日本語の語源には面白いものがたくさんあります。
前に「国語辞典を読む楽しみ」という記事を書きましたが、語源を知ることは日本語を深く知る手掛かりにもなりますので、ぜひ気楽に楽しんでお読みください。
以前にも散発的に「日本語の面白い語源・由来」の記事をいくつか書きましたが、検索の便宜も考えて前回に引き続き、「50音順」にシリーズで、面白い言葉の意味と語源が何かをご紹介したいと思います。季語のある言葉については、例句もご紹介します。
1.奥床しい/奥ゆかしい(おくゆかしい)
「奥ゆかしい」とは、奥深く上品で心がひかれること、深い心遣いが感じられて引きつけられることです。
奥ゆかしいの「ゆかしい」は、動詞「ゆく(行く)」の形容詞形「ゆかし(行くし)」で、「行きたい」という意味です。
「奥まで(見に・触れに)行きたい」というところから、奥ゆしいは「心がひかれて、その先が見たい・知りたい・聞きたい」「奥の方へ心がいざなわれる」という感情を表すようになりました。
そこから、奥ゆしいは「慎み深く上品で心がひかれる」「こまやかな心配りが見えて慕わしい」という意味を表すようになり、現代では、特に女性の控えめで上品な態度の形容として用いられるようになりました。
「奥床しい」は音からの当て字で、「床」の文字に語源的な意味はありません。
最近はLGBTQの関係で、「女性らしさ」ということはあまり口に出すべきではないのかもしれませんが、団塊世代の私には、「奥床しい日本女性」というのは永遠の憧れでもあります。
2.お歴々(おれきれき)
「お歴々」とは、「身分・地位・権威が高い人々、名士たち」 や 「その分野・方面に抜きん出た一流の人々」のことです。
漢字の「歴」は、次々と並んでいるさま、はっきりと区別されているさまを表し、漢語の「歴々(歴歴)」は「歴然」とほぼ同じで、紛れもなくはっきりとしているさまを意味します。
そこから日本では中世頃に、「はっきりと他と違う人、家柄や身分の高い人」を指す言葉として「歴々」が用いられ、江戸時代に接頭語の「お(御)」が付いて「お歴々(御歴々)」と言うようになりました。
3.大雑把(おおざっぱ)
「大雑把」とは、細部までこだわらずに大まかなさま、粗雑なさまのことです。
「雑把」は雑にまとめられたものを表す語で、「大雑把」以外では、薪にするために切り割ったした木切れの「薪雑把(まきざっぽう・まきざっぱ)」に使われます。
方言では、燃料にする屑板の束や、粗い茶の葉を「ざっぱ」と言う地域もあります。
雑にまとめられたものを表す「雑把」に、大きいの語根「大」が付いた「大雑把」は、細かいところにこだわらずに大まかである行動や考えを表すようになりました。
4.表(おもて)
「おもて」とは、物の二つの面のうち、上や前など主だったほう、表面、外側のことです。
おもては「面(おもて)」と同源で、時代劇などで「おもてを上げい」という時の「おもて」は「面」のことです。
元々は、「おも」のみで「顔面」「顔」を意味し、「おも」の付く語には、顔が長めなことを表す「面長(おもなが)」、顔つき・顔立ちなどを表す「面差し(おもざし)」などがあります。
おもての「て」は、「方向」「方面」を意味する接尾語で、「おもて」といった場合、直接「顔」を指さず「正面の方」という和らげた表現になります。
後に物の表面をいうようになり、さらに、物の面に限らず、二つの物事のうち主だった方を意味するようにもなりました。
漢字の「表」は、「衣」と「毛」からなる会意文字で、毛皮の衣をおもてに出して着ることを示し、外側に浮き出るという意味を含みます。
ちなみに「裏(うら)」は、「心(うら)」(思い、内心)と同語源で、「表に見えないもの」の意で、「占(うら)」(事物に現れる現象や兆候によって神意を問い、事の成り行きや吉凶を予知すること。うらない)にも通じるようです。
余談ですが、「裏を返す」という言葉があります。これは、① 遊里で、初めて買った遊女を二度目に来てまた買い、遊興する。また転じて、同じことをもう一度する意。② (「裏を返せば」の形で)逆の見方をすれば。本当のことを言えばの意です。
5.同じ(おなじ)
「同じ」とは、別のものではない、同一である、性質・状態・程度などに区別がないことです。
おなじの「おな」は「おの(己)」、「じ」は形容詞化接尾語「じ」で、「己自身のようだ」「自分らしい」という意味が語源と考えられています。
上代には同義語に「おやじ(親似)」があることから、「親に似ている」の意味と解釈する説もあります。
「おやじ」は「おなじ」よりも古い語形といわれてきましたが、現在では「おなじ」と共存して俗語的に用いられていたという見解が有力です。
同じの漢字「同」は、「四角い板」+「口(あな)」からなる字で、板に穴をあけて突き通すことを表し、通じれば一つになることから、「同一」「共通」の意味となりました。
6.覚束無い(おぼつかない)
「おぼつかない」とは、はっきりしない、疑わしい、心もとないことです。
おぼつかないの「おぼ」は、「おぼろげ(朧げ)」の「おぼ」と同じ語幹で「はっきりしないさま」を示します。
「つか」は、「ふつつか(不束)」の「つか」などと同じ接尾語で、「ない」は、形容詞をつくる接尾語です。
「おぼつかない」は、物事がはっきりしないさまの意味から、それに対して「気がかりだ」「待ち遠しい」といった、不安や不満などの感情も表すようになりました。
動詞「おぼつく」と助動詞「ない」からなる語ではなく、一語の形容詞「おぼつかない」なので、「おぼつかぬ」「おぼつきません」「おぼつくまい」などというのは間違いです。
また、「おぼつく」という動詞もありません。
漢字では「覚束無い」と表記されます。しかし、「おぼ」のみで「はっきりしないさま」を表しており、「ない」と「無い」は本来は別の語であり、あくまでも当て字です。