日本語の面白い語源・由来(か-②)邯鄲・唐揚げ・俄然・甲斐・買い被る・貝割れ大根

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邯鄲

日本語の語源には面白いものがたくさんあります。

前に「国語辞典を読む楽しみ」という記事を書きましたが、語源を知ることは日本語を深く知る手掛かりにもなりますので、ぜひ気楽に楽しんでお読みください。

以前にも散発的に「日本語の面白い語源・由来」の記事をいくつか書きましたが、検索の便宜も考えて前回に引き続き、「50音順」にシリーズで、面白い言葉の意味と語源が何かをご紹介したいと思います。季語のある言葉については、例句もご紹介します。

1.邯鄲(かんたん)

カンタン」とは、コオロギ科もしくはカンタン科に分類される昆虫です。体長約1.5センチで体は細長く、淡黄緑色ないし淡黄褐色です。

邯鄲」は中国河北省南部の地名ですが、直接関係するものではなく、この昆虫の名前は鳴き声に由来するということです。
しかし、カンタンの鳴き声は「ルルルル」や「リューリュー」と表現され、「カンタン」とは程遠いものです。

鳴き声に由来するというのは、中国の故事「邯鄲の夢(邯鄲の枕)」(*)にあります。
邯鄲の夢は人生の栄枯盛衰のはかないことのたとえで、幽玄ではかなげな鳴き声をこの故事に当てはめたのです。

(*)「邯鄲の夢(邯鄲の枕)」とは、人の世の栄枯盛衰のはかないことのたとえ。「一炊(いっすい)の夢」「邯鄲夢の枕(まくら)」「盧生(ろせい)の夢」などとも言います。中国唐の開元年間(713年~741年)、盧生という貧乏な青年が、趙(ちょう)の都邯鄲で道士呂翁(りょおう)と会い、呂翁が懐中していた、栄華が思いのままになるという不思議な枕を借り、うたた寝をする間に、50余年の富貴を極めた一生の夢をみることができたが、夢から覚めてみると、宿の亭主が先ほどから炊いていた黄粱(こうりゃん)(粟(あわ))がまだできあがっていなかった、という李泌(りひつ)作の『枕中記(ちんちゅうき)』の故事に由来します。

「邯鄲」は秋の季語で、次のような俳句があります。

・邯鄲に つかれ忘れる 枕かな(正岡子規

・粟炊いて 邯鄲謡ふ 男哉(寺田寅彦)

余談ですが、「スズムシとマツムシの名前の逆転などスズムシにまつわる面白い話」「コオロギとキリギリスの名前の逆転」という記事も書いていますので、ぜひご覧ください。

2.唐揚げ/空揚げ(からあげ)

唐揚げ・レタスと檸檬

からあげ」とは、肉や魚などの材料に小麦粉や片栗粉をまぶす程度で、衣をつけずに高温の油で揚げること、またその料理のことです。多くは、鶏のからげを指します。

からあげの漢字には、「唐揚げ」と「空揚げ」があります。
「からあげ」という言葉自体は、江戸初期に中国から伝来した普茶料理の「唐揚(からあげ・とうあげ)」で見られ、中国から伝わった揚げ物の意味です。

しかし、この料理は細かく切った豆腐を油で揚げ、酒と醤油で煮たものでした。

現代でいう「からあげ」は大正以降に見られるもので、「天ぷら」に対し、衣をつけずに「空(から)」で揚げることから「空揚げ」と言い、「虚揚げ」とも表記されました。

その後、中国風の揚げ物の意味で「唐揚げ」の表記もされるようになりました。

普茶料理の「唐揚」と現代の「からあげ」には接点がないため、語源「空で揚げる」の意味とするのが妥当です。

3.俄然(がぜん)

俄然

俄然」とは、にわかなさま、突然なさま、出し抜けなさまのことです。

俄然の「俄」は「にわか」の意味、「然」はそのような状態を表します。
室町時代の『文明本節用集』にも「俄然 ガゼン 急速義也」とあり、古くから、にわかなさまを意味していました。

2000年代前半から、「断然」や「とても」といった強調の意味で、「俄然」が誤用されるようになりました。

このような誤用が生じたのは、意味を知らずに「俄然やる気が出てきた」と聞いた場合、「突然」の意味にも「とても」の意味にも解釈できることや、「ガ」や「ゼ」の音が、強調表現に適していること、「俄」が「我」と似ており、感情を表す言葉に感じることや、「断然」の「然」からの類推など、間違えやすい要素が多いためです。

昭和初期にも、「俄然」が「非常に」という強調の意味で使われ、流行語となっていました。
これは、無声映画の弁士で漫談家でもあった徳川夢声(とくがわむせい)(1894年~1971年)が東洋キネマの楽屋で、従業員にした演説から広まったものです。

徳川夢声

この流行はすぐに終わり、戦後には使われなくなっているため、2000年代からの誤用と直接の繋がりはありません。

4.甲斐/詮/効(かい)

甲斐

甲斐」とは、ある行為の結果としての効果、ある行為をするだけの値打ちのことです。

甲斐の歴史的仮名遣いは「かひ」で、漢字は当て字です。

「かふ(代ふ)」の連用形が名詞化した語が「かひ(甲斐)」で、代わりとなるべき物事が原義です。

そこから甲斐は、行動の代わりとして現れるしるしや効果、行為の代わりに得られる価値を意味するようになりました。

5.買い被る(かいかぶる)

買い被る

買い被る」とは、人のことを実際以上に高く評価すること、信用しすぎることです。

買い被るの本来の意味は、物を実際の価値よりも高く買うことです。
高く買うことを「被る」と表現しているのは「相場より高く買ってしまい損害を被る」ところからです。

買い被るが「人のことを過大評価する」の意味に変わったのは明治以降で、尾崎紅葉の『二人女房』(1891年)や国木田独歩の『第三者』(1903年)に見られる例が古いものです。

6.貝割れ大根/かいわれ大根/カイワレ大根(かいわれだいこん)

カイワレ大根

かいわれ大根」とは、大根の種子を発芽させ、双葉が開いた時に光を当てて緑化したもので、サラダや料理のつまにします。

かいわれ大根は、発芽した双葉が二枚貝の開いたような形をしているところからの名で、漢字では「貝割れ大根」と書きます。

古くは、「貝割菜(かいわりな)」や「貝割(かいわり)」と呼ばれており、これにはカブの芽生えも含まれていました。

「かいわり」には「卵割り」の漢字表記もあることから、卵の殻を割ったようなところからとする説もあります。

しかし、「かいわり」が貝や卵を二つに割って開いた形を意味することから、「卵割り」の表記もあるに過ぎず、卵の割れた様子にたとえたというのは俗説です。

「カイワレ大根」と言えば、菅直人元厚生大臣の発言による風評被害(*)を思い出します。

(*)1996年に、病原性大腸菌のO157による食中毒が流行しました。 原因は一時的にカイワレ大根だと言われ、そのためカイワレ大根の業者が甚大な風評被害を受けた結果、倒産や破産、それによる自殺者も出ました。 風評被害の原因となったのが当時厚生大臣だった菅直人氏による発表でした。

菅直人氏はO157の感染源は「カイワレ大根」とする記者会見を開きました。当時、厚生省では詳細が分からないため週明けの月曜日にということでしたが、菅直人氏はそれを押し切り記者会見を強行しました。

その結果、「O157の原因はカイワレ大根」という報道が日本国中を駆け回り、スーパーの店頭からカイワレ大根は撤去され、出荷は停止し、多くのカイワレ農家が大打撃を受けました。

また、その騒動の中で、大阪府下のカイワレ農家が破産、家族離散、自殺などが相次ぎ、社会問題となりました。それを収拾するために菅直人氏はテレビカメラの前でカイワレサラダを頬張るパフォーマンスを見せました。

しかし、風評被害はとどまるところを知らず、多くの農家が大損害を受け、破産、自殺が相次ぎました。その理由は多くの農家がカイワレの水耕栽培のための施設を借入金で建設していたことにありました。この事件の結果、返済ができなくなった農家は破産しました。国による救済はなく、大臣であった菅直人氏はカイワレサラダを食べたことですべてが済んだという姿勢でした。

カイワレ農家やカイワレ農家の団体は、大阪、東京地裁に損害賠償を求めて提訴。地裁、高裁で国は敗訴しました。

大阪地裁は「当時のO-157感染症の発生状況に照らし、これから更なる調査を重ねなければならない状況下において、かかる過渡的な情報で、かつ、それが公表されることによって対象者の利益を著しく害するおそれのある情報を、それによって被害を受けるおそれのある者に対する十分な手続的保障もないまま、厚生大臣が記者会見まで行って積極的に公表する緊急性、必要性は全く認められなかったといわざるを得ない」として、「中間報告の公表は、相当性を欠くものと認定せざるを得ない」と公表方法の過失を認定しました。

また、大阪高裁は「公表することによって被控訴人が被る打撃や不利益に思いを至せば、その時点では、公表すべき緊急性、必要性があったものということはできない」として、「公表方法の選択が政策的判断であるという見地に立つとしても、その判断には逸脱があり違法である」と公表方法の過失を認定しました。

さらに、菅直人氏がしたカイワレサラダ一気食いのパフォーマンスに関して東京地裁は、「(カイワレ業者などが)納得するのであれば、批判の限りでない」が「(カイワレ大根がO-157に汚染されていたという)自ら招いた疑いを解くことができると期待してのことであれば、国民の知性を低く見過ぎるのではあるまいか」と批判しました。

しかし、菅直人氏はいまだに、この件に関して反省も謝罪もしていなません。そして、「事件後消毒されたことは明白で証拠隠滅が図られた」といまだにカイワレ大根がO157の原因であったと主張を続けているそうです。