<ポンペイのナルキッソスの絵>
『ギリシャ神話』はもともと口承文学でしたが、紀元前8世紀に詩人のヘーシオドスが文字にして記録しました。古代ギリシャの哲学、思想、宗教、世界観など多方面に影響を与え、ギリシャでは小学校で教えられる基礎教養として親しまれています。
絵画ではしばしばモチーフとして扱われ、多くの画家が名作を残しています。文学作品や映画などにも引用され、ゲーム作品でも題材になっていることがあります。たとえば、ディズニー映画の『ヘラクレス』はギリシャ神話をモデルにしたお話です。
『ギリシャ神話』(およびその影響を受けた『ローマ神話』)は、現在まで欧米人にとって「自分たちの文化の土台となったかけがえのない財産」と考えられて、大切にされ愛好され続けてきました。
欧米の文化や欧米人の物の考え方を理解するためには、欧米の文化の血肉となって今も生き続けている『ギリシャ神話』の知識が不可欠です。
「日本神話」は、天皇の権力や天皇制を正当化するための「王権神授説」のような神話なので、比較的単純ですが、『ギリシャ神話』は、多くの神々やそれらの神の子である英雄たちが登場し、しかもそれらの神々の系譜や相互関係も複雑でわかりにくいものです。
前に「ギリシャ神話・ローマ神話が西洋文明に及ぼした大きな影響」という記事や、「オリュンポス12神」およびその他の「ギリシャ神話の女神」「ギリシャ神話の男神」を紹介する記事を書きましたので、今回はシリーズで『ギリシャ神話』の内容について、絵画や彫刻作品とともに具体的にご紹介したいと思います。
第14回は「ナルキッソスとエコー。水仙とナルシシズムの語源」です。
1.ナルキッソスとは
<ナルキッソス カラヴァッジオ画>
<ナルキッソス ジュラ・ベンツール画>
「ナルキッソス(古代ギリシア語: Νάρκισσος, Narkissos、英語: Narcissus)」は、ギリシア神話に登場する美少年です。
父はケーピーソス川(アーテナイの北側を流れる川)の「河の神」で、母は「水の女神(ニンフ)」リリオーペ(ヤブランの属名でもある)です。
2.ナルキッソスとエコーにまつわる神話
<エーコーとナルキッソス ウォーターハウス画>
ナルキッソスはギリシア神話の中でも有名ですが、その話についてはいくつかの説があります。盲目の予言者テイレシアースは占って「己を知らないままでいれば、長生きできるであろう」と予言しました。
若さと美しさを兼ね備えていた彼は、ある時アプロディーテーの贈り物を侮辱します。アプロディーテーは怒り、ナルキッソスを愛する者が彼を所有できないようにします。彼は女性からだけでなく男性からも愛されており、彼に恋していた者の一人であるアメイニアスは、彼を手に入れられないことに絶望し、自殺します。
森の妖精(ニュンペー)のひとりエコーが彼に恋をしましたが、エコーはゼウスが妻ヘーラーの監視から逃れるのを歌とおしゃべりで助けたためにヘーラーの怒りを買い、自分では口がきけず、他人の言葉を繰り返すことのみを許されていました。
エコーはナルキッソスの言葉を繰り返す以外、何もできなかったので、ナルキッソスは「退屈だ」としてエコーを見捨てました。
エコーは悲しみのあまり姿を失い、ただ声だけが残って木霊(こだま)になりました。これを見た神に対する侮辱を罰する「復讐の女神」ネメシスは、他人を愛せないナルキッソスが、ただ自分だけを愛するようにします。
ネメシスは無情なナルキッソスをムーサの山にある泉によび寄せます。不吉な予言に近づいているとも知らないナルキッソスが水を飲もうと、水面を見ると、中に美しい少年がいました。
もちろんそれはナルキッソス本人でした。ナルキッソスはひと目で恋に落ちました。そしてそのまま水の中の美少年から離れることができなくなり、やせ細って死にました。
また、水面に写った自分に接吻しようとしてそのまま落ちて水死したという話もあります。
3.英語の「水仙」と「ナルシシズム」の語源
ナルキッソスが死んだあとそこには「水仙」の花が咲いていました。この伝承から、「水仙(スイセン)」(スイセン属の学名:Narcissus)のことを英語では一般に「Narcissus」(ナルシッサス)と呼びます。ちなみに「Daffodil」は喇叭水仙、「Jonquil」は黄水仙のことです。
また、精神分析の用語ナルシシズム(narcissism)という言葉の語源になりました。
「ナルシシズム」(自己愛)とは、自己を愛したり、自己を性的な対象とみなす状態のことです。
4.エコーとは
<エーコー アレクサンドル・カバネル画>
「エコー(エーコー)(古典ギリシア語:Ἠχώ、英語: Echo)」は、ギリシア神話に登場する森のニンフです。ギリシア語でもともと木霊(こだま)の意味で、その擬人化です。パーン神と美青年ナルキッソスとの恋で有名ですが、古典時代にはこのような話はなく、「ヘレニズム時代」(*)以降の後世の物語です。エコーは文字通り木霊・反響などを意味しています。
(*)「ヘレニズム時代」とは、
アレクサンドロス3世(大王)の遠征~プトレマイオス朝エジプトの滅亡までの時代です。時期としては、紀元前334年頃~紀元前30年の約300年間です。
「ヘレニズム文化」(ギリシャ主義)とは、アレクサンドロス3世の東方遠征によって生じた古代オリエントとギリシアの文化が融合した「ギリシア風の文化」を指します。
(1)パーン神とエコー
アルカディア地方の神とされるパーンの逸話のなかで、パーンが恋をした多数のニンフの一人のなかにエコーがいます。
エコーは歌や踊りが上手なニンフでしたが、男性との恋を好まなかったのでパーンの求愛を断りました。尊大なパーンは振られた腹いせに、かねて音楽の演奏で彼女の歌に羨望と妬(ねた)ましさを覚えていたこともあり、配下の羊飼い、山羊飼いたちを狂わせました。
彼らはエコーに襲いかかり、哀れな彼女を八つ裂きにしました(彼女のうたう「歌」の節をばらばらにしました。「節(メレー)」は歌の節と、身体の節々の両義をギリシア語では持ちます)。
するとガイア(大地)がエコーの体を隠しましたが、ばらばらになった「歌の節」は残り、パーンが笛を吹くと、どこからか歌の節が木霊となって聞こえてきて、パーンをたびたび怯えさせたともされます。
(2)娘イアンベー
エコーはこのようないきさつで、木霊となって今でも野山において聞こえるのだということです。また、別の伝承では、エコーはパーンとの間に一人の娘イアンベー(イアムベー)を持ったともされます。
デーメーテール女神が、ハーデースに誘拐された娘のペルセポネーを捜し求めて野山を彷徨いエレウシースに至ったとき、領主ケレオスの館で冗談を言って、女神を笑わせたのが、このイアンベーだともされます。(「エレウシースの秘儀」では、この故に、女たちが笑い声をあげるとされます)。
(3)ナルキッソス
オウィディウスの『変身物語』によれば、ゼウスの浮気相手となった山のニンフたちを助けるために、エコーはゼウスの妻ヘーラーを相手に長話をしつづけたことがありました。このためにエコーはヘーラーの怒りを買い、自分からは話しかけることができず、誰かが話した言葉を繰り返すことしかできないようにされました。
エコーはナルキッソスに恋をしましたが、話しかけることができないために相手にしてもらえず、屈辱と恋の悲しみから次第に痩せ衰え、ついには肉体をなくして声だけの存在になりました。
復讐の女神ネメシスによって、ナルキッソスは水面に映る自分の姿に恋し、終には命を落とします。ナルキッソスの嘆きの声は、そのままエコーの嘆きとなりました。
(4)イーオー
グレイヴズの記すところでは(『ギリシア神話』56章a )、エコーとパーンのあいだには、娘イユンクスがあったとされます。イユンクスはゼウスに魔法をかけ、河神イーナコスの娘イーオーへの恋心を抱かせたため、ヘーラーの怒りに触れ鳥のアリスイに姿を変えられたということです。