付き、ヘーラクレースはアンタイオスを持ち上げ、そのまま彼を絞め殺しました。
②死の神との対決
ペライの王であるアドメートスに死期が迫った時、その妻のアルケースティスは、死に瀕した夫のために命を投げ出しました。アドメートスが死ぬ時、家族の誰かが身代わりになって命を落とせば、彼は死なずに済むという約束を運命の女神モイライと交わしていたからです。
この時、ヘーラクレースが通りかかり、事の次第を聞いて、正義感からアルケースティスを死なせてはならないとして彼女の霊魂を追いました。アルケースティスは死の神タナトスによって冥界に送られるところでしたが、ヘーラクレースはその腕力で死の神を打ち倒し、彼女の魂を奪い取りました。ヘーラクレースのおかげでアルケースティスは生き返り、運命の女神との約束によってアドメートスも生き長らえることができました。
また、アルケースティスの霊魂を追って冥界にまで行き、ハーデースと格闘して奪い取ったとする説もあります。
③河の神との対決
ヘーラクレースがカリュドーン王オイネウスの娘デーイアネイラに求婚していた時、河の神アケローオスもデーイアネイラに求婚をしていました。両者はデーイアネイラを巡って激しい戦いを繰り広げました。
アケローオスは濁流を打ち付け、様々な姿に変身してヘーラクレースを翻弄しましたが、雄牛の姿になったとき、片方の角をヘーラクレースに折られてしまいました。アケローオスはその腕力に降参し、その後はアケロースの川底で傷口を癒しました。
河の神に勝利したヘーラクレースはデーイアネイラと結婚することになり、彼女との間に子供をもうけました。河の神アケローオスは大人しくなりましたが、毎年春になると傷跡からこの戦いでの敗北を思い出し、怒りのあまり洪水を引き起こすということです。
④アポローンとの対決
ヘーラクレースは狂気によって親友イピトスを殺してしまい、そのせいで病に取り憑かれていました。治癒のためにデルポイを訪れますが、巫女は彼に会ってすらくれませんでした。
これに腹を立てたヘーラクレースは、デルポイの宝でもあり、神託に必要不可欠な道具でもある三脚の鼎を奪おうとしました。デルポイの守護神であるアポローンはこれに立腹して自ら姿を現し、ヘーラクレースと闘いました。これを見たゼウスは、双方の間に落雷を投じて引き分けにさせました。
その時アポローンは、「お前の病は、殺人の償いとして、丸三年の間(一説には一年間)奴隷として仕えれば回復するであろう」と予言しました。これを受けてヘーラクレースは、ヘルメースに連れられてリューディアの女主人オムパレーの元へと赴き、病回復のために奴隷として彼女に仕えることとなりました。
⑤エジプト攻略
エジプトでは、ブーシーリス王のもと、豊作を願って異邦人を捕まえては生け贄に捧げるという風習が行われていました。近くを旅していたヘーラクレースはエジプト人に捕まり、生け贄の祭壇に連れて来られました。
そこでヘーラクレースは彼らの思惑を知り、その怪力で大暴れしました。エジプト軍は彼によってことごとく殺戮され、エジプトは壊滅状態になってしまいました。
⑥トロイア攻略
ヘーラクレースがトロイアを訪れた時、トロイア王ラーオメドーンは高潮と共に現れる強大な海の怪物に悩まされていました。この怪物は、奴隷に扮したポセイドーンがトロイアの城壁を築いた折、ラーオメドーンが約束の報酬を支払わなかったため、ポセイドーンが罰としてトロイアに送り込んだ怪物でした。
この怪物を鎮めるために、ラーオメドーンの娘であるヘーシオネーが岩に縛り付けられ、生け贄に捧げられるところでした。
ヘーラクレースはガニュメーデースの代償にゼウスがトロイアに送った神馬が欲しいと思っていたので、この神馬と引き換えに海の怪物を討伐することを約束しました。ヘーラクレースは巨大な怪物の腹の中に入り込み、三日も胃袋に居座って暴れ続けました。
内臓を滅茶苦茶にされた怪物は死にましたが、胃酸によってヘーラクレースの毛髪が溶け、禿げてしまいました。ヘーラクレースは報酬の神馬を貰いに行きましたが、ラーオメドーンは約束を反故にして拒絶しました。
当時はまだ「12の功業」の最中であり、時間があまり残されていなかったため、ヘーラクレースは必ず復讐すると言い残してトロイアを去りました。
時が経ち、ヘーラクレースは仲間たちと共にトロイアへと攻め入りました。ラーオメドーンは大軍勢でそれに応えましたが、ヘーラクレースの怪力には敵いませんでした。ヘーラクレース軍は城壁を包囲し、それを乗り越えてトロイアを攻略しました。ラーオメドーンは射殺され、ヘーラクレースの復讐は遂げられました。
⑦古代オリンピックの創始
<オリュンピア遺跡の列柱>
「12の功業」中にエーリス王アウゲイアースに報酬を踏み倒されたことの復讐として、後にヘーラクレースはエーリスに攻め入りました。エーリス軍にはモリオネという双子(一説には結合双生児)の英雄がおり、彼らはポセイドーンの息子でカリュドーンの猪狩りに参加するほど武勇に優れ、怪力も有していました。
双子であるが故に二対一の戦いとなり、剛勇無双のヘーラクレースといえども苦戦を強いられました。攻防戦の最中にヘーラクレースは病にかかり、休戦協定を結びましたが、モリオネはそれを破って攻撃を止めず、ヘーラクレースは撤退せざるを得なくなりました。
その後、ヘーラクレースはモリオネがイストミア大祭に参加するという報せを聞き、その道中に待ち伏せしてモリオネを毒矢で射殺しました。ヘーラクレースは強力な英雄を失ったエーリスを攻略し、この勝利を記念してオリュンピアにゼウス神殿を建て、その地で競技会を行いました。
以後、この競技会は4年に1度開催されるようになり、やがて古代オリンピックになりました。
後世の古代オリンピックではヘーラクレースの末裔と信じられたテオゲネスが華々しい結果を残しました。テオゲネスは記録に残っているだけでもボクシングなどの種目で1300戦全勝し、古代オリンピックだけではなくあらゆる競技会で優勝を繰り返し、生涯無敗でした。ちなみに、この人物は神話上の存在ではなく実在した人物です。
⑧アルゴナウタイ
コルキスの金羊の毛皮を求めるイアーソーンの呼びかけに応じて、ヘーラクレースも数多の英雄と共にアルゴー船に乗り込みました。レームノス島の女たちの誘惑にも打ち勝ち、快楽に耽っていた他の英雄たちを叱咤して再び出航させるなど、ヘーラクレースはアルゴナウタイの中でも抜きん出た存在でした。
しかし、ミューシアーにおいてヘーラクレースの愛していたヒュラースが水のニュンペーに攫われてしまい、ヒュラースを探している内にアルゴー船は出航してしまいました。置き去りにされたヘーラクレースは、アルゴー船を追うのを止め、アルゴスへと帰還しました。ヘーラクレースは最強の存在でありながら、アルゴナウタイから脱落してしまったのです。
一説では、このとき一部の乗組員はヘーラクレースを乗船させるためにティーピスに船を戻させようとしましたが、カライスとゼーテースがこれを妨害しました。このことを恨んだヘーラクレースは、後に二人をテーノス島で殺したということです。
⑨ギガントマキアー
全宇宙を揺るがす大戦争に、ヘーラクレースは神々と共に参戦しました。ガイアはゼウスたちオリュンポスの神々から宇宙の支配権を奪い取るために、ギガースという山よりも巨大な怪力の巨人たちを送り、「ギガントマキアー」と呼ばれる大戦を勃発させました。
ギガースたちは神々には殺されないという不思議な力を有していたため、ゼウスは半神半人であるヘーラクレースをオリュンポス側として参戦させました。
ギガースはあらゆる地形を引き裂いて突き進み、大岩や山脈、島を投げ飛ばして攻撃しました。神々もそれに応戦し、戦闘の衝撃によって天地は轟き、全宇宙が震えました。
凄まじい戦いが繰り広げられましたが、神々の方が優勢であり、ギガースは次々に敗北していきました。弱ったギガースをヘーラクレースの毒矢が襲い、ヘーラクレースにとどめを刺されたギガースは絶命しました。
パレーネーの地に触れている限り無敵の力を得る最強の巨人もいましたが、ヘーラクレースの圧倒的な怪力によってその地から引き剥がされ、彼の剛腕によって殺されました。
ヘーラクレースの活躍もあり、ギガントマキアは神々の圧勝に終わりました。
3.ヘーラクレースの最期
ヘーラクレースとその妻デーイアネイラは、彼らの子供であるヒュロスを連れて旅をしていました。ある日、ヘーラクレースは川を渡ろうとしましたが、家族と共に渡るにはあまりにも流れが激しすぎました。
ちょうどそのとき川辺にいたケンタウロスのネッソスがデーイアネイラを担ぐと申し出たので、ヘーラクレースがヒュロスを担ぎ、ネッソスがデーイアネイラを担いで激流の川を渡りました。しかし、早く向こう岸に着いたネッソスがデーイアネイラを犯そうとしたためにヘーラクレースはヒュドラーの毒矢でこれを射殺しました。
ネッソスはいまわの際に、「自分の血は媚薬になるので、ヘーラクレースの愛が減じたときに衣服をこれに浸して着せれば効果がある」と言い残しました。デーイアネイラはその言葉を信じ、ネッソスの血を採っておきました。
後にヘーラクレースがオイカリアの王女イオレーを手に入れようとしているのを察したデーイアネイラは、ネッソスの血に浸した服をリカースに渡してヘーラクレースに送りました。
ヘーラクレースがこれを身につけたところ、たちまちヒュドラーの猛毒が回って体が焼けただれ始めて苦しみ、怒って無実のリカースを海に投げて殺しました。ヒュドラーの毒矢で死んだネッソスの血は、ヒュドラーの毒と同じ効果を示したのでした。
<ヘーラクレースの火葬 ルカ・ジョルダーノ画>
あまりの苦痛に耐えかねたヘーラクレースは薪を積み上げてその上に身を横たえ、ポイアースに弓を与え(後にこの弓はポイアースの息子ピロクテーテースのものになる)、火を点けるように頼みました(火を点けたのはピロクテーテースだともいわれる)。
こうしてヘーラクレースは生きながら火葬されて死にました。これを知ったデーイアネイラは自殺しました。
<神格化されたヘーラクレース ノエル・コワペル画>
ヘーラクレースは死後、神の座に上りました。この時に至ってようやくヘーラーもヘーラクレースを許し、娘のヘーベーを妻に与えたということです。そしてヘーベーとの間にアレクシアレースとアニーケートスという二柱の息子を儲けました。
4.ヘーラクレースの子孫たち(ヘーラクレイダイ)
ヘーラクレースの子孫たちは、「ヘーラクレイダイ」と呼ばれました。
ヘーラクレースの死後、その子供たちがミュケーナイの王位を望むことを恐れたエウリュステウスは、ヒュロスらを殺そうとして追い回しました。
アルクメーネーとヒュロスらは、アテーナイのデーモポーンに助けられました。エウリュステウスはヒュロスらの身の受け渡しを要求し、それに応じないアテーナイと戦いました。この戦争の中でヒュロスはエウリュステウスの子をすべて討ち取り、エウリュステウスは捕らわれて殺されました。
ヒュロスたちはエウリュステウスとの戦争に勝ちましたが、故郷であるペロポネソス半島に未だに戻れずにいました。しかし、ヒュロスの孫たちはミケーネやアルゴスを打ち破り、遂にペロポネソス半島へと帰還することができました。
その際、テーメノスがアルゴスを、アリストデーモスがスパルタを、クレスポンテースがメッセニアを支配することになりました。この内、テーメノスの子供であるペルディッカスは、アルゴスの王位継承争いに敗れて追放され、ギリシア北方の地にマケドニア王国を建国しました。
したがって、アルゴス人やスパルタ人、マケドニア人はヘーラクレースの子孫とされました。また、彼らは皆ドーリス系ギリシア人でしたあので、ヘーラクレイダイの帰還はドーリス人のギリシア侵入と関連付けられています。