日本語の語源には面白いものがたくさんあります。
前に「国語辞典を読む楽しみ」という記事を書きましたが、語源を知ることは日本語を深く知る手掛かりにもなりますので、ぜひ気楽に楽しんでお読みください。
以前にも散発的に「日本語の面白い語源・由来」の記事をいくつか書きましたが、検索の便宜も考えて今回から「50音順」にシリーズで、面白い言葉の意味と語源が何かをご紹介したいと思います。季語のある言葉については、例句もご紹介します。
1.赤ちゃん・赤ん坊・赤子(あかご)
「赤ちゃん」も「赤ん坊」も意味は同じで「生まれて間もない子のこと」で、親しみを込めた呼び方です。「赤子/赤児(あかご)」も同じ意味です。胎児や乳児期ころのことを指す場合もあります。
語源は「新生児(生まれたばかりの子)の皮膚の色が赤いこと」に由来します。
WHOは高齢者を65歳以上と定義をしていますが、「赤ちゃん」「赤ん坊」の年齢の定義はありません。
日本では、生後1歳前後を「赤ちゃん」と呼んでいます。
母子保健法は、出生からの経過期間によって、「赤ちゃん」を次のように定義しています。
- 新生児:出生後28日未満の乳児
- 乳児:1歳に満たない子供
なお満1歳から小学校に就学するまでの子供のことは、児童福祉法・母子保健法では「幼児」としています。
2.赤の他人(あかのたにん)
「赤の他人」の意味は、「何の関係もない人のこと」です。
「赤」は「はっきりした、まったくの、明らかな」という意味で、他の言葉(この場合は「他人」)を強調したものです。「真っ赤な嘘」も同様です
なお「赤の他人」には、仏前に供える浄水「閼伽(あか)」「阿伽(あか)」を語源とし、「水のように冷たい」の意味から「他人にも冷たい」、さらに「全く縁のない他人」といった意味に転じたとする説もあります。
しかし、「赤」を強調の意味で使う言葉は他にも多くあり、「赤の他人」のみ異なる語源とは考え難いものです。
また、仏前に供える浄水から転じる過程も強引であることから、「あか」の音を持つ言葉を探して作られた俗説と思われます。
3.あくび(欠伸)
「あくび」とは、「眠くなったり、飽きたり、疲れたときに、口を大きく開ける呼吸運動のこと」です。
「あくび」は、『枕草子』にもある動詞「欠ぶ(あくぶ)」の名詞形です。
また「欠ぶ」の語源は、はっきりしていませんが、「開く(あく)」と同系と考えられています。
その他、あくびの語源には「飽く」と関連付けた説も多く、「飽くぶ(あくぶ)」の名詞形、「飽吹(あくぶき)」の約、「飽息(あくいき)」の約などがあります。
また、げっぷの「おくび」を語源とするものもありますが、「おくび」の語源と共通する説があるということであり、おくびが語源ということではありません。
「欠」の漢字は口を開けてする動きを表す文字で、「欠伸」はあくびをして背伸びをすることを意味しています。
「欠伸」は口を開けて伸びる、つまりあくびをする際の伸び(pandiculation)をする動作にも着目した語です。
古代ギリシャでは、あくびは人間の魂が天に向かって逃げようとしているときに起こるのだと信じられていました。 あくびをするとき、口に手をあてるのは、『魂を逃がさないようにする為だった』と言われています。
4.油を売る(あぶらをうる)
「油を売る」とは、「無駄話をして時間を費やすこと、怠けること」です。
仕事中、ちょっとサボって同僚とおしゃべりしていたり、休憩していたりしたら「またそんなとこで油売ってる!早く仕事に戻りなさい!」と怒られてしまった経験はありませんか?
仕事中に関わらず、勉強中だったり、何かしなければならないことがある最中に他のことをしていると、このような言い方をして怒られることもありますね。
そもそも、仕事をサボることや怠けるがどうして「油を売る」と言われるのでしょうか?
これは「油売りの動作」から出た表現です。
江戸時代に髪油の行商人が客と長い時間雑談をしながら油を売っていたことを由来とする言葉です。
雑談しながら油を売っている姿は一見すると仕事を怠けているように見えますが、怠けていたというわけではありません。雑談をしていたのには、当時の油が現在のようなサラサラとしたものではなく粘り気が強いものであったことが関係しています。
江戸時代には油は量り売りで販売をしていましたが、油の粘り気が強いため、柄杓にすくった油を器に移すには長い時間がかかりました。油を器に移す間、油売りは客と話をすることで時間をつないでいたのです。
なお、行商人が売っていた油については、髪用の油ではなく行灯の油であったという説もあります。
なおこのほか、江戸時代の油売りは、11時頃から16時までしか仕事をしていなかった、という話もあります。
というのも、特に夏の暑い時期は油が外の気温で膨張するため、朝や夜に売るよりも昼間の暑い時間帯に売った方が一升枡に9合8尺ほどしか入れなくてもいっぱいになるから、というわけです。
同じ値段で売るなら、少しでも得したいというのは今の人たちと変わらないですね。 満タンに入れずに済むからその差分が儲かる、というのはちょっとセコいような気もしますが、ある意味商売上手とも言えるかもしれません。
5.阿呆(あほ/あほう)
<「擬阿房宮図軸」清代中期の画家・袁耀作>
「阿呆」は、「馬鹿・愚かであることを指摘する罵倒語」です。
語源には諸説ありますが、中国・江南地方の方言「阿呆(アータイ)」が日明貿易で京都に伝わったとする説があります。これは上海や蘇州、杭州などで現在も使われている言葉で、「呆」は日本語の「呆ける」にもあるようにぼんやりした様子、「阿」は中国語の南方方言で親しみを表す接頭語(日本語における「~ちゃん」「~さん」)であり、言葉としての意味は「おバカさん」程度の軽いニュアンスとなります。これは現代日本語の「阿呆」にも近いようです。
ほかに中国の秦の始皇帝(しこうてい)が建設した「阿房宮(あぼうきゅう)」(*)が語源とする説もあります。「阿房宮」の広さは常識を越えたバカでかいものでした。
(*)「阿房宮」は、秦の始皇帝が現在の阿房宮村に建設した宮殿です。秦帝国の首都であった咸陽からは渭水をはさんで南側に位置していました。現在の陝西省西安市未央区の西の13kmの三橋街道阿房宮村から遺跡が出土しています。
「万里の長城」や「秦の兵馬俑」もそうですが、始皇帝は巨大で壮大なものが好きだったようです。
このほか、『三国志』や『三国志演義』における劉備の子・劉禅(蜀の2代皇帝)の暗君のイメージから、その幼名の「阿斗」に由来するとする説もあります。