1.ルーマニア革命は、やはり「盗まれた革命」だった
(1)1989年の「ルーマニア革命」
ソ連崩壊の引き金となった1989年の「東欧革命」の中で唯一、武力により共産党政権が打倒された「ルーマニア革命」によって、チャウシェスク大統領夫妻は特別軍事法廷で、大量虐殺と不正蓄財の罪で死刑判決を受け銃殺刑に処されました。
その後に発生した多数の市民が犠牲となった「テロリストによる攻撃」は、実は後に政権を握るイリエスク元大統領(89歳)のでっち上げであったことが、イリエスク元大統領の側近で国防相を務めたヴィクトル・スタンクレスク将軍(2016年死去)の証言によって明らかになったとの報道がありました。
この流血の惨事は、チャウシェスク政権崩壊後に発生し、850人以上が犠牲になった銃撃戦です。実際は「テロリストによる攻撃」などは全くなく、「軍とテロリストによる銃撃戦」もなかったので、多くの市民は軍による銃撃によって殺されたことになります。
イリエスク氏ら元共産党幹部と軍は、この銃撃戦を機に新政権を樹立しました。しかし、この革命は市民デモに乗じて政権を奪取した「盗まれた革命」という見方が以前からありましたが、それを裏付ける証言です。
(2)1944年の「ルーマニア革命」
第二次世界大戦において、ルーマニア王国はナチス・ドイツを中心とする枢軸国に入り、独ソ戦に参戦しました。しかし反攻に転じたソ連軍がルーマニア国境に迫ると、「ルーマニア革命(1944年)」を起こしてソ連に寝返ります。その結果ソ連軍の占領下に置かれ、戦後王政は崩壊してルーマニア共産党による一党独裁国家「ルーマニア社会主義共和国」が成立しました。
しかし1965年にチャウシェスクが書記長(後に大統領となる)に就任して実権を握ると、「チャウシェスク王朝」と呼ばれる「個人独裁体制」となりました。
チャウシェスク体制は「1989年のルーマニア革命」によって打倒されたのですが、これは「市民革命」というよりも、「反チャウシェスク派によるクーデター(政変)」と見た方が正しいようです。
2.戦争の発端や震災による混乱期などにも嘘やデマなどの偽情報が多い
(1)戦争の発端
太平洋戦争の発端は、普通日本軍による「宣戦布告前の卑怯な真珠湾奇襲攻撃」と言われています。外務省の手落ちによる宣戦布告の発信遅れもありましたが、そもそも「ハル・ノート」という最後通牒がすでにアメリカから出されており、またアメリカは暗号文解読によって真珠湾攻撃を事前に察知していました。
アメリカは「Remember Pearl Harbor」というプロパガンダで戦意高揚を図りました。
朝鮮戦争は北朝鮮の奇襲による侵略が発端ですが、北朝鮮は国内向けにはアメリカや韓国軍による攻撃や侵略に対する応戦と説明していることでしょう。
(2)震災による混乱
1923年に起きた関東大震災では、混乱に乗じた朝鮮人による凶悪犯罪や暴動が起こったというデマが行政機関や、新聞、民衆を通して流され、多数の朝鮮人や、朝鮮人と間違われた中国人や日本人(ろうあ者など)が殺傷される事件が起きました。
新聞記事の中には、「内朝鮮人が暴徒化した」とか「井戸に毒を入れ、また放火して回っている」というのもありました。新聞記事がデマを流して民衆を扇動した実例です。