日本語の語源には面白いものがたくさんあります。
前に「国語辞典を読む楽しみ」という記事を書きましたが、語源を知ることは日本語を深く知る手掛かりにもなりますので、ぜひ気楽に楽しんでお読みください。
以前にも散発的に「日本語の面白い語源・由来」の記事をいくつか書きましたが、検索の便宜も考えて前回に引き続き、「50音順」にシリーズで、面白い言葉の意味と語源が何かをご紹介したいと思います。季語のある言葉については、例句もご紹介します。
1.烏合の衆(うごうのしゅう)
「烏合の衆」とは、規律や統制もなく、ただ寄り集まっただけの群衆・軍勢、役立たずな人々の集まりのことです。
烏合の衆は、中国『後漢書』の出典によります。「烏合」とは、カラスの集団のことです。
カラスが集まっても、鳴いてうるさいだけで統一性に欠けることから、ただ寄り集まっただけの群衆のたとえとして「烏合の衆」が生まれました。
「烏合の衆」では、カラスが馬鹿な鳥のように表現されていますが、カラスは鳥類の中で最も知能が高いとされ、相互の情報交換に長けていることが知られています。
確かにゴミ置き場の生ゴミを食い荒らすカラスの群れを見ていると、相互に情報交換をしていることがよくわかります。私は「自治会のゴミ当番」を輪番制で担当して、「カラス対策」に苦労しているので、カラスの知能の高さは身に染みて感じています。
2.海(うみ)
「海」とは、地球の表面のうち陸地でない部分で、塩水をたたえた所のことです。
海の語源は「大水(うみ・おほみ)」とする説が有力とされます。「う・おほ」が「大」の意味の転、「み」は「水」の意味です。
「産み」と関連付ける説もありますが、あまり有力とはされていません。
古代には、海の果てを「うなさか」といい、「う」だけで「海」を意味しました。
また、現代でいう「海」以外にも、昔は池や湖など広々と水をたたえた所も「海」と言いました。
「琵琶湖」も古くは「淡海(おうみ)」「淡海の海/近江の海(あふみのうみ/おうみのみ)」「細波(さざなみ)」「水海(すいかい)」「鳰の海(におのうみ)」などとも呼ばれました。
余談ですが、かつて、都から見て、琵琶湖を近淡海(ちかつおうみ)、浜名湖を遠淡海(とおつおうみ)と呼んでいました。そこから、「近江(おうみ)」(近江国)、「遠江(とおとうみ)」(遠江国)となりました。
3.初/初心(うぶ)
「うぶ」とは、世間ずれしていないこと、純情なさま、男女の情に通じていないさまのことです。
うぶの語源には、「うむ(産む)」の意味からとする説と、初々しいなどの「うい(初)」からとする説があります。
ただし、「うい」の語源も「うみ(生み・産み)」や「うむひ(生む日・産む日)」とされ、いずれも「産む」に通じます。
うぶの漢字は「初」「初心」以外にも、「産」や「生」が使われます。そのため、うぶは「生まれたて」の意味から派生し、純情などの意味を持つようになったと考えられます。
漢字の「産」や「生」を「うぶ」と読むときは、「生まれたまま」「自然のまま」であることを意味します。
現代では、主に「産声(うぶごえ)」や「産毛(うぶげ)」など、名詞の上に付いて「生まれたときの」「生まれたままの」という意味を表します。
あまり使われませんが、「初い・初心い(うぶい)」という形容詞もあり、意味は「初々しい」「世間ずれしていない」です。
4.馬が合う(うまがあう)
「馬が合う」とは、性格や気が合う、意気投合することです。
馬が合うは、乗馬に由来する言葉です。乗馬では馬と乗り手の息が合わなければならず、馬と乗り手の呼吸がぴったり合っていることを「馬が合う」と言いました。
それが人間同士にも用いられ、気が合うことを言うようになりました。
5.嗽(うがい)
「うがい」とは、水や薬を口に含み、喉や口の中をすすいで吐き出すことです。
うがいは、岐阜県長良川の鮎漁で有名な「鵜飼」が語源です。
鵜飼は、かがり火を焚いてアユなどの魚を近寄らせ、鵜に魚を水中で飲み込ませた後、引き上げて魚を吐かせます。
口に水を含んで吐き出す姿が、鵜飼で魚を吐き出す鵜に似ていることから、「うがい」と呼ばれるようになりました。
1444年の国語辞書『下学集』には、「鵜飼(うがひ)嗽(くちすすく)也」とあります。
また「鵜飼」の読みは「うかい」ですが、「うがい」とも読まれます。
余談ですが、文豪夏目漱石のペンネームの「漱」は「くちすすぐ」で、「うがい」のことです。
6.有耶無耶(うやむや)
「うやむや」とは、物事が曖昧でありはっきりしない様子や、もやもやした感情があり胸がすっきりしないことです。
有耶無耶の語源については、次の二つの説があります。
「有りや無しや(ありやなしや)」(あるのだろうか、ないのだろうか)という問いかけから生まれた熟語という説。
秋田県の「有耶無耶の関」と呼ばれる場所で、はるか昔、峠を越える際に「手足長足」と呼ばれる鬼が出没し、人々が困っているところに三本足の八咫烏(やたがらす)が舞い降り、鬼がいる時は「有耶」、鬼がいない時は「無耶」と鳴き知らせたという伝承から生まれたという説。