日本語の面白い語源・由来(え-④)縁日・鉛筆・得体・縁起・会釈

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縁日の屋台

日本語の語源には面白いものがたくさんあります。

前に「国語辞典を読む楽しみ」という記事を書きましたが、語源を知ることは日本語を深く知る手掛かりにもなりますので、ぜひ気楽に楽しんでお読みください。

以前にも散発的に「日本語の面白い語源・由来」の記事をいくつか書きましたが、検索の便宜も考えて前回に引き続き、「50音順」にシリーズで、面白い言葉の意味と語源が何かをご紹介したいと思います。季語のある言葉については、例句もご紹介します。

1.縁日(えんにち)

縁日

縁日」とは、神や仏の降誕・誓願に縁のある日のことです。その日に参拝するとご利益があるということで、参道附近には屋台や露店など市が多く立ちます。

縁日は「有縁の日(うえんのひ)」「結縁の日(けちえんのひ)」の略で、元は仏教語です。
縁日には毎月一度あるものや、年に一度や数度のものがあり、ほぼ毎日、何らかの縁日にあたるようになっています。

屋台や露店が出ることを「縁日」と勘違いしている人も多いですが、「縁日」には参詣人が多く集まるため店が出るのです。

「縁日」は季語ではありませんが、「夜店/夜見世(よみせ)」は夏の季語で、次のような俳句があります。

・夜店はや 露の西國 立志編(川端茅舎)

・大樹下の 夜店明りや 地蔵盆(杉田久女

2.鉛筆(えんぴつ)

鉛筆

鉛筆」とは、木の軸に黒鉛の粉末と粘土を混ぜて焼き固めた芯を入れた筆記具です。

現在は、小中学生は使っているかもしれませんが、一般的には「シャープペンシル」が主流ではないかと思います。

鉛筆の語源は単純なようですが、正確なことは分かっていません。

現在の鉛筆は、芯に炭素の同素体である黒鉛が用いられていますが、1565年に英国で考案される以前は、芯が鉛の棒であったことから「lead pencil(鉛の筆)」と呼ばれており、この「lead pencil」を訳して、「鉛筆」になったとする説があります。

また、日本にはオランダ人が江戸初期に伝え、黒鉛を芯に使ったものであったからとする説もあります。

530年頃成立した中国の詩文集『文選』にも「鉛筆」の語は見られますが、これは鉛を焼いた粉を墨のように用いた毛筆であるため、関係ないようです。

鉛筆が商品として広まったのは、明治に入ってからです。明治18年(1885年)、輸入品の鉛筆が一部の学校で使われはじめました。

明治20年(1887年)、眞崎仁六が『眞崎鉛筆製造所(現在の三菱鉛筆)』を設立し、日本で初めて鉛筆の量産を行いました。

明治34年(1901年)、逓信省(現在の日本郵政公社)が眞崎鉛筆製造所の鉛筆を採用し、国産として初めて全国に供給されました。

その後、小学校でも毛筆から鉛筆へ切り替えられるようになり、一般にも普及しました。

「鉛筆」と言えば、私は美空ひばりの「一本の鉛筆」という歌を思い出します。この歌は「悲しき口笛」や「リンゴ追分」などとは一味違いますが、なかなか良い歌です。

3.得体(えたい)

得体

得体」とは、物事の本質、本当のこと、正体、本性です。「得体の知れない男」などと使われます。

得体の語源は、以下の二通りの説があります。

ひとつは、「偽体(ていたらく)」の音読「いたい・えてい」が転じたとする説

もうひとつは、平安朝時代には僧侶の着ている衣で宗派や格式がわかったことから、「衣体(えたい)」が転じたとする説です。

4.縁起(えんぎ)

縁起

縁起」とは、「因縁生起(いんねんせいき)」の略で、次のような意味があります。

①吉凶の前触れ。兆し。前兆。「―がよい」

②物事の起こり。起源や由来。

③社寺・宝物などの起源・沿革や由来。また、それを記した書画の類。「信貴山 (しぎさん) ―絵巻」

④仏語。因縁によって万物が生じ起こること。

縁起は、サンスクリット語「pratitya-samupada」の漢訳で仏教用語です。

本来は「精神的な働きを含む一切のものは、種々の原因や縁によって生起する」という意味で、仏教の中心思想のひとつでした。

「縁起を担ぐ」という表現は、「御幣(ごへい)を担ぐ」が変化したものです。

5.会釈(えしゃく)

会釈

会釈」とは、人に対する親しみ・好意・謝意などを表すために、軽く頭を下げたり、挨拶することです。

会釈は、仏教用語「和会通釈(わえつうしゃく)」の略です。

和会通釈とは、仏教の経典にある互いに矛盾するように見える教義を照らし合わせ、その根本にある共通する真実の部分を明らかにして、ひとつにまとめていくことです。

これが、中世には「さまざまな状況を考慮する」という意味や、「儀礼にかなった態度をとる」「愛想よく応対する」という意味に転じました。さらに、会釈は軽く頭を下げる仕草も意味するようになりました。

お辞儀のように、会釈が頭を下げてする挨拶の意味になったのは、江戸時代になってからのことです。