ミシェル・ウィーとは?今年全米女子オープンを最後に引退した美人プロゴルファー

フォローする



ミシェル・ウィー

「グリーンの妖精」と呼ばれて日本でも人気の高かった美人プロゴルファーのローラ・ボーについては、前に記事を書きました。

その後に現れたハワイ出身のミシェル・ウィーも同じように人気が高まるかと思いましたが、日本での出場試合もあまり多くなかったり、日米の男子ゴルフの試合に出場するなどチャレンジング精神を発揮したものの、2014年の全米女子オープン優勝を含むLPGAツアー5勝と際立った成績を残せなかったため、それほど人気が高まらないまま、今年の全米女子オープンを最後に現役を引退しました。まだ33歳の若さなので、惜しい気もします。

奇しくも今年の全米女子オープンは、彼女と同じハワイ出身の25歳のアリセン・コープスが、3日目首位に立った畑岡奈紗を振り切って逆転優勝しました。

そこで今回は、ミシェル・ウィーについて超可愛い画像とともにご紹介したいと思います。

1.ミシェル・ウィーの超可愛い画像

ミシェル・ウィー

ミシェル・ウィーミシェル・ウィーミシェル・ウィーミシェル・ウィーミシェル・ウィーミシェル・ウィー

ミシェル・ウィーミシェル・ウィーミシェル・ウィーミシェル・ウィーミシェル・ウィーミシェル・ウィーミシェル・ウィーミシェル・ウィー

2.ミシェル・ウィーとは

ミシェル・ウィー(Michelle Sung Wie)(1989年10月11日~  )は、ハワイ出身の女子プロゴルファーで、韓国系アメリカ人です。185cmの長身を生かした抜群の飛距離を大きな持ち味とする選手でした。

(1)アマチュア時代

彼女は韓国出身の両親の間に生まれた一人っ子で、ハワイ生まれ・育ちです。父のビョンウク・ウィーは交通工学者で元ハワイ大学マノア校観光学部教授(ペンシルベニア大学Ph.D.)、母のボは1985年度の韓国女子アマチュアゴルフチャンピオンで元ミスコリア。父方の祖父は航空工学者でソウル大学校名誉教授のサンキュ・ウィ博士です。

父の手ほどきで4歳からゴルフを始め、5歳の時には100ヤードを飛ばしたそうです。

14歳で「全米女子アマチュアパブリックリンクス」を制覇するなど、幼くして「天才少女」と呼ばれ、性別を除けばタイガー・ウッズ以上の才能の持ち主と賞賛されました

2002年からプロ選手のトーナメントに挑戦しています。

2004年1月「ソニーオープン・イン・ハワイ」でPGAツアーの男子大会に出場しました。2日間を「72・68」のスコアで回り、第2ラウンドを60台のスコアを記録したことで注目を集めましたが、予選通過ラインに1打及ばず敗退しました。

同年3月のクラフト・ナビスコ選手権で4位に入りました。これらの活躍を評価され14歳のアマチュア選手でありながら、同年5月の第5回「ローレウス世界スポーツ賞最優秀新人賞」を授与されました。

全米女子オープンでは過去に例のない「予選免除」での出場を認められました。

しかし、2004年8月の「全米女子アマチュア選手権」ではマッチプレー2回戦敗退に終わりました。

2005年全米女子プロゴルフ選手権には主催者推薦出場枠で出場し、15歳で2位に入りました。同年7月の第3週に行われた男子のアマチュア大会「全米アマチュア・パブリック・リンクス」では準々決勝に進出しました。この大会の優勝者にはマスターズの招待資格が与えられるため、ウィーは女子選手初の同大会出場を狙っていました。

全英女子オープンにも「特別招待選手」として出場し3位に入りました。

2007年6月にプナホウ・スクールを卒業し、同年9月からスタンフォード大学へ進学しました。学業との両立を聞かれ「大学へ行かないという選択肢は考えられない」と述べています。

大学にはゴルフのオフシーズンにしか通いませんでしたが、コミュニケーション学を専攻し2012年6月に卒業しました。学位は文学士(コミュニケーション学専攻)。

2013年2月21日、韓国法務部の許可を得て、韓国国籍を離脱しアメリカ国籍となりました。米国生まれの為、米国と韓国との二重国籍の状態を解消しました。

(2)プロ入り後

2005年10月5日、16歳の誕生日の6日前にホノルルでプロ転向を表明しました。プロ転向初戦となった「サムスン世界選手権」ではスコアの過少申告(第3ラウンド、7番ホール)で失格となりました。

同年11月に高知県の「Kochi黒潮カントリークラブ」で行われた日本ゴルフツアーの男子大会「カシオワールドオープン」でも、4オーバーパー(+4, 148ストローク)で予選を通過できませんでした。

2006年2月20日付で女子ゴルフにも世界ランキング制度がスタートし、ミシェル・ウィーは最初のランキングで3位に入りました。

翌週の2月27日には2位となりました。この順位は、彼女の獲得ポイントを単純に出場試合数で割り算した平均点でした。しかし、同年8月8日付から世界ランキングの算定方法が変更され、出場試合数の少ない選手でもすべて「35」で割り算する方式が採用されました。

全英女子オープン終了後、新方式に基づく世界ランキングでロレーナ・オチョア(メキシコ)が2位となり、ウィーは7位に後退しました。

この年も11月のカシオワールドオープンに招聘を受けましたが、予選2日間で17オーバーパー(+17, 161ストローク)をたたいて予選落ちしました。

2007年、ウィーは両手首に故障を抱え、ゴルフ成績が一気に急降下しました。彼女の2007年度メジャー大会成績は以下の通りです。

  • クラフト・ナビスコ選手権:不参加
  • 全米女子プロゴルフ選手権:84位(決勝ラウンド進出者では最下位)
  • 全米女子オープン:初日1ラウンドで途中棄権(第1ラウンドのスコア:82、11オーバー)
  • 全英女子オープン:予選落ち(2日間のスコア:73+80=153ストローク、7オーバー。カットラインに2打足りず)

この結果、彼女の世界ランキングも急降下し、2008年3月24日付でついにTop100位から落ちました。

2008年度のメジャー大会は、出場できたのは全米女子オープンのみで、予選落ちに終わりました。7月の「ステートファーム・クラシック」では、3日目終了時点で2位に付け、ようやく復調の兆しを見せましたが、その後、2日目の競技終了後スコアカードに署名を忘れるミスを犯したことが発覚し、失格となりました。

この失態の直後、8月4日付の世界ランキングで自己ワースト順位の「310位」を記録しました。

ようやく2008年度のLPGAツアー「クオリファイイング・トーナメント」(シード権獲得のための資格試験)に合格し、2009年度のツアーシード権を獲得しました。合格者は20名で、ウィーは7位で予選会を突破しました。

2009年11月、LPGAツアー開幕戦のSBSオープンでは首位から3打差の2位となりました。同年のロレーナ・オチョア招待初優勝しました。

2010年8月にはカナディアン女子オープン2勝目を挙げました。

2014年のクラフト・ナビスコ選手権で2位となり、久々の上位進出となりました。

2014年4月LPGAロッテ選手権3勝目を挙げました

2014年6月全米女子オープンは、前週の全米オープンと同じコースであるパインハーストNo.2で開催され、グリーン上は男子と女子が同じ条件でプレーして話題となった大会ですが、ウィーはこの大会で念願のメジャー初優勝(ツアー4勝目)を果たしました。

2018年3月HSBC女子世界選手権ツアー5勝目を挙げました。